漢委奴国王の金印のほかに、『魏志倭人伝』にはもうひとつの金印が日本に伝わったという記事があります。景初(けいしょ)3年(239)、邪馬台国の女王であった卑弥呼が魏の都へ貢ぎ物を贈ったことにたいして授けられた金印です。「今汝を以て親魏倭王(しんぎわおう)と為し、金印紫綬を授ける」とありますから奴国王と同じ紫の組み紐が鈕に結わえてあったことが分かります。
 卑弥呼の使者をつとめた難升米(なしめ)と牛利(ごり)も銀印青綬を与えられたとあります。
 印綬はもともと公的なものですから、死後返還されるのが中国のなかでは通例であったようです。しかし当時の中国の都から遠方の地であった雲南省では、「てん王之印」が墓に納められた例もありますから、辺境の地倭の人々に与えられた印綬がそのまま日本のどこかに眠っている可能性は極めて高いのではないでしょうか。
 もし親魏倭王(しんぎわおう)の金印がみつかったら、そこは邪馬台国の有力候補地となることでしょう。

 

 親魏倭王(しんぎわおう)の金印は江戸時代から学者の関心が高かったようです。藤貞幹は著作「好古目録」に「宣和集古印」に掲載されたものを紹介しています。