No.1 黒田資料 その2



国宝 金印


大身槍 日本号


重文 大水牛脇立兜


国宝 刀 へし切長谷部
(写真提供 大塚巧芸社)


徳川家康感状
 関ヶ原の戦で、
長政の戦功をたたえている。



福岡図巻(部分)
当館のおもな黒田資料について
1 考古資料
 国宝「金印」1顆は江戸時代の半ばに志賀島(現在の福岡市東区志賀島)の農民によって発見され、やがて藩主に献上されたものですが、弥生時代のわが国と中国の交流を知る貴重な遺物。ほぼ常時、常設展示室(総合)の「奴国の時代」のコーナーで本物がみられます。

2 刀剣
 太刀1口、刀9口、脇差3口、短刀2口、薙刀3口、槍7口、刀装具42件、鍔6枚。このうち小田原の役の時に孝高が北条氏直からもらった国宝太刀「日光一文字」、同じく孝高が織田信長からもらった国宝太刀「へし切長谷部」、桃山時代の華やかさを反映した重文「金霰鮫打刀拵」、そして"酒はのめのめ"の黒田節で知られる大身槍「日本号」は有名。美しい槍「日本号」は常設展示室(部門別)の黒田記念室でほぼ常時みられます。

3 歴代藩主の甲冑
 甲冑15領、兜4頭、前立・脇立の替10件。このうち長政が関ヶ原合戦で着用した重文「一の谷形兜付 黒糸威胴丸具足」、同じく長政所用で変り兜の雄といわれる重文「大水牛脇立兜」、長政が家康から拝領したという「歯朶前立兜」は著名。なお、歴代藩主の甲冑が欠けることなくそろっているのは珍しいことです。これらの甲冑が一堂に会して展示されるのは、毎年5月の子供の節句のころ。この時は家臣の三奈木黒田家(旧福岡藩筆頭家老)や加藤家(三奈木黒田家の家臣)などの甲冑もいっしょに展示され壮観。

4 絵画58件
 これらは歴代藩主の肖像画(表紙の写真)、家臣団の「黒田二十四騎図」や幕末の「博多祇園山笠図」、斉藤秋圃の「太宰府鷽換図絵」など郷土に関わりが深いものが中心です。書画類は褪色予防など作品保護のためにそれぞれ年に1ヶ月間ぐらいしか展示しませんので、ご了承下さい。
5 書24件  中でも如水の和歌「仁と義と勇にやさしく心かけあふ人ことに敵と思ひて」は如水の気迫があらわれていて興味深いもの。

6 絵図58件
 このうち正保3(1646)年の「御国中絵図控」は初めて徳川幕府が全国の藩に命じてつくらせた国絵図として貴重。

7 武術書20件
 武将孝高、長政を先祖にもつ黒田家は、什宝のなかでも特に"武"に関した甲冑、刀剣、武術書を大切にしてきました。武術書のなかでも長政に呈された「御鉄炮之書」などは貴重。

8 その他83点
 最後の藩主長知の肖像写真や明治期の勲章、朱盃など。

9 古文書
 4000余件  織田信長から孝高に宛てた書状、豊臣秀吉の朱印状などを集めて大軸に仕立てた「御感書」をはじめ、中世末・近世の黒田氏を物語る貴重な資料。特に「御感書」は黒田家のだいじなものを記した「黒田御家御重宝故実」には筆頭家宝に挙げられている。貝原益軒が「黒田家譜」を編集するときに正確さを期するために使用したことでも知られる。

 以上、黒田資料が福岡市へ入ってきた経過と、当館所蔵分の一部を紹介しましたが、黒田資料のなかでもっとも有名なのが、小中学校の教科書にかならず掲載されているおなじみの国宝「金印」でしょう。逆にあまり有名でないのは5〜9の資料です。なにしろ数が多いという物理的な事情もあり、いっそうその整理や保存・研究を進めていく必要があります。しかし市民待望の福岡市博物館が開館したいま、すこしずつではありますが前述のようにテーマを決めて随時黒田記念室で展示してまいりたいと思っています。
 なお、美術館からは同時に、甲冑や刀剣などの加藤家の資料と、近世の博多を伝える書籍「筑前名所図会」を描いた奥村玉蘭の資料なども移管されました。  

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