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  • No.536 博多祇園山笠展19-堂山と描かれた近世福博の女性たち-

企画展示

企画展示室4
博多祇園山笠展19-堂山と描かれた近世福博の女性たち-

令和元年6月11日(火)~8月4日(日)

文久元年山笠「神剣護国始」
文久元年山笠「神剣護国始」

 江戸時代の博多の夏の祭礼の主役といえば、勇壮(ゆうそう)で優美(ゆうび)な山笠でしょう。この展示では、本館が収蔵している黒田資料などから、多彩(たさい)な飾りを施(ほどこ)され優美で女性的な堂山(どうやま)とよばれる山笠図を集めて展示します。

 また堂山にちなんで、祭礼や名所、生業や生活、芸能や伝承(でんしょう)といった視点から、当時の福岡や博多の町方(まちかた)に生きた女性たちの姿を紹介します。

近世前期の山笠と堂山の始まり

 江戸時代も始まって100年近くたち、天下泰平の世となった元禄(げんろく)時代、福岡藩3代藩主黒田光之(くろだみつゆき)に仕えていた有名な儒学者(じゅがくしゃ)・貝原益軒(かいばらえきけん)は『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』のなかで、博多山笠は、九州各地からの見物客でごったがえしたと、記述しています。また益軒はこの時代の山笠は天辺(てっぺん)に城壁を造り、幾本もの旗(はた)で山を飾り人形に甲冑を着せ、武器を持たせる旗指の山が中心だったとも記述しています。

 その数年後、4代藩主黒田綱政(つなまさ)の時代となった宝永(ほうえい)5(1708)年、藩の命令により、6本の山笠のうち、1、3、5の奇数番(きすうばん)は旗指山(はたさしやま)(「修羅(しゅら)もの」)、2、4、6番の偶数(ぐうすう)番は堂山といわれる山を作るようになりました。

 堂山は、御殿(ごてん)やお屋敷の造り物が天辺にある山で、「蔓(かずら)もの」とも言われ、伝承(でんしょう)や物語に登場する女性を主人公にするため、「かつら」をつけた人形で飾られました。優美な山はそれまでも作られましたが、以後は毎年3本も見ることができるようになりました。

 堂山が登場する時代背景には、三都(さんと)(江戸、京、大坂)はもちろん大きな城下町や博多などの都市で、本や人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)、歌舞伎(かぶき)を通じて、日本の神話や古典、能(のう)などの芸能、和漢(わかん)の歴史と文芸が、庶民(しょみん)にも広まったことがあります。

華麗・優美な幕末の堂山

 本館の黒田家伝来の資料(黒田資料)の中には、嘉永(かえい)7(安政元、1854)年以後、山笠制作の許可を受けるために、博多から町奉行所に提出された山笠絵図が残されています。それらを見ると合戦や武勇伝の世界に限られがちな旛指山とは異なり、堂山の題材は和漢の歴史や文芸、伝承から、さまざまな内容に及んでいます。

 基本的な舞台である御殿(ごてん)やお屋敷を背景として女性が登場するものには、日本神話から天照皇大神(あまてらすおおみかみ)などの女神、また古典や能からは女性歌人が和歌の不思議な力により主人公を助け、勇気づけるといった話などがあります。

 合戦譚(たん)や軍記物(ぐんきもの)からは、中国の三国志(さんごくし)などで劉備夫人(りゅうびふじん)と御殿などを守る武将関羽(かんう)の話や、お釈迦(しゃか)様の誕生をめぐる父王と母夫人の話などがあり、また日本の古典からは源平(げんぺい)の世で戦を逃れた常盤御前(ときわごぜん)と3人の幼い子たちの話も取り上げられ、また出世した武将の少年期の逸話(いつわ)なども好まれました。たとえば羽柴秀吉(はしばひでよし)の甥にあたる加藤虎之介(かとうとらのすけ)(後の清正(きよまさ))の、秀吉への初お目通りの話などがあります。

 幕末の堂山では、主人公として女性が取り上げられても、男性や子供を助けたり、力づけたりするための役割が強調されているようです。

祭礼と名所の中の女性たち

 続いて博多の祭礼や名所の中の女性たちの姿を見てみます。

 江戸時代前期に、博多を巡行する山笠が描かれた屏風には、華やかな小袖(こそで)に、長めに髪を結った元禄ファッションの女性たちが山笠を見物する姿も描かれています。益軒が記述した山笠見物の頃には、このような女性たちが多く見られたのでしょうか。

 江戸時代後期に作られた『筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)』には、博多のもう一つの祭礼・正月の松ばやしが描かれています。メインの福神(ふくじん)行列には馬に乗った男女の神様がおり、それに続く鶴(つる)の笠を被(かぶ)った若い女性の歩く行列が続きます。多くは町の裏長屋(うらながや)などで暮らす庶民の少女たちが扮(ふん)したものだったと言われます。また松ばやしで、福博の各家を祝いに訪れる酔った客を接待(せったい)する場面では、家の女主人や奉公人の姿も描かれます。

 「福岡図巻(ふくおかずかん)」に描かれた博多の秋の祭(まつ)り放生会(ほうじょうや)では、屋形船(やかたぶね)で箱崎(はこざき)浜に上陸し、松原の中で幕を張り宴や芸事を楽しむ商家の女性の着物姿が見られます。このほか芝居や見世物、博多・福岡の寺社巡りの名所紹介に、女性たちが見物する姿も描かれています。

