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平成12(2000)年度収集 収蔵品目録18

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 庄林ハナ資料  明治期の博多中島町の職人の家に生まれた故庄林ハナ氏が残した文書、写真、書籍、各種印刷物、絵画・書跡、レコードなどからなる資料。ハナ氏は大正5(1916)年奈良屋尋常小学校を卒業後高等小学校に進み、大正8年に福岡為替郵便局に奉職、以後郵便貯蓄関係業務を中心に勤務した。昭和33(1958)年には福岡地方郵便局郵政事務官となり、昭和43年退職、この間昭和18年には勲八等瑞宝章を受けるなど、その専念ぶりが評価されている。
 資料には(1)ハナ氏の学業に関する文書、写真、(2)在職中の任免に関する文書、(3)戦中戦後にかけてハナ氏が携わった郵便貯蓄行政の各種文書・印刷物、(4)戦中、戦後にかけて、ハナ氏が教養、娯楽・趣味の面から収集した書籍、レコード、各種印刷物が残される。戦中・戦後にかけて福岡市域で活躍した職業女性がのこした一括資料として当時の社会・文化を知る上で貴重である。なお(5)庄林家の幕末・明治初期の大工・指物師関係の書籍類、(6)庄林家の什器・漆器類も若干含まれる。
528 725
2 井原桂資料  寄贈者の父井原桂氏は今宿で使われていた生活資料、各地の民芸品、あるいは同氏の思い出の品等を収集し公開していた。今回寄贈された資料の大部分は、今宿の今宿三右衛門製瓦工場の閉鎖に伴い、平成4年に同氏が収集した瓦製作用具である。同工場の瓦製作用具は、すでに平成6年度に横川弘資料として寄贈を受けており、今回の資料群はそれを補完する。 293 335
3 清原睦彦資料  西日本新聞社に勤務の傍ら、日本各地の古今の笠、さらにはアジア各地の笠の収集を行った故清原睦彦氏が残したコレクションで、清原氏の早良区昭代の旧居不除庵に残された。資料の内容は(1)江戸時代の武家陣笠類、(2)近世から近代の庶民の道中笠、各種労働用の笠、宗教者の笠、(3)昭和時代の日本各地の観光地の土産用笠、あるいは祭や踊り用の笠、(4)アジア各地の庶民用笠等に大別できる。量的には(2)、(3)が中心となっている。収集過程については記録類が残されていないため不詳だが、清原氏が剣道家であったことや、またその職業を活かしての広い範囲の活動、交際によって収集されたものと言える。 124 132
4 鈴木孝一資料  寄贈者の父増次郎氏が、大正10(1921)年頃に仕事で福岡を訪れたときに購入した絵はがき。福岡・博多の絵はがきと太宰府の絵はがきが含まれる。増次郎氏が、出張中の滞在地である下関から、寄贈者へ送った博多ことばの絵はがきもある。 97 97
5 齋藤義資料(追加分)  平成10年度収集資料の追加分である。齋藤義氏は医業の傍ら郷土史家としても活躍し、考古資料や歴史資料を多数収集した。主に早良区周辺の遺跡で採集された土器や石器、埴輪、瓦などである。特に梅林採集の子持勾玉は、『考古学雑誌』に氏により報告された学史的に価値のあるものである。また、朝鮮半島製の陶質土器等も含まれている。 86 86
6 新原顕一資料(追加分)  平成11年度収集資料の追加分である。寄贈者の父が和歌を学ぶために収集した、幕末から明治、大正、昭和初期にかけての書籍を中心とする版本や各種印刷物である。新原家は江戸時代には博多の町年寄をつとめ、近代には福岡で博多織関係の工場を経営していた。資料の内容は(1)幕末期から近代にかけての歌道書、狂歌集、(2)福岡藩の歌人で勤王運動家である野村望東尼や、学者、宗教者、文学者などの記念出版物、(3)博多織の図案の参考書とした能装束図案集、(4)中国大陸関係の絵葉書等に大別される。(4)については寄贈者自身の収集分も見られる。 67 160
