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企画展示

企画展示室3
市制施行130周年記念 福岡市 これまでとこれから2

令和元年7月17日(水)~10月27日(日)

はじめに
九州沖縄八県連合共進会全景(開催地福岡)
九州沖縄八県連合共進会全景
(開催地福岡)

 明治22(1889)年に福岡市が誕生してから130年目を記念して開催している企画展示「福岡市 これまでとこれから」の前半では、福岡市がどのように発展してきたのかについて、市政資料、地図や写真、生活道具などから振り返ってみました。130年の間にめまぐるしく変貌を遂げた福岡市では、その過程で発見された遺跡や資料が数多くあります。今回は、都市化や地域の開発とは切り離せない発掘調査とその時代背景について紹介します。

都市発展の基礎
福岡城跡第12次調査(肥前堀)
福岡城跡第12次調査
(肥前堀)

 道路や鉄道、港湾、空港など都市の発展には交通網の整備が不可欠です。明治43年に開催された、第13回九州沖縄八県連合共進会を契機として整備された路面電車は、福岡城の外堀だった肥前堀を埋め立てた上に開通しました。この時に埋められ、長年人々の足元に眠っていた肥前堀は、かつて天神一丁目にあった福岡県庁が移転した後の昭和59(1984)年頃から、天神地区の開発に伴う数回にわたる発掘調査で再びその姿をあらわしました。現在の福岡市庁舎建設に際して行われた調査では、肥前堀の形態が判明しただけでなく、明治42年以前の生活用具も多く出土しました。江戸時代の終わりから明治時代にかけて、堀が作られた当初の役割が意識されなくなり、保守・整備があまり行われていなかったのではないかということが推測されます。

 都市部の激しい交通渋滞の解消のため、昭和48年に福岡市議会が高速鉄道(地下鉄)の建設・経営を決定、昭和50年から工事が開始され、昭和56年には室見~天神間が開業し、翌年以降にも続々と延伸されていきます。一方で、市民の足として活躍していた路面電車は、自家用車の普及や人々の生活スタイルの変化とともに次第に姿を消し、昭和54年にはすべての路線が廃止となりました。地下鉄工事開始直後の昭和51年、荒戸工区で福岡城の石垣が発見されたことをきっかけとして、地下鉄の工事でも事前に埋蔵文化財の確認、発掘調査が実施されることになりました。西新町(にしじんまち)、藤崎(ふじさき)、祇園(ぎおん)などの地点で地下鉄の建設に伴って実施された発掘調査によって、これまで解明されていなかった歴史の一部が少しずつ明らかになっていきました。特に、初めて調査が実施された博多遺跡群からは、文献等で示されていた中世博多の歴史と一致する内容の遺構や遺物が多く見つかり、注目されました。以降、博多では200回を超える発掘調査が実施され、その重要性から一部の出土資料2138点が平成29年度に国の重要文化財に指定されています。

雀居遺跡第2次調査(福岡空港)
雀居遺跡第2次調査
(福岡空港)

 福岡空港は、昭和20年、旧陸軍席田(むしろだ)飛行場として開場しました。現在では羽田、成田、関西に次ぐ大規模空港となっています。乗降客数や航空貨物輸送量の増大に対応するために行われた整備工事に伴い、発掘調査が初めて実施されたのは平成3(1991)年のことでした。福岡市に文化課が発足し、行政による埋蔵文化財の調査が広く行われるようになったのは、今からちょうど50年前の昭和44年以降のこと。それ以前から運用されていた空港内は、埋蔵文化財調査の及ぶことのなかった空白地帯でした。雀居(ささい)遺跡と名付けられたこの遺跡からは、縄文時代の遺物をはじめ弥生・古墳時代の生活の跡、古代の公的機関や条里制に関わる痕跡、中世の水田にいたるまで、時代ごとのさまざまな様相がよみがえってきました。

