No.17 名島(なじま)古墳出土の銅鏡



名島古墳出土の三角縁神獣鏡
 常設展示のなかに所々を石膏で復元した銅鏡があります。この鏡は、福岡市の北東部、多々良川河口の丘陵頂部(標高39メートル)で出土しました。1978年、宅地造成後、考古学に関心のある市民の方が鏡の破片を発見してはじめて古墳の存在が明らかになったのです。そして2度にわたる調査で、この地は全長30メートルほどの前方後円墳であることがわかり、名島古墳と命名されました。
 この鏡は、縁の断面が三角形で、鏡背に神や仙人をモチーフとする意匠があることから、一般に三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)といわれます。内側の紋様帯は、中央の鈕に向かって六区に分割され、三尊形の神像と獣を交互に配していることから、「三角縁九神三獣鏡(さんかくえんきゅうしんさんじゅうきょう)」と分類されます。
 三角縁神獣鏡には、同じ鋳型あるいは原型で作られたものが多くあるのが特徴です。名島古墳と同じ図像の鏡は、これまで二面、奈良県都祁村白石光伝寺裏(つげむらしらいしこうでんじうら)と愛媛県今治市桜井の国分(こくぶ)古墳で確認されました。それらによると、鏡の直径は22センチほどで、鏡背側に緩く反る凸面鏡と考えられます。また図像をとりまく銘帯は「吾作明竟甚大好長保二親宜子孫 浮由天下敖四海 君宜高官」の25文字になります。
 三角縁神獣鏡のなかには、中国の景初3年(239年)や正始元年(240年)の年号を鋳出したものがみられることから卑弥呼が魏から贈られた鏡の有力な候補になってます。当時の有力者は、銅鏡につよい関心を寄せていたようで、このことは墳墓から出土する鏡が副葬品中最も重要な部分を占めていることからも伺えます。銅鏡は、卑弥呼の没後しばらくして各地の首長に配布され、後に彼らの墓に副葬されたようです。福岡市内では名島古墳を含めて8面の三角縁神獣鏡が見つかっていますが、名島例は、復元された古墳の形状や副葬遺物からみて最も初期の段階に位置づけることができます。被葬者は大和政権に縁があって銅鏡を貰い前方後円墳を築造したのでしょう。鏡面に付着した繊維や朱から、鏡は布に包まれて1700年ほども地中に眠っていたのです。古墳があった場所は、博多湾を見晴らす景観から少なからず対外交渉に関わった人物かもしれません。かつて白銅質の鏡面にその風貌を写したことでしょう。
(常松 幹雄)