福岡藩の時代


 福岡藩は享保飢饉から農村を再建する政策をとりますが、同時に年貢増徴や国産品専売、運上銀と藩札発行などの政策がとられました。一方、こうした社会の中で学問の必要性は高まり、筑前には『農業全書』を著した宮崎安貞、儒学者・本草学者ながら筑前の地誌・歴史編纂をおこなった貝原益軒が出ます。特に益軒は以降の藩内の学問に影響を与えました。また、儒学で古学派の亀井南冥は政経の学をといて、筑前内外に多くの弟子をもちました。

藩札(左から)3分・3匁・10匁

『農業全書』
  宮崎安貞(1623〜1697)の著で実証的な農業技術書

黒田継高(1708〜1775)
 中期の藩主で50年にわたり藩政を執りました。

藩校修猷館(しゅうゆうかん)の額
 貝原益軒の流れをひき朱子学を教えました。



『筑前国続風土記』(右)
『黒田家譜』(左)
 貝原益軒の著作で以後に続編が作られます。

貝原益軒(1630〜1714)

藩校甘棠館(かんとうかん)の額
 亀井南冥が館長となりました。

『金印弁』亀井南冥著
 1784年に発見された金印の実証的研究です。
亀井南冥(1743〜1814)