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特別展示

特別展示室A

第22回 新収蔵品展 ふくおかの歴史とくらし

平成21年11月17日(火)~12月13日(日)

道中日記屏風(41)
道中日記屏風(41)

 「黒漆塗桃形兜 桶側二枚胴具足(くろうるしぬりももなりかぶと おけがわにまいどうぐそく)」(26)の兜は、桃の実の形に似ていることから桃形兜と呼ばれ、南蛮兜(なんばんかぶと)の影響を受けたものと言われています。鎧(よろい)は長方形の鉄板を鋲(びょう)で留め合わせたものです。この甲冑(かっちゅう)を伝えてきた周防(すおう)家は、福岡藩で藩主の鷹狩り用の鷹を管理する御鷹方(おたかかた)の役人を務めていました。「周防家の旗」(27)のように家紋に鷹羽を用いているのはその由緒を示すものと推測されます。
 福岡が武士の町であったのに対して、博多は町人の町でした。下川端町にあるお宅の仏壇から見つかった「御文(おふみ)(御文章(ごぶんしょう))」(31)は、浄土真宗の教えを信者に伝えるため、蓮如(れんにょ)(1415~1499)の手紙の形式をとって分かりやすくまとめたものです。書き込みによって、本願寺第13代宗主良如(りょうにょ)(1612~1662)による版を、寛政(かんせい)21年(1644)に入手したものだということがわかります。
 江戸後期の博多町人柴藤増次(しばとうますじ)は、文化(ぶんか)6年(1809)に福岡藩の革座請主(かわざうけぬし)となった人物です。その柴藤夫妻を描いたのが「柴藤増次夫妻像」(34)です。賛文(さんぶん)には、柴藤家の出自や増次が革座請主になった経緯、そしてこの肖像画を増次自身が描き、未完のまま彼が没したことなどが記されています。
 また柴藤増次は、文化8年(1811)大坂に滞在中、福岡藩士で大坂蔵屋敷詰銀方(くらやしきづめぎんかた)の戸田新七(とだしんしち)の屋敷で、大坂町人鴻池善五郎(こうのいけぜんごろう)が描いた大黒図を入手したことを「大黒図由緒書」(35)として書き残しています。
 井手真斎(いでしんさい)(友正)に宛てた「黒田長政書状(くろだながまさしょじょう)」(36)は、旧福岡藩士井手家伝来の文書の一つです。真斎は黒田如水(くろだじょすい)の従兄弟(いとこ)で、「政所様(まんどころさま)(豊臣秀吉正室ヵ)」からの手紙を届けてほしいという内容。書状を収めた「藤巴紋入文箱(ふじどもえもんいりふばこ)」(37)の藤巴紋は黒田家の家紋です。井手家の資料は、江戸時代の初めから明治、大正に至る幅を持ち、近世のみならず近代に入ってからの旧武家の暮らしぶりがよくわかります。


宮本武蔵像(30)
宮本武蔵像(30)
写真 福助足袋広告塔(50)
写真 福助足袋広告塔(50)

 「道中日記屏風」(41)は、福岡藩士安永又兵衛(やすながまたべえ)が記した上京日記を屏風に仕立てたものです。文久3年(1863)藩主継嗣黒田慶賛(けいしくろだよしすけ)(後の長知)のお供の際と、明治2年(1869)長知警護に上京し、会津若松を経て福岡に帰るまでの様子が綴られています。
 このほかにも「黒漆塗日根野頭形兜(くろうるしぬりひねのずなりかぶと)」(9)や、福岡藩士二川相近(ふたがわすけちか)(1767~1836)が描いた「宮本武蔵像(みやもとむさしぞう)」(30)などをご紹介します。
 さて、続く近代の資料からは、大きく変貌する福岡の姿が垣間見られます。
 九州高等女学校は明治40年(1907)に設立された私立学校で、現在は九州女子高等学校(中央区荒戸)となっています。その姿を写した「九州高等女学校の絵はがき」(44)からは教育の変化の様子を、「聴取無線電話私設許可書(ちょうしゅむせんでんわしせつきょかしょ)」(43)からは、ラジオ放送が普及していく様子を知ることができます。
 昭和初期の福岡を撮影した写真「福助足袋(ふくすけたび)広告塔」(50)「名島飛行場(なじまひこうじょう)」(51)には、今では失われてしまった風景が記録されています。
 「東亜勧業博覧会(とうあかんぎょうはくらんかい)の絵はがき」(55)は、昭和2年(1927)に開催された博覧会の様子を伝える資料です。二ヵ月間の会期中に、当時の福岡市の人口の10倍にあたる160万人が会場を訪れ、会場跡地は大濠公園(おおほりこうえん)や住宅地として整備されました。
 「表彰状」(56)や「特許証」(60)は、箱崎にあった徳永科学研究所にあたえられたもの。戦前は化学染料の研究、戦後は醸造薬品の研究が精力的に行われていました。
 「国語読本 高等小学校児童用 巻二」(62)などの教科書や、「筑前琵琶 義士の本懐(ちくぜんびわぎしのほんかい)」(68)などのレコードは、同一のものが大量に生産され、人々の生活のなかに入り込んでいきました。
 このほか「福岡市営地下鉄開業記念乗車券」(54)のような近年の世相を示す資料もあります。
 一方で近代史に暗い影を落とした戦争に関する資料も欠かすことはできません。
 家に保管されていた「軍用ズボン」(74)。「帽子」(72)は麦わら帽子をヘルメット風に加工したもの。奈良屋国民学校(ならやこくみんがっこう)(現・博多小学校)在学中に使用し、昭和20年に縁故疎開した際にも持って行ったという「リュックサック」(73)。「高取焼茶入 唐物写文琳茶入(たかとりやきちゃいれ からものうつしぶんりんちゃいれ)」は、昭和20年(1945)の福岡大空襲で被災した焼け跡(橋口町、現・中央区天神)から発見されたものです。

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