| No.197 | |
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考古・民俗室
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| 平成14年2月13日(水)〜3月24日(日) | |
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祝部至善(ほうりしぜん)の描く博多の風俗
同じ魚の行商でも、イワシ売りは「なまいそわい」と触れながらあるいたそうです。姪浜などでとれたばかりのものを大急ぎで売り歩いたので、籠の中ではまだイワシがピチピチと跳ねまわっていました。大勢の売り子が博多の町中でわれ先にと売り歩き、町中に「なまいそわい」の声が響いていました。売り方もたいそうせわしなく、5匹ずつ掴(つか)んで大急ぎで数えながら売っていたといいます。 またカナギ(イカナゴ)は「かんだごわい」と触れながら歩いていましたが、イワシ売りとは対照的に売り子の数が少なく、升ではかりながらゆっくりと売り歩いていたそうです。 ▼あぶってかもう売り
アブッテカモはスズメダイの塩漬けで、「焙(あぶ)って咬(か)もう」がその語源。スズメダイは繁殖時になると大量に群れて、船の梶(かじ)をきるのも大変であったため「かじきり」とも呼ばれたと言います。その塩漬けもまた八百屋(やおや)で売られるほどで、ほとんどまともな魚としては扱われていませんでした。
家の前で「淡島さまに御報謝(ごほうしゃ)・・・」と呼びかける姿は「お粗末なすがたなりにきっちりとした身のこなしであった」といいます。淡島様への祈願者は櫛(くし)・笄(こうがい)などを奉納することになっていますので、右手の杖には淡島さまの御神像、更に奉仕者からの代参者への届けもの、女のかもじ、根からぷっつり断った黒髪などを下げていました。 こうした老女は、江戸時代にこの神の姿を入れた箱を背負って村々を歩きアワシマサマと呼ばれた修行者にその原形を見ることができます。 ▼キセルの竿替え
木箱を担いで「キセルーのさおーかえ」と特有の句調で歩きました。竿替えの注文を受けると、注文者の軒先がそのまま仕事場になりました。 のちに担ぎ荷は小さい車に載るようになり、キセルの具合を見るのに使う蒸気の吹き出しに、小さな笛をつけて触れ声の代わりとしていました。 ▼飴湯(あめゆ)売り
ガラスのコップに盛られた飴湯は口もつけられぬほどに熱かったのですが、なぜかこれは夏の夜の飲み物として売られていました。 祝部至善は、風呂帰りのおじいさんたちが、飴湯売りのバンコに腰掛け、うちわ片手にゆかたの片肌ぬぎで一服という姿を描いています。 「原風景」と「現風景」 現在、福岡に住むものとって、これまで取り上げてきたさまざまな風景は、すでに見ることのできない過去のものとなっています。そして、きわめて個人的な記憶の語りである原風景は、決してそのまま他人と共有することはできません。明治時代の物売りをなつかしむことができる人はほとんどいないと言ってよいでしょう。 ところが私たちは、こうした語りを材料とした郷土の歴史を見聞きし、また自分自身の体験をそこに重ね合わせることで、他人の原風景に共感を寄せることが少なからずあります。 例えば、祝部至善が見た明治時代の博多の風俗を、私たちは知りません。けれどもそこに何らかの「なつかしさ」を感じるとすれば、それは自分自身の歴史と、祝部至善をはじめとして多くの郷土史家たちが聞き、語り、作りあげてきた郷土の歴史の物語とを重ね合わせた結果と考えられるでしょう。 こうした「なつかしさ」への反応は、郷土に対して共感に基づく深い理解をもたらします。しかしいっぽうで、さまざまな媒体に乗って流布する、ごく個人的な記憶が、郷土の歴史として一般化し、それが「本当のこと」で、自分の経験は特殊なことのように感じられてしまう、という危険性も併せ持っています。 このような危険性を減らしていくために私たちに求められているのは、自らの原風景を積極的に語り、自分の拠って立つ場所を見つめ直すとともに、多くの人の原風景に耳を傾け、失いながらも心の中で欲している「原風景」への想いを現在の生活の中に活かしていくことではないでしょうか。 (松村利規) |
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