企画展示
企画展示室3
わからないモノの考古学
平成29年4月4日(火)~6月4日(日)
はじめに
毎年、福岡市内では多くの発掘調査が行われています。そこで見つかる人々の生活の跡は多様で、使われていたものも多量にあります。使い方などのそれぞれの性格などは、発掘調査担当者や研究者によって検討・推測されますが、中にはいわゆる「用途不明品(ようとふめいひん)」と呼ばれるモノたちがあります。
これら用途不明のモノたちは、いったい何に使われていたのか。モノから引き出された様々な情報から、みなさんも一緒に考えてみましょう。
なぞのモノたち
発掘調査で見つかるものは、たいていその用途や形状、素材から名前が付けられており、名前を見るとおおよそ使い方がわかります。例えば石斧(せきふ)。これは石で作られた斧(おの)だということが名前からわかります。
一方で、用途が不明なモノたちには、不思議な名前が付けられていることがあります。例えば、トロトロ石器(異形局部磨製石器(いけいきょくぶませいせっき))(写真1)。石器というからには、石で作られた道具だということはわかります。しかし、「トロトロ」とは何でしょう。これは、固いものが溶けてやわらかくなる様子に似た表面をしていることから付けられたと言われています。実際に触った感触も、ぬるぬる、つるつるしていて、普通の石器のようなごつごつとした感じはありません。また通常は鋭く作り出されている刃部(じんぶ)も、この石器にはありません。最初から作られなかったのか摩滅してなくなってしまったのかは不明ですが、これでは刺したり切ったりすることはできず、実際に何に使われたのか、わかっていません。おそらく祭祀(さいし)に使われたのではないか、と推測されていますが、みなさんはどう考えますか。
また、滑石製双子型容器(かっせきせいふたごがたようき)と呼ばれるモノ。これは、滑石という柔らかい石を、二つつながった容器の形に加工したものです。博多区博多遺跡群や東区箱崎遺跡のほか、早良区東入部(ひがしいるべ)遺跡、田村遺跡などで見つかっています。側面には文様を刻んでいるものもあります。容器というからには、何かを入れたのだろう、と思われるでしょう。しかし、全体の大きさが約5㎝程度の小型の容器ですので、実用には向かないと考えられます。いったい、何に使用されたものなのでしょうか。
この他にも様々な用途不明品を展示しています。その使い道や使い方をみなさんも想像してみてください。
研究によってわかった正体
発見された当初は用途が不明だったけれども、研究によって次第にその正体が明らかになるモノがあります。「土製支脚(どせいしきゃく)」(写真2)という名前は小林行雄(こばやしゆきお)という研究者が名付けたものです(注1)。一見すると不思議な形をしたこの土製品の一部は、それまで犬形の埴輪(はにわ)や馬形の埴輪、角形(つのがた)土製品と呼ばれていました。小林氏はこの土製品の形や、火があたった形跡があるという点、長崎県壱岐(いき)から出土していた烏帽子形石(えぼしがたいし)という石製品の用途から、この形の土製品は、炉の中にいくつか並べて、甕などを火にかける時に支える道具ではないかと推測しました。「賛成してくださる人もあり、信じかねるという顔をする人もあった」(同注1)という使い方ですが、現在ではこの考え方が定説となっています。
技術の進歩があぶりだすモノ
日々進歩している科学技術は、私たちの日常生活を豊かにしてくれるだけでなく、未知の解明にも一役買ってくれています。土器についた種や実の痕が、稲作の開始を示す資料として研究され始めた当初は、種や実の痕に石膏(せっこう)や粘土を充(あ)てて、その型を取っていました。近年では、それよりも粒子が細かく流動性が高いシリコーンの使用や、走査型電子顕微鏡(そうさがたでんしけんびきょう)という顕微鏡の登場によって、より細部まで痕跡の復元・観察をすることができるようになりました。その結果、土器に付着している種や実だけでなく、コクゾウムシなどの虫の痕までも見つかるようになってきました(写真3)。体長2ミリ程度のコクゾウムシは、主に穀類(こくるい)につく虫なので、農耕が行われていた可能性を示す重要な資料として注目されました。日本列島において、いつから農耕が始まったか、ということについては現在も研究が続けられているテーマですが、このような分析方法によってデータを蓄積することで、また新たな事実が判明する日が来るのかもしれません。
