• ホーム
  • No.501 「あたためる」道具

企画展示

企画展示室3
「あたためる」道具

平成29年10月17日(火)~12月10日(日)

 本展では、冬の到来に先立ち、当館が所蔵する、身体や空間をあたためる道具を紹介します。現在ではみられなくなったものもあれば、技術の進歩によってかたちを変えながら使われ続けているものもあります。今や懐かしさを感じる道具も多いかもしれません。これらの道具の素材やデザインを楽しみつつ、先人たちによる暖を得る知恵や工夫、当時のくらしの諸相をみていきましょう。

❶ 炉(ろ)とくらし
写真1 自在鉤
写真1 自在鉤

 火の利用は、人類の営為に革新を起こした大きな出来事でした。火と暖の関わりは深く、人びとは暖を得るために、火を操る道具をうみだし、工夫をかさねてきました。その古い姿を炉の火にみることができます。炉は、床を方形に切って火を燃やし、暖をとったり、ものを煮炊きしたりするところ(『日本国語大辞典』)です。

 今やほぼ姿を消した囲炉裏(いろり)は、炉の一種で「ユルリ」ともいわれ、家の土間(どま)に近い「ナカノマ」などと呼ばれる部屋に設けられていました。天井から自在鉤(じざいかぎ)(写真1)を吊るし、火床(ひどこ)には五徳(ごとく)とよばれる金輪(かなわ)を据(す)えることが多かったようです。家族が集まり食事をともにするなど家の中心であった囲炉裏には、家の主人、主婦、客それぞれに決まった座席があり、土間からみて正面奥に位置する主人の席を「ヨコザ」と呼んでいました。博多などのマチでは、囲炉裏のある家は少なく、代わりに火鉢(ひばち)や炬燵(こたつ)が用いられていました。

❷ あたためる道具
写真2 火鉢
写真2 火鉢
写真3 合炬燵図
写真3 合炬燵図

 「あたためる」道具は、「採暖(さいだん)」具と「暖房」具にわけられます。採暖具は、発熱源の近くに身を寄せて身体をあたためる道具のことです。「寒さをしのぐ」意味合いの強い道具といえます。例えば、炬燵、湯たんぽ、懐炉(かいろ)などがそうです。暖房具は、加熱された空気の対流によって室内全体をあたためる道具です。壁暖炉やストーブなどがこれに当たります。囲炉裏や火鉢は、暖房機能も有しているので両方を兼ねたものといえます。

 こうしてみると、日本で古くから使われてきたものの多くが採暖具であることに気づきます。これは、日本の住居構造が、湿度の高い日本の気候を考慮したものであり、断熱性や気密性のもとに効果を発揮する暖房具はうまく機能しなかったためと考えられます。

 では、具体的に「あたためる」道具をみていきましょう。

 まずは長い歴史をもつ「火鉢」です。火鉢は、なかに灰を入れ、その上で炭を燃やし手足をあたためるものです。時代によって多少かたちは異なりますが、「火舎(かしゃ)」(奈良時代)「火桶(ひおけ)」「炭櫃(すびつ)」(平安時代)とも呼ばれました。かつて炭は高価なものであったため、火鉢はおもに上流階級の間で広まり、庶民に普及したのは江戸時代といわれています。ほかの採暖具とくらべると木・金属・陶磁器など、素材が幅広く、装飾性が高いのが特徴です。調度品として、漆(うるし)や螺鈿(らでん)を用いた豪華(ごうか)なものもありました。

 家庭で重宝された火鉢も、用途に応じて使いわけられていました。例えば招客の際には、贅沢(ぜいたく)な素材を用いた火鉢を出し、普段は煙草(たばこ)や耳かきなどの日常使いの道具も収納できる長火鉢(ながひばち)を使うといったようにです。火鉢は多くが座敷用ですが、洋風建築向けの背の高い火鉢もみられます。また、大人数で用いる大火鉢や一人用の手焙(てあぶ)りなどバリエーションが豊かです。

 次に紹介するのは、一度入ると出たくなくなる「炬燵」です。

 炬燵は、「掘炬燵(ほりごたつ)」と「置炬燵(おきごたつ)」にわけることができます。掘炬燵は、炉または囲炉裏の上に櫓(やぐら)を置いて布団をかけたもの、置炬燵は火鉢の上に櫓を組んで布団で覆ったものを指します。掘炬燵が歴史的に古く、火鉢や木綿布団の利用が進む江戸時代に置炬燵が発達したとされています。とくに置炬燵は時と場所を選んで使えるという利点があります。その火容(ひいれ)(炭を入れる土製の容器)には蓋(ふた)のないもののほか、安全性を考慮して蓋を付けたものや、燃料の出し入れに便利な工夫がみられるものもあります。

