No.48
平成14年9月25日(火)発行


会期:平成14年11月19日(火)〜平成15年1月19日(日)
会場:部門別展示室2 黒田記念室


明治時代前期に輸出された
手彩色の写真



日露戦争の講和条約締結に反対して起きた暴動・日比谷焼き討ち事件(1905年9月5日)を伝えるステレオ写真
 日本で長崎や横浜に写真館が開業して約140年になります。
 明治時代の初めには、日本の風景や日本人の風俗を写した写真は、輸出用の商品でした。また、有名人のブロマイドや、史跡や景勝地などの写真は、現在も商品として流通しています。写真を印刷する技術が普及すると、絵葉書や写真集、新聞や雑誌などの挿絵としても、カメラで切り取られた映像が流通するようになりました。
 写真がない時代には、錦絵の眼鏡絵がありましたが、写真が登場すると、今度は、写真をつかって、よりリアルな立体視を楽しむ装置も登場しました。ステレオ写真と呼ばれるものです。わずかに視点をずらした2枚の写真を、左右に並べ、別々に見ることで立体感のある映像として認識できます。ステレオ写真専用のカメラも数々つくられ、「実体写真」などと銘打って、たくさんのシリーズのステレオ写真が販売されました。
 今回の展示では、人々の楽しみのために商品として流通した写真をとりあげます。日本で写真が商品になって約140年。私たち日本人を楽しませてくれた写真の歴史をご覧ください。

(太田暁子)

会期:平成14年11月19日(火)〜平成15年1月19日(日)
会場:部門別展示室1 歴史展示室
 

鉄庵道生の「博多八景」詩
 鎌倉時代末期、聖福寺(しょうふくじ)の禅僧鉄庵道生(てつあんどうしょう)は、「博多八景」と題して、博多の8つの風景をそれぞれ七言絶句(しちごんぜっく)の漢詩に詠んでいます。香椎暮雪(かしいぼせつ)にはじまり、筥崎蚕市(はこざきさんし)、長橋春潮(ながはししゅんちょう)、荘浜泛月(しょうはまはんげつ)、志賀独釣(しかどくちょう)、浦山秋晩(うらやましゅうばん)、一崎松行(いっさきしょうこう)、野古帰帆(のこきはん)の八景です。これは、中国の北宋時代に長江中流の洞庭湖(どうていこ)周辺の景色を詠んだ「瀟湘(しょうしょう)八景」にならい、博多湾を中国の洞庭湖の風景になぞらえて、日本で最初に八景をよんだもので、後の有名な「近江八景」や「金沢八景」のさきがけとなったものです。
 明和(めいわ)2(1765)年成立の『石城志(せきじょうし)』では、「博多八景」は濡衣夜雨(ぬれぎぬやう)、箱崎晴嵐(はこざきせいらん)、分杉秋月(わけすぎしゅうげつ)、奈多落雁(なたらくがん)、博多帰帆(はかたきはん)、横岳晩鐘(よこだけばんしょう)、竃山暮雪(かまどやまぼせつ)、名嶋夕照(なじませきしょう)のようになっています。その後も「博多八景」と題した漢詩や和歌、絵画がつくられましたが、今では「博多八景」という言い方を耳にすることはなくなりました。現代人には、もう博多の風景をめでる余裕はなくなったのでしょうか。
 この展覧会は、漢詩や絵画などで表現された「博多八景」とその変遷(へんせん)を紹介するものです。さあ、「博多八景」の世界をさがす旅に出かけてみましょう。

(林 文理)

「博多八景」のうち「博多帰帆」