企画展示

企画展示室1
古の刀剣

古の刀剣

研ぎ分けのある銅剣(上月隈遺跡)
研ぎ分けのある銅剣(上月隈遺跡)
はじめに

 刀剣は人々の戦いの歴史をモノ語る武器であるとともに、持つ人の権威や身分などを表す象徴的な性格も持っていました。その製作には当時の高度な技術が結集されています。

 日本において北部九州ではじまった戦いと刀剣の歴史について、弥生時代から古墳時代の遺跡から発掘された出土品を中心に紹介します。

戦いのはじまり

 日本列島では、大陸に由来する水田稲作農耕(すいでんいなさくのうこう)文化の伝来とともに弥生時代から戦いの歴史がはじまります。農耕が広まることで土地と水をめぐる争いが生じるようになるからです。傷を負った人骨や体に刺さって折れたとみられる武器の先端など、弥生時代の戦いの痕跡は少なくありません。

 弥生時代初期の武器は石器です。農耕集落の指導者たちは、朝鮮半島と共通する形態の鋭利な短剣や弓矢をもち、先頭に立って戦ったと考えられます。

 短剣は弥生時代のスタンダードな武器ですが、逆手(さかて)持ちで振り下ろす運動で刺突したと考えられています。集落遺跡からの出土のほか、優品が有力者の墓に副葬(ふくそう)されている事例が少なくありません。武器の副葬は弥生時代にはじまり、古墳時代にかけて活発となります。 

木棺墓に副葬された石剣(雑餉隈遺跡)
木棺墓に副葬された石剣(雑餉隈遺跡)
青銅の剣と鉄の剣

 弥生時代のはじまりから金属器の普及までには数百年以上を要します。紀元前3世紀頃から短剣を中心とする青銅(せいどう)の武器が朝鮮半島から本格的に流入し、北部九州でも生産がはじまります。矛(ほこ)(長い柄(え)の先に真っすぐ装着して使用)や戈(か)(鎌のように、柄の先に直角に近い角度で装着して使用)といった新しい種類の武器も登場します。武器の副葬は前の時代よりもさらに増え、特に早良(さわら)平野では吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡(西区)をはじめとする多くの青銅器副葬墓がみつかっています。

石剣切先(上4点),銅剣(左2点),鉄剣・矛・刀(東入部遺跡)
石剣切先(上4点),銅剣(左2点),鉄剣・矛・刀(東入部遺跡)

 鉄は青銅の武器よりもさらに遅れ、紀元前2世紀頃に短剣が導入されます。紀元前1世紀以降は剣のほか、刀、矛、戈など鉄製武器の種類は増えますが、剣と刀は弥生時代後半の武器の主体でした。その中でも中国にルーツがある、長さ50㎝前後以上の環頭大刀(かんとうたち)(握り手の端に輪のような飾りをつけた刀)や長剣(ちょうけん)が最も高級な武器であり、ステータスシンボルでもあったと考えられます。

木剣(元岡・桑原遺跡群)
木剣(元岡・桑原遺跡群)
武器の変貌

 鉄器化が進む時代にも、祭りの道具などとして武器形の青銅器や木器などは盛んに使われており、武器がもつ多様な性格をうかがうことができます。

 上月隈(かみつきぐま)遺跡(博多区)の甕棺墓(かめかんぼ)(紀元前1世紀頃)に副葬された銅剣は、刃部の研ぎの方向を一定パターンで変えて縞(しま)文様に輝く加工をしています。実用武器としての機能性は失われており、祭器(さいき)としての性格が強い剣です。

 この時代をピークに青銅武器を墓に副葬する事例は著しく減少し、武器の副葬は鉄製の刀剣類が主体になります。武器形の青銅祭器は弥生時代の終わりまで存続しますが、剣よりも矛や戈が主体になっていきます。

豪族の刀

 古墳時代前期後半から中期(4世紀後半~5世紀)には全国的に刀剣の副葬が増加します。刀剣が普及するとともに日本列島内での生産も本格化し、その背景に高句麗(こうくり)の勢力拡大など、朝鮮半島の軍事的緊張があったと考えられます。福岡市内では、日本列島最古級の横穴式石室をもつ前方後円墳の老司(ろうじ)古墳(南区)や鋤崎(すきざき)古墳(西区)に多くの刀剣が副葬されています。

三葉文環頭大刀(徳永古墳群H26号墳)
三葉文環頭大刀(徳永古墳群H26号墳)

 弥生時代に登場し、古墳時代もステータスシンボルであった環頭大刀には、柄(つか)に文様造形が施された装飾付大刀(そうしょくつきたち)も出現します。その中でも朝鮮半島製とみられる三葉文(さんようもん)刀の登場は古く、福岡では古墳時代前期から後期にかけての前方後円墳などから出土しています。