 炬燵の櫓にも側面に火容の取り出し口が付いたものや、足で蹴(け)っても火容が倒れないよう、水平を保つ仕組みの通称「安全炬燵」などがありました。便利な炬燵ではありましたが、通気不足による一酸化炭素中毒や火傷(やけど)といった安全性の課題もあり、火を熱源とせず温度調整ができる電気炬燵の登場によって、従来の炬燵は次第に使われなくなりました。

 「湯たんぽ」は、容器に熱湯を入れ、布で包み暖をとる道具です。江戸時代の記録には、銅製のものが使われたとあります。明治時代以降に、盛んに使われていたのは陶製湯たんぽです。熱湯がこぼれないように木の栓をして布に包み使いますが、重く割れやすいのが難点でした。ブリキ製の平たい楕円形の湯たんぽも同じ頃につくられるようになります。ブリキなどの金属は熱伝導率が高いのが特徴で、表面が波状になっています。その後安全性が考慮され、ゴムやプラスティック製のものが製造されるようになりました。

 ほかにも、軽量で、可動性に優れた「懐炉」があります。懐炉灰で火を包み金属の容器に入れて使います。かつては焼石を用いた温石(おんじゃく)が使われていました。今日では、鉄が空気中の酸素と化学反応するときに発する熱を利用した懐炉が冬に活躍しています。

❸ 採暖から暖房へ
写真4 ガスストーブ
写真4 ガスストーブ

 暖房具の代表格といえば「ストーブ」です。ストーブは、薪(まき)や石炭、石油、ガス、電気を用いて空間全体をあたためる装置です。英語では暖房器具と調理器具の両方の意味がありますが、日本でいうところのストーブは、もっぱら暖房具という意味で使われています。

 日本には江戸時代にはじめて輸入されたといわれています。文政(ぶんせい)年間の記録『横浜奇談(よこはまきだん)』には、「あたたかきこと三四月のごとし」とあり、当時ストーブの熱を体験した人は、おどろきを肌で感じたことでしょう。その後ストーブは、蝦夷地(えぞち)(現北海道)でいち早く受容されます。北方警備に従事する人びとの防寒対策として、同地に入港していたイギリス船内にあったものを模してつくられたものでした。

 当初ストーブは、費用や住居構造の制約もあって、限られた人びとによってのみ利用されていました。多くの家庭では、従来の採暖具である火鉢や炬燵、囲炉裏が使われていました。ストーブの普及が進むのは、戦後しばらくたった昭和40年代といわれています。高度経済成長による所得の向上、生活様式の西洋化などが後押しとなりました。その後、燃焼性や安全性、操作性などの性能が一段と進化し、自動で室温調節ができるファンヒーターも流通しました。

 いっぽうで、長い間変使われ続けてきた囲炉裏や火鉢は、世代によって「懐かしい道具」、博物館や資料館にある「昔の道具」として位置づけられるようになりました。

 さらに「あたためる」道具には、江戸時代以降、旧暦10月(新暦では11月)の初亥の日に「炉開き」「炬燵開き」と称して使いはじめるなど、暦と深い関わりがありましたが、今や律儀にこれを守る家庭はほとんどなく、こうした季節感も忘れ去られようとしています。

 本展を契機に、この冬は、あたためる道具の歴史や人びとのくらしについて考えてみてはいかがでしょうか。
(河口綾香)

おもな展示資料

・自在鉤 近代 市歴資料
・十能 近代 野間吉夫資料
・火箸 近代 市歴資料
・灰均 近代 野間吉夫資料
・五徳 近代 南区民俗文化財保存会資料
・「新版ざしき道具図」 安政6年 館蔵
・火鉢 近代 市歴資料、原孝彦資料ほか
・「合炬燵図」江戸時代中期 館蔵 
・炬燵 近代 山本儀七郎資料ほか
・湯たんぽ 近代 南区民俗文化財保存会資料ほか
・懐炉 近代 南区民俗文化財保存会資料ほか
・石炭ストーブ 大正~昭和時代 市歴資料
・ガスストーブ 大正末期~昭和初期 吉野忠記資料
・石油ストーブ 昭和36年購入 髙山慶太郎資料
・電気ストーブ 大正~昭和時代 九州エネルギー館資料

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011 FAX:092-845-5019

PAGETOP