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  • No.513 甲冑にみる江戸時代展5―武士と武人の甲冑像―

企画展示

企画展示室3
甲冑にみる江戸時代展5―武士と武人の甲冑像―

平成30年4月24日(火)~6月24日(日)

22 猪の目前立八間筋兜
22 猪の目前立八間筋兜

 この展示は、本館収蔵の江戸時代の復古調(ふっこちょう)の甲冑を中心に、福岡藩の武将(ぶしょう)や歴史上の武人(ぶじん)の肖像画をあわせて展示し、江戸時代当時の武士だけでなく庶民まで様々な人々の、甲冑への関心や思いを紹介します。

江戸時代初めの当世具足

 日本では戦国時代中頃から、桃山(ももやま)時代にかけて、鉄板を張り合わせた頭形兜(ずなりかぶと)と、鉄板などを張り重ねた桶側胴(おけがわどう)で作る当世具足(とうせいぐそく)が発達します。伝統的な甲冑よりも鉄砲などへの防御(ぼうぎょ)に優(すぐ)れ、またそれらが大量に生産されると、軍勢の動員数も増加し合戦も大掛かりとなって、ついに天下統一が実現しました。

福岡藩主と家臣の当世具足像

 当世具足を着用した武将や武士の絵画として有名なのが福岡藩の初代藩主黒田長政(くろだながまさ)の馬上(ばじょう)像です。馬上像は室町(むろまち)時代以来、武家の伝統的な肖像といわれますが、長政は陣羽織(じんばおり)に黒糸威(くろいとおどし)の桶側胴と、一の谷形兜(いちのたになりかぶと)の典型的な当世具足の姿で、まさに江戸時代初期の武将の姿です。長政には大水牛脇立桃形兜(だいすいぎゅうわきたてももなりかぶと)姿で、 床几(しょうぎ)に座った江戸時代特有の武将像もあります。家臣の当世具足姿を描いたものには、黒田官兵衛(かんべえ)(如水<じょすい>)の家臣の井手友氏(いでともうじ)像や、家老大音重成(かろうおおとしげなり)の像があり、後者には天草(あまくさ)・島原一揆(しまばらいっき)の原城攻めに参加して、二代藩主忠之(ただゆき)から拝領した烏帽子(えぼし)形兜と彼の当世具足が描かれています。

武家のお抱え絵師たちの甲冑像

 天下泰平(てんかたいへい)の世には、武家では甲冑姿が武士の象徴(しょうちょう)として理想化されました。家の先祖(せんぞ)であれ、歴史上の実在の人物であれ、鎌倉(かまくら)時代風の古風な大鎧(おおよろい)や室町(むろまち)時代風の胴丸(どうまる)姿で、絵画的に華やかに見える甲冑を着た武将・武人像を描くことが、武家のお抱(かか)え絵師たちには求められました。この時代の武家社会の絵画の世界で権威(けんい)であった狩野派(かのうは)の絵師も、甲冑姿を手本(てほん)に基づいて描いたといわれ、筑前直方(ちくぜんのうがた)の林守篤(はやしもりあつ)が著した画筌(がせん)の中の図もその一つです。

 江戸時代の中頃から描かれ始めた、福岡藩の黒田二十四騎(くろだにじゅうよんき)図も、はじめはそのような想像の大鎧風の姿でした。また長政像でも、室町時代風の古風な鎧を着て、大水牛風の兜を被(かぶ)った馬上像や、大鎧姿の床几坐像(しょうぎざぞう)が出現しました。家臣像でも2代藩主忠之(ただゆき)に仕えた、家老郡正太夫(こおりしょうたゆう)の床几坐像があります。これら想像上の甲冑を着た武士たちは、華やかな合戦の群像に特に多く登場します。

11 黒田長政像
11 黒田長政像
古風な甲冑の伝来と復古調の流行

 江戸時代の武士の家には、もともと先祖伝来の室町・戦国時代風の甲冑を伝える家もあり、特に家に伝わりやすい兜は、張り合わせの鉄板が八や一六で、間数(けんすう)が少ない筋兜(すじかぶと)や阿古陀(あこだ)形兜を持つ家も多かったことでしょう。

 さらに太平の世が続くと、伝統を重んじた古式、復古調の重厚(じゅうこう)な甲冑も好まれ製作されます。それらは小札(こさね)を威糸(おどしいと)で縫い合わせる古風な鎧や胴丸に似せた桶側胴、張り合わせる鉄板数が六〇以上もある筋兜など、江戸時代に可能になった細かな金工の技術で製作した甲冑もありました。家の永続(えいぞく)を重んじる武士、とくに大名家などでは、室町時代風の甲冑を着初めに使う家もあり、大名の黒田氏もその一つです。