7 伊藤達也資料  伊藤家は、福岡藩主黒田氏の播磨在住時代からの家臣で、慶長期の当主次郎兵衛は、黒田長政より400石を与えられている。その後、一時期、浪人するなどしたが、3代藩主光之に再び召し抱えられ(3人扶持20石)、以後、子孫は幕末まで、山目付(のち山奉行)、御普請方見廻役などを勤めた。本資料は伊藤家に伝来した江戸時代初期から明治期の古文書類が中心で、知行宛行状、系譜、役中覚書、達類のほか、藩からの預かり山に関する記録類、さらには明治期の預かり山払い下げに関する一件文書も含まれる。このほか家伝の烏帽子形の当世兜、室町時代の作風を残す筋兜などの武具が残されるなど、福岡藩政期の武家資料として貴重である。 67 67
8 樋口久代資料  寄贈者の母財部ツル氏(明治28年生)が、旧博多櫛田前町にあった私立櫛田女学校(明治42年創立)在学中に製作した和洋裁雛形・袱紗・オキアゲである。櫛田女学校は、日本画家の祝部至善もその経営に携わり、教壇に立った。裁縫・刺繍・作法・生花・茶湯が教授科目であったが、特に刺繍が有名で、共進会や博覧会では生徒の作品がたびたび入選した。また、博多オキアゲと呼ばれる押し絵雛の製作法も教授した。本館所蔵の祝部至善作のオキアゲ「孝養女」を模範にして製作した作品も、本資料に含まれている。 30 42
9 石井忠資料  寄贈者が福岡市をはじめ筑紫野市や小郡市で1960年代に採集した旧石器時代の細石核や細石刃、縄文時代の打製石斧・環状石斧、弥生時代の前漢鏡や鉄斧などである。なかでも城南区丸尾台遺跡の甕棺墓に副葬されていた小型の内行花文日光鏡は、前原市南小路遺跡や春日市須玖岡本遺跡、飯塚市立岩遺跡の甕棺墓からも出土しており、当時の地勢や社会情勢、対外交流を考える上で貴重な資料である。 28 28
10 永田収資料  永田家は、江戸時代は福岡藩家臣で馬廻組に属し、170石を与えられていた。本資料は同家に伝来した剣術を中心とした武芸関係の免状や秘伝書と、天保7(1836)年の福岡藩分限帳である。中心は文政期頃の当主権一郎が受けた新影流の印可書で、奥義が彩色された絵で示されたもので、新影流奥義伝授に欠かせないものである。このほか扱心流伝授秘伝書、中和流抜刀術秘伝目録のほか、槍術の宝蔵院流十文字鎗、柔術の秘伝書など多岐に渡っており、当時の武家文化を示す資料といえる。また分限帳は大組以上の家臣には石高のほか家紋の略図が付けられた珍しいものである。 26 26
11 石丸萬七資料(追加分)  平成10年度収集資料の追加分である。寄贈者の祖父萬太郎氏が日露戦争(1904~05) に従軍した関係の資料、第2次世界大戦で戦死した兄鹿次郎氏の遺言状、寄贈者が昭和19(1944)年に出征し復員してくるまでの生活用具など、石丸家に伝えられた近代資料である。 15 15
12 真子静夫資料  桃形兜と黄糸威胴丸具足を中心に、刀剣・鑓、陣笠、陣中鍋などからなる資料で、脇山に戦国時代末から居住し、近世には帰農していた真子家に伝来した。すでに明治期の当主定三郎の代(幕末~明治)には、同家が保持していたと伝えられ、とくに鎧櫃裏の墨書には「六 眞子定三良」とあるのが、それを裏付けている。桃形兜は福岡藩によく見られるものだが、陣笠に描かれた家紋は同氏のものではないため、おそらく幕末から明治期に入手したものとされる。 11 11
13 大橋通子資料  誕生後100日を「百日」といい、「お食い初め」の儀礼をするのは全国的な風習である。本資料は、東京での儀礼に使われた膳椀類と節供飾りである。膳椀は男児用が朱漆、女児用が黒内朱漆となっている。家紋も男紋と女紋がそれぞれ使用され、女児用膳の方が、男児用よりも高さが高い。女児は正座、男児はあぐらという座法の違いによるものであろう。この差異は近代には博多に伝わり、類似の膳であるポッポ膳に影響を与えた。大正5(1916)年のものは寄贈者の夫章男氏が、昭和19(1944)年のものは娘が使用したものである。なお、この膳椀はお食い初めの儀礼後は、正月の祝い膳としても使用されてきた。 5 13
14 愛宕神社資料  昭和2(1927)年に愛宕山に開業(昭和17年に金属供出で撤去)した架空索道(ロープウェイ)に関する資料。開業70年を記念して製作した、当時の愛宕神社周辺の様子を再現した模型や、ロープウェイの写真など。 3 3
15 石橋勝蔵資料(追加分)  平成10年度および11年度収集資料の追加分である。寄贈者の父勝蔵氏が収集した日本の墨壺で、石橋家に遺されたもの。10年度に寄贈された墨壺のコレクションを補うものである。 3 3