生業と暮らしの中の女性たち
『筑紫遺愛集』(熊蔵妻と辻店)
『筑紫遺愛集』(熊蔵妻と辻店)

 江戸時代後期の博多、福岡の町人や大商人たちの家には、夫とその妻が二人並んで描かれた肖像が残されていることがあり、夫婦一緒でその店の経営(けいえい)と家の繁栄(はんえい)を支えている象徴的な絵です。江戸時代中期の『筑前孝子良民伝(ちくぜんこうしりょうみんでん)』の挿画などで、それら大店(おおだな)の夫人たちの日常の姿を見ることができます。多くは主人や両親に仕える姿ですが、家の中の奉公人たちの女主人、いわゆる「ごりょんさん」としての姿もあります。

 幕末の『筑紫遺愛集(ちくしいあいしゅう)』には、借家や長屋住まいの庶民の老夫婦が、場末の辻店(つじみせ)で商売に励(はげ)む姿が描かれています。夫を亡くした女性が「後家(ごけ)」として一家を背負い、義理の親に仕える様子もみられ、女性たちが自家の機(はた)で、家族のために日常の衣服を織ったり、賃稼(ちんかせ)ぎをしている様子もわかります。

 これらは男性中心だった当時の社会の視点で描かれていますが、女性たちの素朴(そぼく)で真摯(しんし)な姿は人情ものの時代劇を見るようです。明治期の宣伝で名産の博多織(はかたおり)を織る女性たちが登場しますが、江戸時代の博多織の職工(しょっこう)は多くが男性であったと言われます。

 武家が大半を占める福岡の町には、武家屋敷に奉公する町方出身の女性たちも多く、武士の娘に生まれた野村望東尼(のむらぼうとうに)(野村もと)が描く「童戯図画(どうぎのずが)」にその姿を見ることができます。

芸能と伝承の中の女性たち

 江戸時代の博多には芸能に生きる女性もおり、博多独楽(こま)といった大衆娯楽(たいしゅうごらく)の宣伝広告でその姿を見ることができます。また、『筑紫遺愛集(ちくしいあいしゅう)』には盲目(もうもく)でありながら三味線(しゃみせん)の達人(たつじん)となり、師匠(ししょう)として生きた女性が紹介されています。

 古代・中世から江戸時代の初めにかけて貿・交易で栄えた博多には、女性にまつわる伝承が多くのこされ、継子(ままこ)いじめで死んだ少女は『筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)』にも描かれています。海賊(かいぞく)退治(たいじ)の遊女(ゆうじょ)・小女郎(こじょろう)は、江戸時代に近松文左衛門(ちかまつぶんざえもん)が浄瑠璃に取り上げ、博多の名までも有名にしました。また同時代の博多の遊郭(ゆうかく)の花魁(おいらん)・染衣と浪人の悲恋の話は、近代にも引き継がれ、供養の絵画で残されています。

 このほか当時の工芸品の中で、博多人形のルーツといわれる人形師が作った舞人形(まいにんぎょう)や、女性面などにも、当時の女性の姿がとどめられています。 (又野誠)

出品資料

(資料保存のため会期中一部展示替えをします)

1、筑前国続風土記 一冊
2、石城志 一冊
3、山笠一覧表 一鋪
4、博多祇園山笠図屏風(寛政元年) 一隻
5、博多祇園山笠図屏風(天明8年) 一隻
6、博多祇園山笠図(嘉永7年) 一幅
7、博多祇園山笠図(安政2年) 一幅
8、博多祇園山笠図(文久元年) 一幅
9、博多祇園山笠図(文久3年) 一幅
10、博多祇園山笠図(元治元年) 一幅
11、博多祇園山笠巡行図屏風 一隻
12、山笠図下絵 二幅
13、筑前名所図会(福岡糟屋) 二冊
14、追懐松山遺事(松ばやし) 一冊
15、福岡図巻(放生会) 一巻
16、旧稀集(芝居見物) 一冊
17、筑前三三か所名所図 三鋪
18、柴藤家当主・夫人像 一幅
19、筑前国孝子良民伝 三冊の内
20、筑前国続風土記拾遺 二冊
21、筑紫遺愛集 五冊の内
22、博多織之図 一鋪
23、大山家文書(捨て子養育) 一冊
24、筑前名所図会(博多) 一冊
25、童戯図画(奉公する女性たち) 一巻
26、博多三娼図(花魁染衣) 三幅のうち
27、石城遺聞 一冊
28、芸妓図 一幅
29、博多小女郎関連資料 一括
30、博多独楽 一鋪
31、博多細伝実録 一冊
32、女面 一面
33、舞姿人形 一体

(ご協力いただいた方々、敬称略、出品順)

黒田長高、新原顕一、石橋源一郎、奥村俊二、柴藤清吉、野村肇、田中雄助、白水あき子。

(参考文献)

落石栄吉『博多祇園山笠記録』(昭和三六年)、福岡市博物館企画展示解説340「博多祇園山笠展15」(平成二一年)、『博多祇園山笠大全』(西日本新聞社 福岡市博物館 平成二五年)、宮野弘樹・八島義之「福岡市博物館所蔵『博多三娼図』と『柳町三娼伝』」(『リベラシオン』157、平成二七年)など。

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