
亀山上皇像 |
明治37(1904)年、東公園に亀山上皇像と日蓮上人像が完成しました。この二つの銅像は、“元寇記念”として造られたものです。ここで紹介するのは、銅像の完成から遡(さかのぼ)ること15年余、明治22年に元寇記念碑建設のための義捐金(ぎえんきん)募集を呼掛けた広告です。
写真からもわかるように、この広告の完成予想図の銅像は、亀山上皇像でも日蓮上人像でもありません。広告がつくられた当時、元寇記念碑として計画されていたのは、元寇のときの鎌倉幕府の執権(しっけん)・北条時宗の騎馬像だったのです。北条時宗から亀山上皇へ、どうして銅像のモデルは変更されたのでしょうか。昭和6(1931)年に福岡日日新聞の記者・望月見吉が書いた「福岡県会物語」(『福岡県議会史 明治編下巻』所収)によれば、つぎのような経緯があったようです。
明治21年以来の義捐金募集キャンペーンで、「元寇記念碑建設基金」ができましたが、明治25年の衆議院総選挙で、政府が与党候補者を有利にするために警察権力や金銭などを利用して選挙に干渉した「選挙大干渉」で、この基金も使い果たしてしまいました。ちょうどその頃、日蓮宗は日蓮上人像の建設許可を願い出ていました。福岡県知事は建設許可を与えるとともに、元寇記念碑建設への資金協力を要請しました。この時、幕政を批判した日蓮を佐渡に流した北条時宗ではまずかろうということで、記念碑の銅像は、元寇のときの上皇である亀山上皇に変更されたのです。
(太田暁子)

元寇記念碑建設義捐金募集広告 |
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