茶道を完成させた千利休は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の御茶堂(おさどう)をつとめましたが、博多の豪商・嶋井宗室は秀吉が天下人(てんかびと)となる前から両者と親交を深めていました。図版に掲げた手紙は、宗室が上京していた折、たびたび宗室所持の名物楢柴(めいぶつならしば)の茶入が話題に上ったことを懐かしみ秀吉も再会を心待ちにしていることや、徳川家康(とくがわいえやす)から初花(はつはな)の茶入が贈られたこと等々を知らせています。   1利休は「初花は珍しい唐物(からもの)だが、私たちにとってはたいしたことはありませんね」と宗室に語り、茶人として両名の面目が躍如しています。 楢柴・初花は新田肩衝(にったかたつき)とともに天下の三名物とうたわれた名品で、この手紙にはそのうちの2つが話題に上り、たいへん贅沢な内容となっています。この他にも2通の利休書状をはじめ、織田信長(おだのぶなが)が道具披露の茶会に宗室を正客(しょうきゃく)として招待した松井友閑(まついゆうかん)(信長の御茶堂)書状、キリシタン大名として著名な大友宗麟(おおどもそうりん)が楢柴を所望した書状を展示しています。