記憶・記録から推測されるモノ
現在では使われていないモノでも、残された記録などから、その用途がどのようなものであったかわかることもあります。
弥生時代の遺跡からよく見つかるラグビーボールのような形をした小さな土製品。紀元前のエジプトなどで同じような形のものが使われていた記録や、ミクロネシアなどの南太平洋地域での使用例、日本のつぶて投げの事例から、狩猟具(しゅりょうぐ)や武器の投弾(とうだん)として使われたのではないかと推測されています。
また、博多遺跡群で見つかった木製・石製・土製の球(写真4)は、何に使われたのでしょう。遺跡の道路部分で見つかることが多く、道路上で使用するものだ、と推測できます。その形状や出土場所、それに加えて昔の絵巻、記録などから、これらは毬杖(ぎっちょう)という遊びに使われたとされています。毬杖は、もともと奈良・平安時代に行われた打毬(だきゅう)という球技に使われた杖のことを指していましたが、後に打毬をまねて子供が球を打ち合う遊びのことも「毬杖」というようになりました(注2)。これだけ多くの球が出土するということは、さぞかしたくさんのこどもたちがこの遊びを楽しんでいたのでしょう。今では実際に行われなくなった遊びの名前は、知らない人も多いでしょう。いつの日か、この木製の球も誰も使い方を知らない「用途不明品」となってしまうのでしょうか。
モノだけではなく、生活の跡を民族事例から推測することがあります。博多区雀居(ささい)遺跡で見つかった円形溝(えんけいみぞ)(写真5)と呼ばれるものは、狭い円形の溝の底に丸い小さな穴が並んでいる遺構(いこう)です。発掘調査の担当者は、中国貴州省(きしゅうしょう)の事例からブタなどの家畜(かちく)小屋ではないかと推測しています(注3)。しかし、弥生時代の日本においてブタは飼育されていなかったという研究結果がDNA鑑定により提示されています(注4)。この遺構が果たして家畜小屋なのか、それとも別の用途で使用されたものなのか、今後さらなる研究によって明らかにされるでしょう。
過去の人々が残した品々や生活の跡は、それを使う人々がいなくなってしまうと、だんだんと忘れられてしまいます。たくさんのものがあふれている現代社会。使い方がわからなくなってしまうものもたくさんあるでしょう。わからないモノたちの使い方を、未来の人々はどのような推測をするのでしょうか。
(福薗美由紀)
注1:小林行雄一九四一「土製支脚」『考古学雑誌』第31巻第5号
注2:笹間良彦二〇〇五『日本こどものあそび大図鑑』
注3:福岡市教育委員会二〇〇三『雀居遺跡7』福岡市埋蔵文化財調査報告書第746集
注4:小澤智生二〇〇〇「縄文・弥生時代に豚は飼われていたか?」『季刊考古学』第73号
参考文献
○田中一松一九三一『日本絵巻物集成第十二巻 年中行事絵巻(上)』
○中沢厚一九八一『つぶて』ものと人間の文化史44
○福岡市史編集委員会二〇一二『福岡市史』資料編 考古3
《主な展示資料一覧》福岡市埋蔵文化財センター蔵
○トロトロ石器(柏原遺跡・蒲田遺跡)
○環状石斧(大塚遺跡)
○十字形石製品(四箇遺跡)
○土製円盤(比恵遺跡群)
○瓦玉(博多遺跡群)
○滑石製容器(博多遺跡群ほか)
○皮袋形土製品(羽根戸古墳群ほか)
○甕形土器(松木田遺跡ほか)
○手焙形土器(雀居遺跡ほか)
○杓文字状木製品(東比恵三丁目遺跡)
○土製支脚(大塚遺跡ほか)
○土製投弾(那珂遺跡群)
○毬杖球(博多遺跡群)