福岡藩の時代


 江戸時代、幕府の「鎖国」令の結果、日本の対外交渉の窓口は長崎・対馬・薩摩・松前の四ヶ所に限られ、国交は1607(慶長12)年より朝鮮とのみ結ばれました。幕府は長崎で、キリスト教を伝えないオランダ、中国の商人にのみ貿易を許し、福岡藩には1641(寛永18)年に長崎港の警備を命じました。これを「長崎御番」と称し、翌年からは佐賀藩と交代で警備に当りました。また福岡藩は藍島(相島)で、朝鮮王国が両国の修好のため、徳川将軍就任祝に江戸に派遣する朝鮮通信使の接待に当たり、藩の文化人が彼らと詩文を交換しました。

ポルトガル船来航禁止制札      
1639(寛永16)年         


染付VOC文字双鳳文大皿とナイフ
 VOCは出島の商館を経営していたオランダ東インド会社のマーク、皿は海外輸出用で伊万里焼です。


        
           『朝鮮人来朝物語』

朝鮮通信使行列図巻 江戸時代


正保4(1647)年ポルトガル船入港時の長崎警備図



唐船・阿蘭陀船図