16 山田裕嗣資料  現在も続く博多の代表的な祭礼である博多祇園山笠の、江戸時代後期の姿を描いた山笠図と、福岡出身の日本画家水上泰生(1877~1951)の絵画。山笠図は当時1年に6本作られた山笠のうち、偶数番目の堂山を描いている。現在の飾山と異なる当時の山の造りが窺える。水上泰生の絵画作品は何れも小禽を題材にしたもので、花鳥画を得意とした泰生の標準的な作品。泰生は修猷館から東京美術学校日本画科に進み、大正8(1919)年に同志と如水会を組織し、また改組日画会の会員となる。大正15年に帝展委員、筑前美術会の世話人、第1回福岡県美術協会展覧会の委員となった。 3 3
17 山野久満資料  石鏃、支脚、長頸壺各1点であり、寄贈者本人が自宅周辺で採集したものである。石鏃の材質は黒曜石であり縄文時代と思われる。支脚は古墳時代初頭、長頸壺は古代のものである。梅林周辺での古墳の存在は古くから知られていたが、それ以外の時代の状況は現在も詳しくは判っていない。これら資料は梅林周辺の集落遺跡の存在を示すものであり、各時代の遺跡分布状況の把握において貴重な資料である。 3 3
18 大津山晴夫資料  寄贈者の父信蔵氏が、日露戦争(1904~05)に出征した際に着用していた騎兵用の軍服と除隊後の信蔵氏の肖像写真。肖像写真は、除隊後に勤務した郡役所が大正15(1926)年に廃止されたあと、福岡県庁に勤務していた頃に撮影した写真の複写。 2 3
19 柴田昭夫資料(追加分)  平成7年度から10年度にかけての収集資料の追加分である。「出動軍隊慰問ノ為恤兵金品」寄附に対する感謝状と、昭和5(1930)年に発行された日露戦争の画帳。ともに寄贈者の父勘七氏にまつわる資料である。 2 2
20 安藤良介資料(追加分)  平成2年度と10年度収集資料の追加分である。寄贈者が収集した戦時資料。防毒マスク一式だが、未使用のもので、マスクを入れる袋の記名から、兵士用ではなく、銃後の人々が備えのために購入したものであることが分かる。 1 3
21 星出和範資料(追加分)  昭和61年度収集資料の追加分である。支那事変記念章牌で、2枚で1組になっている。1枚には銃を構える陸軍兵士、もう1枚には双眼鏡をのぞく海軍兵士が浮き彫りにされている。星出家に保管されていたものである。 1 2
22 今井敏博資料  昭和3(1928)年の大嘗祭にあたり福岡県早良郡脇山村(現福岡市早良区脇山)が指定された主基斎田の記念写真である。寄贈者が収集したものである。 1 1
23 江藤ただ子資料  第2次世界大戦中の金属供出でアルミ製の弁当箱を供出したあと、寄贈者が当時住んでいた家の天井板で、近所の大工に作ってもらった木製の弁当箱。空襲の際、天井裏に落ちた火にすぐ気づくように、天井板をはずすように指導があり、その廃材を利用した。 1 1
24 迫新治資料(追加分)  平成4年度収集資料の追加分である。江戸時代後期の薬種切手1点。「南都改」とある事から、当時の大和・奈良地方で使用された物で、薬種生産者は薬種商人から渡されたこの切手と引き換えに、他で銀銭を受け取ることが出来た。札元(発行者)は京都の商人で、当時の一大薬種生産地であった奈良との流通過程が窺える資料である。 1 1
25 白石フミ資料  昭和3(1928)年の大嘗祭にあたり福岡県早良郡脇山村(現福岡市早良区脇山)が指定された主基斎田での耕作や神事の際に着用した博多織の帯である。寄贈者の父が使用したもので、寄贈者が保管していた。 1 1
26 高田茂廣資料  福岡藩の海事史研究者である寄贈者が収集した、近世博多湾岸の浦で使用された神札の版木。神札は正月の縁起物として浦の家々の軒先等に貼られたもの。版木には、簾に恵比須・大黒、掛けの魚、倉鈎、宝珠が描かれ、裏には「寛保元年十二月二十一日」と彫られ、1741年暮の作成と知られるなど、近世中期の浦の生活・文化の貴重な資料である。 1 1
27 都島直来資料  大韓帝国皇帝純宗が韓国の統治権を「大日本皇帝」へ譲与することを宣言した勅諭。朝鮮で印刷会社を営んでいた都島氏の祖父が、軍から勅諭の印刷を受注したときに預かったものだが、受注後工場が火災にあい、勅諭の印刷はしなかったらしい。 1 1
