展示・企画展示室1

No.494

企画展示室1

戦争とわたしたちのくらし26

平成29年6月13日(火)~8月20日(日)

はじめに
博多株式取引所防護団の防空訓練映像

博多株式取引所防護団の防空訓練映像

 昭和20年(1945)6月19日深夜から翌日未明にかけて、アメリカ軍の長距離爆撃機B―29の大編隊から投下された焼夷弾(しょういだん)により、福岡市の中心部は焼け野原になりました。特に、博多部は甚大な被害をうけました。福岡市は、この日を「福岡大空襲の日」としています。福岡市博物館でも、平成3年から6月19日前後に企画展示「戦争とわたしたちのくらし」を開催し、戦時期における人びとのくらしのあり方を、さまざまな観点から紹介してきました。

 26回目となる今回は戦時期の防空に関する資料を展示します。第一次世界大戦では飛行機が戦争に使用され、戦地から遠く離れた都市が攻撃対象となりました。昭和の戦争の時代には、日本でも防空事業が計画・実行されました。直接戦闘に参加しない銃後の人びとは、空襲という危機に備えて組織化され、各種の防空訓練を行いました。

 防空に対する銃後の人びとの取り組みから、戦争と平和を考える機会になれば幸いです。

防空の必要性
ポスター「国民防空展」

ポスター「国民防空展」

 第一次世界大戦では、科学技術の発展を背景に、戦車や飛行機、毒ガスが用いられました。この大戦を契機に、軍事関係者は防空の必要性を認識しました。

 防空のためには飛行機の目印となる夜間の照明の制御や火災発生時の消火、負傷者の救助など、さまざまな作業が想定されました。これら全てを軍だけで行うことは困難なので、防空事業は銃後の国民を動員したものとなりました。昭和3年(1928)7月、大阪で日本初の大規模防空演習が挙行されました。九州で初めての防空演習は、昭和6年7月に行われた関門及び北九州防空演習です。この演習の予行として、福岡地区でも灯火管制が実施されました。

 防空の担い手である銃後の国民には、防空に関する正しい知識を身につけることが求められました。1930年代から40年代にかけて、書物はもちろんのこと、軍人による講演会や百貨店での防空展覧会、子どもたちに読み聞かせる紙芝居に至るまで、さまざまなメディアを介して防空知識が紹介されています。

「国民防空」
隣組の貼紙がある銅鑼 警鐘として使用されたという

隣組の貼紙がある銅鑼 警鐘として使用されたという

 防空は、大きく分けて、「軍防空」と「国民防空」の2つがあります。

 「軍防空」は軍隊が行う防空で、敵機の侵入を妨げ軍事拠点を防衛することを目的とします。

 「国民防空」は軍以外の者が行う防空で、空襲の被害を最小限に抑えることを目的としたものです。銃後の国民には、灯火管制の実施をはじめ、空襲時の消防、防毒、救助活動などが求められました。福岡市では、「国民防空」のための組織として昭和9年(1934)に防護団が結成されます。防護団は本部とエリア毎の分団で構成され、現役を離れた軍人、青年団員、消防組員と住民が団員となりました。防護団は防空訓練を通じて空襲に備えるとともに、他の住民への指導も行いました。防護団は昭和14年に自治的消防組織である消防組と統合され、新たな「国民防空」組織として警防団が発足します。

 昭和13年(1938)、5~15戸単位の住民による防空組織として、家庭防空組合が編成されます。家庭防空組合は、防護団と連携し「国民防空」の末端組織として機能しました。昭和15年に地方行政の補助機関として町内会などが作られ、その下部組織として10戸前後毎に隣組(となりぐみ)が編成されると、家庭防空組合の機能は隣組に移行します。太平洋戦争中の「国民防空」は、警防団と町内会・隣組によって担われました。

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

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