具足製作者と実用書の中の甲冑画

 福岡藩では、藩にお抱え具足師(ぐそくし)・田中家があり、江戸時代中期には、古くなった江戸時代初期や前期の藩主の甲冑の修理(しゅうり)や、後期の藩主たちの新しい甲冑の製作にも携わりました。修理や修復という家業(かぎょうがら )柄、様々な甲冑の描かれた絵図集などを持っていました。

 また太平(たいへい)の世も末になると、武士にとっても甲冑の着方自体(きかたじたい)がわからず解説が必要になり、着付けの実用書(じつようしょ)が出版されています。その中の挿画(そうが)の当世具足は類型的ですが、身に着け方が特徴を捉えてうまく描かれています。

町絵師の描く武将・武人の甲冑像

 江戸時代後期には、日本の歴史や文学の知識が豊富になり、それを題材として筑前(ちくぜん)でも斉藤秋圃(さいとうしゅうほ)など一般の町絵師も、大鎧風(おおよろいふう)の理想的、あるいは手本を元にした室町風の古風な甲冑姿の人物を描きます。これら鎌倉時代から南北朝(なんぼくちょう)時代の甲冑は、現物をみて正確に描かれたわけではありません。しかし実在の人物ではなく歴史に題材をとった小説、軍記物(ぐんきもの)、子供向けの読み物では、想像上の大鎧風の甲冑を着た人物たちが大活躍です。かれら絵師たちには、正確さよりも甲冑を着た武士たちの躍動的(やくどうてき)な姿こそが魅力だったのでしょう。

庶民の世界の中の甲冑画

 江戸時代の庶民が見る武士の甲冑姿は、当世具足姿での軍勢(ぐんぜい)の行進などでしょうが、平和な時代が続くとそれらも少なくなり、幕末には武士の軍装も重い甲冑ではなく、陣羽織(じんばおり)、陣笠(じんがさ)などの軽装になりました。

 それにもかかわらず江戸時代の絵師たちの描く武士の甲冑像は、庶民の生活、文化の中に盛んに取り入れられました。華やかさを求める歌舞伎絵(かぶきえ)や浮世絵(うきよえ)、面白さが大事な読本(よみほん)では、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)など作者も江戸時代の武士の世界を直接の舞台にせず、一昔以前の時代に仮託(かたく)して扱うことが多く、その時は大鎧や室町風の、想像上の甲冑がむしろぴったりでした。

 福岡藩の博多では、祇園山笠(ぎおんやまかさ)の人形には、神話や古代・中世の軍記(ぐんき)に題材にとった、古風な大鎧風の甲冑を着た人形が出てきます。博多の文人(ぶんじん)奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)の『筑前名所図会(めいしょずえ)』に描かれた合戦図は、戦国時代でも大鎧風です。神社仏閣に奉納される絵馬の甲冑姿も大鎧風でした。

48 秋月藩諸士章・冑・立物図画帳
48 秋月藩諸士章・冑・立物図画帳
正確な甲冑姿の武士・武人像

 福岡藩では十九世紀の十代藩主で博物学を好んだ黒田斉清(なりきよ)の時代に、二十四騎の子孫の家に残された、肖像画や当世具足の本格的調査が行われ、以後この調査をもとに、お抱え絵師による当世具足を着た長政と三奈木(みなぎ)黒田一成(かずなり)、母里太兵衛(もりたへえ)など描いた、ほぼ正確な甲冑姿の二十四騎図が描かれました。また支藩秋月(あきづき)藩では島原(しまばら)・天草(あまくさ)の一揆の際の、出陣図製作のため、家臣の兜が調査されました。

 また学問上で歴史の興味が盛んになった江戸時代中期以降は、歴史的事件や人物の肖像の正確な写しも作られ、福岡藩の国学者(こくがくしゃ)・青柳種信(たねのぶ)の集めた武肖像や、蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)の模本などがあります。

西洋人の見た甲冑

 幕末から明治になると西洋人が再び日本を見直すこととなりました。そのため、有名なシーボルトや来日した外国人ジャーナリストが紹介した武士と甲冑が、ビジュアルな版画(はんが)、絵入りニュース、本の挿絵(さしえ)に残されています。そこには東洋の不思議なものとしてのエキゾチックな好奇心があふれているといえ、現代でも西洋の人たちが日本を想像する手がかりとなっています。
(又野誠)

出品資料(作品保護のため会期中一部展示替えをします)