28 廣田次朗資料(追加分)  平成7年度収集資料の追加分で、紙踏み絵とよばれる踏み絵を模写したもの。紙踏み絵はキリストの首を獄門に掛けた絵を摺り、高札場等でキリスト教禁止を知らしめたものとされ、天草の本渡市の大庄屋宅に幕末から伝来した物が、諸研究には紹介されているが、資料的に確実な物は少ない。本資料は踏み絵等を収集していた故廣田次朗氏が、いずれかの原本から模写した物と推定され、紙の破損状況まで写されている。平成7年に次朗氏によって寄贈された板踏み絵(板にメダイを埋め込んだ踏み絵)の追加資料である。 1 1
29 中村洋一資料  平成10年度に寄贈された映画チラシ類である。寄贈者が収集したもので、本目録には映画のタイトルが50音順で、「ヒ」で始まるものから「ワ」までの2,212件を収録した。なお「ハ」までの5,314件は平成11年度目録に収録している。 2,212 4,637

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 稲員コレクション(追加分)  愛刀家であった故稲員稔氏が収集したもので、そのコレクションの質の高さと量の多さで知られる。今回の寄託資料は9口。山城、肥前、備前、関などの名刀産地のものがそろい、特別貴重刀剣3口、特別保存刀剣2口、重要刀剣1口が含まれる。 9 9
2 黒田つる資料  福岡藩祖黒田如水(孝高)の祖父重隆、父職高、母明石氏(明石城主明石宗和娘)の墓と位牌のある心光寺にまつわる記録と、福岡藩主黒田氏系図(6代継高まで)、外戚の記録。近世中期の福岡藩士明石景恕によって作成されている。景恕は黒田氏にしたがって中津、福岡へ移ってきた明石宗和4男安正の子孫。系図等はなおも姫路に在住する、黒田家の別流の人々のためにとくに作成した、という由来の箱書が記されている。 3 3

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 福岡藩大組大野家資料  本資料は福岡藩家臣で大組に属し、1,000石を与えられていた大野家の資料で、近世文書、近世書籍・写本類、近代文書と絵画からなる。
 近世文書としては、天保期に大野氏が御納戸役、大目付等を歴任したため、その際の役中日記、手控類や、長崎警備、異国船漂流手当に関するマニュアル類が残されている。このほか、大野氏の代替わりの相続の儀式関係資料や、兵法免許状が見られる。近世書籍・写本類は、幕末の当主貞正によって写されたものがほとんどで、島原の陣、朝鮮通信使記録、「長野日記」(享保から宝暦期にかけての福岡藩士長野氏の日記)、近世中期の「御触状写」といった藩政期の貴重な記録類などがみられ、このほか、福岡藩主夫人の事蹟集「淑徳録」など珍しいものも含まれる。近代文書は明治30年代後半に田川実業学校に在籍した大野家の姉妹間の往復書簡などで、当時の女子教育の内容が窺える。なお、近世絵画として彩色の「金山稼之図」が含まれる。
136 136
2 井上快庵関係文書  福岡藩の医学校賛生館で医学を学び、維新後は軍医となった井上回(1852~1912) に関係する文書群。明治初年から日露戦争後までに、井上が受けた辞令などを中心とする。なお、井上家は福岡藩の藩医をつとめた家である。 111 180
3 旧吉川観方コレクション  京都の日本画家で、風俗研究家でもあった吉川観方(1894~1978)が蒐集した資料。内容は、近世~近代の絵画、工芸、書跡など多岐にわたる。本目録には、そのうち書跡(和歌・俳句短冊)の一部を収録する。なお、旧吉川観方コレクションとしては平成7年度目録に絵画、8年度目録に染織(小袖・小袖裂)、9年度目録に装身具類、10年度目録に金工(鏡・刀装具)、11年度目録に調度類を収録している。 4,044 4,044
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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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