アーカイブズ

No.236

考古・民俗展示室

民族探訪 今宿(いまじゅく)

平成16年2月10日(火)~4月11日(日)

【松原流(まつばらながれ)の山笠】


新官を乗せた松原流山笠

 松原二宮神社の7月29日「夏越祭(なごしさい)」で行われています。今宿ではこの祭りを「輪越(わご)し」と呼んでいますが、それは鳥居に付けた大きな茅輪(ちのわ)をくぐることからきています。大正生まれの人々の子どもの頃の記憶には、山笠の姿はなく「輪のヨマを足に巻くと溺れん」と言って、それをもらいに行っていたことをみなが語ります。山笠は大正時代までこの祭りに登場していなかったようです。それではいつから山笠が出るようになったのでしょうか。大正15年生まれの古老は、その経緯を次のように語ります。
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 松原で横町の真似しようとして山笠を始めたのが25歳の時だから昭和25年だった。当時私は青年団長だった。自分が言い出しっぺで二宮神社で山笠を始めた。青年を集めて、「横町がしようき、やろう」「横町のことをまねして、してみようか」と言うと、みんなもやろうやろうということになった。二宮神社は山笠の神様じゃなかったけど、ノボセモンが多かったから始まった。最初の山笠のときの松原は、盛り上がり大騒ぎだった。花柴を綺麗に飾った山笠だった。
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 横町の山笠の成功を見て、連鎖的に始まったものだったようです。そうは言っても松原流の山笠には、横町にない特徴があります。台の脚が極端に短いのです。何故に短いのか、それは「昔からそうだ」とのことなのですが、どうも次の語りが説明になるのではないかと思います。
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「博多の山を参考にして作ろう」ということになったが、「床」(トコと呼ぶ、バンコの大きいもの畳1枚分くらいの大きさ)に棒4本を通した台に造花を飾ったものだった。作りはいい加減だった。「床」は境内の舞台にあったものを使った。
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 「松原流」というのは、戦後から言われるようになった名称です。昭和6年生まれの人の子どもの頃の記憶には「松原流」という言葉はなかったといいます。それは戦後に町域が拡大したことと関連があります。松原は、二宮神社を中心にして東西に分かれています。西松原は3町内が属しています。これが旧来の松原です。対して、東松原は駅前1丁目、長垂など4町内が所属していますが、ここは新しく加わった町域で「松原新地」と呼ばれたこともあるようです。ある古老は、「松原流というようになったのは、博多のまねしていうようになったんじゃないかと思う」と語っています。実際には、「松原流」は博多山笠でいう「流(ながれ)」のようにいくつかの町が集まった町組を表していることは間違いありません。
 現在の松原流の山笠行事は、まず子ども山笠が町に繰り出します。そのころ、青年たちは松原の各戸にお汐井を配って廻ります。ここでいうお汐井は長垂(ながたれ)海岸から採った海砂です。それが終わって夕方から若者たちの山笠が出ます。神社から神官を山笠に乗せて旧道まで出て、そこで山笠を神輿(みこし)のように高く捧げます。この後に町を廻るのです。
 若者たちは「連松会(れんしょうかい)」という組織を作っています。1種の青年団です。その名は「東松原、西松原の連合」という意味からとったものと言われています。現在の「連松会」は25歳から41歳までが加入することになっていますが、かつては、25歳までを青年としていました。昭和21年に15歳で加入した人は「3段になった大杯で酒を飲み干す」という儀式を経て、初めて「連松会」の1員になれたと伝えています。
 神社に夜遅くもどってきた山笠は境内に入ると、「連松会」の会長以下の3役が乗って、博多祝い唄「祝い目出た」を唱和します。その後手締めとなります。平成12年までは337拍子でしたが、「やっぱり、山笠は博多の祭りやけん、337拍子はおかしいかな」ということになって、前会長が平成13年から「博多一本締め」に変えたのだそうです。
 山笠が出る前はどうだったのでしょうか。横町の古老の話は参考になります。
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 昭和21年当時、山笠は見なかった。松原流の輪越しでは、夜に若者たちが提灯を手に、子どもを連れて、西松原から東松原に、ワッショイ、ワッショイ言うて走って回っていた。しかし、そこに山はなかった。松原の祭りも賑やかなもんだった。福岡から露店がたくさん出て、見物人もよその村からたくさん来ていたので、ほんとに賑わっていた。
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 山笠はないものの、「連松会」の若者たちは、すでに博多山笠を意識した行動を「夏越祭」のなかでしていたことがこの話からわかります。それはなぜか。「今宿の松原は旧街道沿いで昔は商店が多かった。そこから博多に奉公に出る者が多く、その際に博多山笠を舁いて、その経験を今宿に伝えていたのではないか」と原因を語る古老もいます。博多と連松会の若者が同調してきて山笠になったということができるでしょう。

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