景観の変遷と遺跡

 福岡市の人口は、令和元(2019)年5月時点で158万人を超えており、福岡市制が敷かれた明治22年の約5万人の30倍になっています。政令市の中では人口増加率が最も高い都市(平成27年国勢調査による)です。

野方遺跡周辺の移り代わり(国土地理院ウェブサイトより(一部改変))
野方遺跡周辺の移り代わり
(国土地理院ウェブサイトより(一部改変))

 市制施行後、周辺町村との合併により市域が拡大し、住宅地の開発によって人々の生活範囲が広がっていくと同時に、それまで遺跡として認知されていなかった場所でも発掘調査が実施されるようになりました。野方(のかた)遺跡は、高度経済成長期も終わりを迎える昭和48年の宅地造成の際に、土器などが発見されたことで調査が開始されました。この遺跡は、弥生時代の終わりから古墳時代のはじめにかけて営まれた、墓域を伴う大規模集落として知られています。国の史跡に指定された後は、閑静な住宅街の中で公園として整備・公開され、まちの一部になっています。

 まちの人口が増加する一方、農村地域では農業従事者の減少、高齢化が進行していきます。1980年代には、より良い生産効率を求めた土地の改変、いわゆる圃場(ほじょう)整備が盛んに実施され、それに伴って大規模な発掘調査が行われました。国史跡に指定された吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡からは、弥生時代の墓域と多彩な副葬品、大型建物跡等が見つかり、弥生時代の「クニ」の始まりや社会構造を考える上で重要な遺跡であることが確認されました。近年「やよいの風公園」として整備され、市民の方々が参加するさまざまなイベントが開催されています。

 このように、調査後、保存公開される遺跡は少数です。大部分は写真や図面による記録保存のみにとどまり、調査が終わった土地には建物や道路がつくられ、人々の営みが続けられていきます。そこでは少しずつ姿を変えたまちや農村地域の新たな歴史が刻まれ、数百年あるいは数千年後、再び遺跡として調査される日が来るのかもしれません。

かわっていくもの かわらない想い
博多小絵馬
博多小絵馬

 福岡市内では年間を通して多くの民俗行事が行われていますが、時代によって少しずつその形も変化してきました。博多の夏を彩る博多祇園山笠が、電線の普及によりその高さの変更を余儀なくされたことは有名です。そのほかの民俗行事でも、基本的なかたちは変わらずとも、担い手の高齢化や地域の人口減少、周辺環境の変化によって、使用する道具・材料など細部に変化が見られます。社会や生活の様子が大きく変わっても、幸せに生きたい、健康に過ごしたい、無事に育ってほしい、平穏に過ごせる世の中になってほしいなど、人々の願いは、はるか昔から変わらずに存在しています。現代にも残る絵馬やいのりを込めた人形、まじないの道具、節目ごとの儀礼などはそのあらわれと言えるでしょう。

これから

 遺跡の発掘調査の歴史を振り返ってみると、その時々の社会・政治・経済状況と連動しながら開発が行われた福岡市の発展の様子が見えてきます。現在は、高度経済成長期前後に建設された高層階建物を中心に次々と再開発が行われ、福岡市はさらに変化しようとしています。また、山林や田畑だった郊外への宅地開発も進み、新たなまちが形成されている地域もあります。

 これまで行われてきた開発などの中で発見、調査された遺跡や文化財は、地域住民の方々の協力もあって適切な状態で保存・公開されています。さらに近年は、官民、地域住民が共働して観光資源や地域のシンボル、あるいは学校教育や社会教育の場、地域コミュニティの施設などとして活用していく、といった新たな役割が期待されています。わたしたちが過去から受け継いできたものを、次の世代にどのように伝えていくのか。めまぐるしい変化を遂げる福岡市だからこそ、一歩立ち止まって考えてみる。今回の展示がそのきっかけになれば幸いです。(福薗美由紀)

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011 FAX:092-845-5019

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