 5世紀末の吉武(よしたけ)古墳群S群9号墳(西区)からは柄の金具に龍(りゅう)の文様装飾が施された朝鮮半島南部・伽耶(かや)の装飾付大刀が出土していますが、龍や鳳凰(ほうおう)の造形文様をもつ装飾付大刀が全国的に増えるのは6世紀後半からです。小規模な円墳が群集する桑原石ヶ元(くわばらいしがもと)古墳群には全体的に武器や馬具(ばぐ)の副葬が多く、鳳凰の造形をもつ装飾付大刀が副葬されていた8号墳の被葬者は糸島の軍事的拠点を基盤とした人々の指導者とみられます。龍鳳文(りゅうほうもん)大刀のルーツは百済(くだら)や伽耶など朝鮮半島にあると考えられますが、本例はその文様や製作技法の特徴から日本列島での製作とみられます。ヤマト政権直営の工房で作られ、各地の軍事的に有力な豪族に配布された一つと考えられるでしょう。

 鉄の刀剣の一部に金や銀の針金状の線を埋め込んで文様や文字を記す象嵌(ぞうがん)技法の装飾付大刀も近隣の古墳群から出土しています。

 朝鮮半島三国(さんごく)の興亡を通じて国際的な緊張が高まる古墳時代後期(6~7世紀)には鉄や武器の生産がさらに増大したとみられます。それとともに、工芸技術を駆使した装飾付大刀も佩用(はいよう)する人の権威を高めるシンボルとして盛んに作られるようになり、古代日本の刀剣生産の礎(いしずえ)となりました。(森本幹彦)

単鳳文環頭大刀(桑原石ヶ元8号墳)
単鳳文環頭大刀(桑原石ヶ元8号墳)
鋤崎A9号墳出土の刀の鍔 X線CT画像(九州国立博物館撮影)
鋤崎A9号墳出土の刀の鍔 X線CT画像(九州国立博物館撮影)
主な展示資料 (時代/出土遺跡)
元岡G6号墳出土の庚寅銘刀 背の金象嵌
元岡G6号墳出土の庚寅銘刀 背の金象嵌

●石剣(弥生前期 田川郡)
○石剣(弥生中期 姪浜遺跡)
●石剣レプリカ(原品は弥生早期 唐津市菜畑遺跡 唐津市教育委員会所蔵)
〇銅剣・把頭飾・矛(弥生中期 岸田遺跡)
●銅剣(戦国時代~前漢代 中国)
●銅剣レプリカ(原品は弥生中期 糸島市三雲遺跡 伊都国歴史博物館所蔵)
‌★〇鉄剣・刀・矛(弥生中期 東入部遺跡)
〇素環頭鉄刀(弥生中期 飯倉C遺跡)
〇鉄戈(弥生中期 岸田遺跡)
〇鉄製長剣(弥生終末期 博多遺跡群)
〇木甲レプリカ(原品は弥生後期 雀居遺跡)
‌★〇研ぎ分けのある銅剣(弥生中期 上月隈遺跡)
●人面付銅戈(弥生中~後期 伝・福岡県)
〇剣形木製品(弥生中期 元岡・桑原遺跡群)
〇刀剣形木製品(弥生後期・古墳中期 拾六町ツイジ遺跡)
〇矛形木製品(古墳中期 三筑遺跡)
〇折り曲げられた鉄剣(弥生終末~古墳初頭 那珂遺跡群)
‌★〇素環頭大刀ほか鉄器と三角縁神獣鏡 (古墳前期 藤崎遺跡)
〇三葉文環頭大刀ほか鉄製刀剣・鏃・玉類 (古墳中期 老司古墳)
〇素環頭大刀・鉄製短甲(古墳中期 鋤崎古墳)
〇鉄製刀剣(古墳中期 徳永B遺跡)
〇鉄刀(古墳中期 羽根戸古墳群N群)
〇三葉文環頭大刀(古墳後期 徳永古墳群H群)
〇三累環頭金具・瑪瑙勾玉(古墳後期 金武古墳群D群)
〇単鳳文環頭大刀
 鉄刀・矛・鏃・馬具・琥珀製勾玉など
 折り曲げられた鉄刀
 (古墳後期 桑原石ヶ元古墳群)
〇象嵌が施された鉄刀(古墳後期 鋤崎古墳群A群)
 X線CT画像は九州国立博物館提供
〇圭頭大刀(古墳後期 元岡G1号墳)
 庚寅銘大刀は特別展「侍」(9月7日~11月4日)で展示

○は福岡市埋蔵文化財センター所蔵
●は福岡市博物館所蔵
★は福岡市指定文化財

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011 FAX:092-845-5019

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