福岡藩の時代


 黒田氏は黒田如水(じょすい)(=孝高:よしたか)の代に豊臣秀吉に仕え大名となりました。その子、長政は関ヶ原の戦で徳川方に味方し、1600(慶長5)年筑前国に封ぜられ、ここに外様大藩福岡藩が成立します。当初名島城に入りましたが土地が狭いため、博多の西隣り福崎(福岡)の地に新たに7年の歳月を費やして福岡城を築きました。城は山を切開き、浜を埋立てて作られました。長政は1605(慶長10)年に幕府に総高50万石余を届け、これが軍役の基準となりました。1623(元和9)年、長政の遺言により秋月、東蓮寺(とうれんじ:後の直方)の2支藩が成立しました。


御城内略図(福岡城)         


徳川家綱領知判物
 将軍徳川家綱が1664(寛文4)年全国の大名に一斉に与えたもので、寛文印知と呼ばれています。

徳川家康感状
 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦で、黒田長政の戦功に対して与えられたものです。

如水居士像 黒田如水(1546〜1604)


長政公像 黒田長政(1568〜1623)