官兵衛が戦国時代に終止符を打った証し
特別展「軍師官兵衛」の必見展示品!
官兵衛が戦国時代に終止符を打った証し~敵の武将からプレゼントされた宝物~
1 国宝 太刀 名物「日光一文字」とその刀箱 (出品番号No. 113・114、福岡市博物館蔵)
2 北条白貝(出品番号No.115、福岡市美術館蔵)
3 琵琶とその箱(出品番号No.116・117、福岡市美術館蔵)【現在は羊歯枇杷文蒔絵箱を展示中】
4 重要文化財 鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』(出品番号No.118、国立公文書館蔵)
「1590年、豊臣秀吉が全国を平定する。」、歴史の教科書にはこのような記載がなされ、受験生の必須暗記項目の一つですが、その最後の戦いが、小田原城の北条氏を攻め降したことです。また、結論の出ない長時間にわたるダラダラした会議を俗に「小田原評定」といいますが、小田原攻めのエピソードに由来する語句です。
秀吉の大軍に取り囲まれ、戦うことも降伏することもできず、ただ籠城するばかりの北条氏の窮地を救ったのが官兵衛です。官兵衛は城に乗り込み、北条氏直に降伏をすすめます。北条氏直は自身の切腹と引き換えに城兵の助命を請い降伏を申し出、官兵衛はこれを秀吉に取り次ぎました。秀吉は前当主氏政ほか3名を切腹させることで北条氏の降伏を認めました。
留守番をしていた黒田長政に宛てた7月10日付けの秀吉の手紙では、「小田原の儀、北条一類、首を刎ねられ、御本意残所なく仰せ付けられ候。(中略)今度の首尾、勘解由(官兵衛のこと)渕底候条、委曲申し遣わすべく候」(出品番号No.119豊臣秀吉朱印状、福岡市博物館蔵)と、小田原攻めは官兵衛の活躍により終結した、と知らせています。
降伏に際し、北条氏直から降伏仲介のお礼として官兵衛にプレゼントされた品々が上記4件の宝物です。これらの品々は官兵衛が100年ほど続いた戦国時代に官兵衛が終止符を打った証しとなるものです。また、敵の大将から家伝の宝物を贈られたことは、それだけ官兵衛が信頼されていた人物であったことを示すものでもあります。
この4点セットが同時に見られるのはこれが最後?の機会になるかもしれません。この機会にぜひご覧ください! 軍師官兵衛展は21日(日)まで。