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  • No.516 戦争とわたしたちのくらし27

企画展示

企画展示室4
戦争とわたしたちのくらし27

平成30年6月12日(火)~8月26日(日)

はじめに
ポスター「湧き立つ感謝 燃え立つ援護」
ポスター「湧き立つ感謝 燃え立つ援護」

 昭和二〇年(一九四五)六月一九日深夜から翌日未明にかけて、アメリカ軍の長距離爆撃機Bー29の大編隊から投下された焼夷弾(しょういだん)により、福岡市の中心部は焼け野原になりました。特に、博多部は甚大な被害をうけました。福岡市は、この日を「福岡大空襲の日」としています。福岡市博物館でも、平成三年から六月一九日前後に企画展示「戦争とわたしたちのくらし」を開催し、戦時期におけるひとびとのくらしのあり方を、さまざまな観点から紹介してきました。

 二七回目となる今回は戦時期の宣伝を紹介します。戦時期の雑誌やポスターには、政府の政策を反映したスローガンや戦争を想起させる図案が多くみられます。その文言や図案は、政府や公的機関の発行物にとどまらず、駅弁ラベルのような民間企業が製作する商品パッケージにまで浸透しました。戦時期の宣伝は、政府のメッセージを「銃後の国民」に伝えるとともに、戦争遂行に向けた国民の意識向上に大きな役割を果たしました。

 戦時期のデザインや言葉にふれることで、戦争と平和を考える機会になれば幸いです。

新発見 福岡大空襲の日記

 福岡大空襲が起こった日を、福岡のひとびとはどのように過ごしていたのでしょうか。博物館で整理をすすめている資料群の中から昭和二〇年の日記帳が見つかりました。福岡市内に在住していた男性が書いたものです。空襲から七〇年以上が経過した今日において、当時書かれた日記の発見は非常に貴重です。

 日記には、六月一九日と二〇日の両日にわたって、空襲と空襲後の福岡市の様子が綴(つづ)られています。男性は市内住吉(現 博多区)に住んでおり、新柳町(現 中央区)で火災が起きるのを目撃しました。日付変更頃には博多部や天神が壊滅的な被害を受けたと記しています。Bー29が飛び去った後、男性は近所から西公園(現 中央区)までの状況を目の当たりにし、「柳橋より新柳町半分焼失」、「天神町全部、赤坂門、兵営と下ノ橋全部惨たんたり」とまとめました。日記からは、感情を抑え冷静に市内の被害を見極める姿勢がうかがえます。

歴史にみる玄界島
ポスター「胸を張つて歩きませう」(原画:清水崑)
ポスター「胸を張つて歩きませう」(原画:清水崑)

 日本政府の政策を国内・国外に発信することは、政策を担当する各省の仕事でした。しかし、昭和一〇年代に入ると情報の統一性を担保する調整機関の整備がすすめられ、昭和一一年(一九三六)に内閣情報委員会が設置されます。内閣情報委員会は各省の政策や軍部の方針を広く周知させるため、同年九月から週刊誌『週報』を発行し、さらに昭和一三年には写真などのビジュアル面を強化した『写真週報』を創刊しました。内閣情報委員会は情報部へ改組され、昭和一五年には情報局に昇格して組織を拡充しましたが、情報発信機能の統一にはいたらず、各省の情報発信の連絡調整役にとどまりました。

 政府を中心とする宣伝・広報に協力したのが、画家や漫画家、写真家、デザイナー、コピーライターたちでした。彼らは、専門家ごとの団体に所属し、ポスターのイラストやデザイン、標語の提供を行いました。また、雑誌や新聞、紙芝居なども、戦時期を反映したデザインやフレーズ、テーマを採用し、政府の宣伝を増幅する役割を担いました。

戦時ポスターの世界

 銃後の国民に向けて戦争への自発的協力を求めるポスターは、国債購入、貯蓄、軍人援護、資源供出、志願兵募集などのテーマで作成されました。図柄は、前線兵士や兵器、戦争の目標を描いたものと、銃後の国民の理想的な姿を描いたものが多く見られます。ポスターを見る者には、前線兵士と労苦を共有し、戦争の目的を理解し、銃後の国民にふさわしいふるまいを身につけることが期待されました。ポスターのフレーズは、「たのむぞ石炭」のように読者へ向かって発される文言や、「いざ見せん俺等の実力」のように読者を含めた銃後の国民から発されたような言葉が用いられました。

