福岡の近代化

 アロー号は、博多で最初の運送会社を設立した村上義太郎(むらかみよしたろう)翁の資金と援助を受け、24歳の矢野倖一(やのこういち)が設計・製作しました。当時福岡ではフォードT型などを時折見かける程度で、参考資料もわずかでした。1913(大正2)年設計に着手しましたが、手に入れにくい部品もあり、製作は困難をきわめました。ベンツ社の技師ハルティンブッシュの指導や、福岡工業学校をはじめ、斎藤鉄工所(鋳鉄部品)、上海竜飛公司(ゼニス気化器)、九州帝国大学工学部、東京の武田鉄工所など国内・国外からの協力により、1916(大正5)年にようやく完成しました。製作に苦心した矢野青年の名にちなんで「Arrow(矢)」号と名付けられたこの車は、国産で動く自動車としては最古のものである。