1、鉄錆地桃形鬼面前立(てつさびじももなりきめんまえたて)兜・紺糸威(こんいとおどし)五枚胴具足 一領
2、瓦頭立置手拭形(かわらずたておきてぬぐいなり)兜・紺糸威五枚胴具足 一領
3、黒田長政像(一の谷形兜・馬上像) 一幅
4、黒田長政像(大水牛脇<わき>立兜・床几座像) 一幅
5、井手友氏(いでともうじ)像 一幅
6、大音重成(おおとしげなり)像 一幅
7、画筌(がせん)(林守篤<はやしもりあつ>作) 五冊の内
8、大江山(おおえやま)絵巻粉本 一巻
9、木曽義仲(きそよしなか)・巴御前(ともえごぜん)像(衣笠守昌<きぬがさもりまさ>画) 一幅
10、黒田二十四騎像 一幅
11、黒田長政像(床几坐像) 一幅
12、黒田長政像(石里洞秀<いしざとどうしゅう>画、大水牛兜馬上像) 一幅
13、郡正太夫(こおりしょうたゆう)像 一幅
14、武士像(上田主貞<うえだしゅてい>画) 一幅
15、合戦図下絵 一幅
16、馬上武者像(細川澄元<ほそかわすみもと>像) 一幅
17、柊前立(ひいらぎまえたて)三十二間覆輪(ふくりん)筋兜・紺糸威二枚胴具足 一領
18、烏帽子(えぼし)形兜・緑革糸威二枚胴具足 一領
19、獅噛(しかみ)前立六十二間星<ほし>兜・紺糸威二枚胴具足 一領
20、鍬形(くわがた)前立六十二間星兜・紺糸威二枚胴具足 一領
21、蝙蝠(こうもり)前立六十二間星兜・紺糸威二枚胴具足 一領
22、伝統的兜(筋<すじ>兜、星<ほし>兜) 七頭の内
23、田中定増(さだます)像 一幅
24、田中定次(さだつぐ)像 一幅
25、甲冑素描(そびょう)集 一冊
26、甲冑温知録(おんちろく) 一冊
27、稜威武徳(りょういぶとく)録 一冊
28、具足着方手順(ぐそくきかたてじゅん)乃歌 一帖
29、懐宝(ふところたから)甲冑速用便覧(そくようびんらん) 一冊
30、武器二百(ぶきにひゃく)図 一帖
31、備後(びんご)三郎像(児島高徳像・斉藤秋圃<さいとうしゅうほ>画) 一幅
32、楠公書見(なんこうしょけん)之図(斉藤秋圃画) 一幅
33、菊池武光大刀洗(きくちたけみつたちあらい)之図(斉藤秋圃画) 一幅
34、新編曽我(そが)物語 一冊
35、源平盛衰(げんぺいせいすい)記図会 三冊
36、蒙古退治御旗曼荼羅(もうこたいじみはたまんだら)記 一冊
37、鎮西菊池(ちんぜいきくち)軍記 一冊
38、徳川十二善神将図 一枚
39、山笠下絵(那須与一 村田東圃画)二幅
40、博多祇園山笠図(三笘英之画) 一幅
41、歌舞伎絵・浮世絵(武蔵坊弁慶<むさしぼうべんけい>、上杉謙信) 二枚
42、筑前名所図会(立花山合戦ほか) 一〇冊の内
43、武者絵馬(柳々居辰斎画) 一枚
44、黒田二十四騎図 一幅
45、黒田二十四騎図巻 一巻
46、黒田二十四騎図(尾形探香<おがたたんこう>画) 一幅
47、黒田二十四騎図(佐伯氏画) 一幅
48、秋月藩諸士章・冑・立物図画帳 一冊
49、蒙古襲来絵詞模本(もうこしゅうらいえことばもほん) 一巻
50、武将肖像写(青柳種信(あおやぎたねのぶ)収集) 三枚
51、シーボルト「日本」版画 二枚
52、イラストレッテドロンドンニュース 二枚
53、洋書「日本風俗紹介」(甲冑姿の人々) 二冊の内

出品協力者、出品順、敬称略

加藤昭、篠原正路、黒田長高、井手道子、三友シヅ、 山中榮一、武部自一、大音繁太・重成、清沢又四郎、吉井喜雄、松本英一郎、梅野初平、伊藤達也、星野 宜義、田中雄助、木下禾大、橋本友美、奥村俊介、 三所神社、宮崎安尚。

(参考文献)
笹間良彦『図録日本の甲冑武具事典』(柏書房 1981年)
『福岡市博物館所蔵黒田家の甲冑と刀剣』(平成6年)
藤本正行『鎧をまとう人びと』(吉川弘文館 2000年)
福岡市博物館特別展図録『黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界』(平成20年)など

福岡市博物館
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