ポスター「たのむぞ石炭」(原案:高橋春人)
ポスター「たのむぞ石炭」(原案:高橋春人)
駅弁ラベルにみる戦時

 おもに鉄道駅で販売される弁当(駅弁)は、起源は諸説ありますがおよそ明治一〇年代に誕生したとされています。明治二〇年代後半には折り箱に掛け紙(ラベル)が使用されるようになりました。ラベルは、明治時代は木版刷が主でしたが、大正時代から昭和時代初期には石版刷となり、その後はオフセット印刷も使用されます。印刷技術の向上とともに、駅附近の観光地を描いた色鮮やかなラベルが多く製作されました。駅弁ラベルは広告・デザインとして成長を遂げます。

 日中戦争が始まってから、駅弁ラベルにも戦争の影響が見られるようになります。まず、兵士や兵器、日章旗などの戦争を象徴する図柄が採用されました。また、文言には「輝く戦果に感謝の貯蓄」、「総力戦一人一人がみな戦士」といった戦時標語が使用されました。標語は駅弁の特性上、「米一粒も国家の資源」のような食料に関するもの、「輸送力は兵器だ」のような輸送に関するものが多く選ばれています。また、軍用列車で移動する兵士に支給される弁当(軍弁)も多く製造されました。



駅弁ラベル(かしわ飯)
駅弁ラベル(かしわ飯)

 駅弁ラベルからは、当時の食料事情をうかがうことができます。折尾駅(現 北九州八幡西区)で販売された「かしわ飯」のラベルには、「本日は肉なし日」とスタンプが捺されており、食料を節約したことがわかります。昭和一五年、物価高騰への対策として駅弁にも公定価格が導入され、駅弁ラベルに「公」の文字が印刷されました。翌年には、価格高騰を止める意味の「停」の文字が印刷されるようになります。米の不足が顕著になると、米の代わりにサツマイモなどを使用した「代用食」駅弁もあらわれました。戦争末期には駅弁がほとんど販売されなくなりました。 (野島義敬)

【主な展示資料】 ※以外はすべて館蔵

新発見 福岡大空襲の日記
・日記帳   昭和20年 山崎又雄/執筆 ※個人蔵

戦時宣伝の担い手
・ポスター「臣道実践」 昭和戦中期 大政翼賛会国民生活指導部/発行 
・ポスター「胸を張って歩きませう」 昭和戦中期 大政翼賛会宣伝部/発行 
・ポスター「貯蓄スルダケ強クナル」 昭和17年 大蔵省ほか/作成
・大東亜建設画報 昭和17年 東方社/編集 日本電報通信社出版部/発行
・生産力増強総進軍漫画双六 昭和戦中期 大日本産業報国会普及部/作成
・紙芝居「ケンミン」 昭和18年 全甲社紙芝居刊行会/発行

戦時ポスターの世界
・ポスター「支那事変国債」 昭和14年 大蔵省/発行
・ポスター「貯蓄で築け新東亜」 昭和14年 大蔵省/発行
・ポスター「いざ見せん俺等の実力」 昭和戦中期 大日本労務報国会ほか/主催 
・ポスター「たのむぞ石炭」 昭和19年 軍需省・石炭統制会/発行
・ポスター「湧き立つ感謝 燃え立つ援護」 昭和17年 軍事保護院ほか/発行

駅弁ラベルに見る戦時
・ラベル(かしわ飯) 昭和戦中期 筑紫軒(折尾駅)/作成
・ラベル(御茶附御弁当) 昭和16年 寿軒(博多駅)/作成
・ラベル(代用食 愛国弁当)昭和戦中期 熊本営業所/作成
・ラベル(決戦食御弁当) 昭和戦中期 
 社団法人鉄道構内営業中央会門司支部/作成

参考文献

・佐藤卓己『大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーまでのメディア史』(弘文堂、1992年)
・森川方達『帝国日本標語集〈増補普及版〉―戦時国策スローガン全記録―』(現代書館、1995年)
・林順信・小林しのぶ『駅弁学講座』(集英社、2000年)
・前坂俊之監修『傑作国策標語大全《保存版》』(大空社、2001年)
・上杉剛嗣『駅弁掛け紙ものがたり 古今東西日本を味わう旅』(けやき出版、2009年)
・土田宏成編『日記に読む近代日本4 昭和前期』(吉川弘文館、2011年)
・羽島知之編『明治・大正・昭和 駅弁ラベル大図鑑』(国書刊行会、2014年)
・バラク・クシュナー(井形彬訳)『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』(明石書店、2016年)
・田島奈都子編著『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争 135枚が映し出す真実』(勉誠出版、2016年)
・井上祐子「「国家宣伝技術者」の誕生―日中戦争期の広告統制と宣伝技術者の動員―」(『戦時下の宣伝と文化』〈年報・日本現代史第7号〉、現代史料出版、2001年)

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011 FAX:092-845-5019

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