福岡藩の時代


 福岡藩は長崎警備を勤めたため、西洋の学問の筑前への流入は早く、貞享年間には出島のオランダ外科医から直接に免状をうける藩医も出ました。19世紀になると海外情報を求めて藩主自らが西洋の地理学や博物学を学び、また蘭学を学んだ藩士を重用しました。一方、領内の医者の子弟には長崎でシーボルトに医学を学び、博多で人体解剖を行なった人もいました。幕末、彼らは藩政に登用され、西洋学問導入に努めました。また藩は、長崎に留学生を派遣しました。
   
シーボルト(1796〜1866)  
 出島オランダ商館の医師でした。


武谷元立(1785〜1852)
 鞍手郡出身でシーボルトに学び、
1841年、博多大浜で百武万里とともに
解剖を行ないました。



『万国輿地方全図』
  福岡藩士永井則(?〜1854)が刊行した
長方形型世界地図です。

黒田斉清(1795〜1851)
 蘭学を好みシーボルトにも面会した10代藩主です。




『舎密便覧(せいみびんらん)』
 福岡藩の長崎留学生河野禎造(1817
〜1871)が訳した化学書です。
オランダ外科医免状
  福岡藩医原三信が出島のオランダ外科医から受けたものです。



レメリン『人体解剖図』の写
 17世紀ヨーロッパの解剖書から原三信が作成したものです。