No.15 三十六歌仙画帖



品質・形状 
画 絹本着色 歌 紙本墨書
寸法 画 竪 14.6 横 21.0
歌 竪 17.6 横 16.2
 和歌にすぐれた歌仙たちは、古くから崇敬され、様々なかたちで絵画化されてきました。三十六歌仙もその一つです。写真の「三十六歌仙画帖」は、江戸時代に制作されたもので、筑前の絵師狩野一信(1680年〜1756年)が絵を描き、福岡藩第4代藩主黒田綱政が和歌を執筆したといわれています。狩野一信は、狩野安信に師事したのち福岡藩の御用絵師となった狩野昌運(1637年〜1702年)の嗣子(しし)で、久米之助と称していました。彼は、父と同じく綱政に仕え御用をつとめていたのですが、父の死後は母方の和田姓を名乗り画業を廃して福岡藩士になったといいます。この画帖は、綱政に絵師として仕えていたときに制作されたものでしょう。
 画帖の一面には、上部に歌仙の名前と和歌を記した色紙が、下部に歌仙絵と狩野一信の印章である「藤一信」の朱文方印が押された絹が一枚ずつ貼付されています。この画帖の歌仙は、他の多くの歌仙絵のように藤原公任が選んだ「三十六人撰」とは異なり「後六々撰」や「新撰歌仙」などから36人を選んだものです。
 これらの歌仙は、朱の下線を引いた上に彩色し、さらにその上から墨線で輪郭をとる伝統的な描法がなされ、筆運びもなめらかです。像容は、直衣指貫(のうしさしぬき)・束帯姿の公家、袈裟姿の僧、十二単(じゅうにひとえ)姿の女房などいくつかのパターンに限られています。しかし、それを補うためでしょう、歌仙のポーズは、笏(しゃく)に両手をのせる、立て膝にしてくつろぐ、手に顎をのせて考え込むなど実に様々です。顔面の描写は、淡墨線で輪郭や目鼻をとり、少ない筆数で、よく表情をとらえています。また、公家や女房の衣裳は、鮮やかな顔料を厚く彩色し、衣文線など各所に金泥や銀泥をほどこしており画面は非常に華やかです。衣裳の文様も一つ一つを省略することなく描きこみ丁寧な仕上がりになっています。さらに、薄墨で彩色した上から濃墨で文様を描き、直衣の浮き文様を表現するといった高度な描法も各所に見られます。
 これまで、狩野一信の父昌運の絵画制作活動については注目され、また、高い評価がなされていたのですが、こうして見てくると息子の一信もかなり表現力のある絵師であったことがわかります。一信の作品が余り残されていない現在、この「三十六歌仙画帖」は一信の絵画制作活動を知る上で貴重な資料といえるでしょう。
 なお、描かれた歌仙は異なりますが、父昌運の制作した「三十六歌仙画帖」も粕屋郡新宮町の磯崎神社に現存しています。
(下原 美保)