企画展示
企画展示室1
聖者のかたち -羅漢-
平成29年4月25日(火)~6月11日(日)
◇はじめに
お寺などに行くと、赤色に塗られたお坊さんの像「お賓頭盧(びんずる)さん」や、ずらりと並んでそれぞれ個性的な姿をした五百羅漢の石像を見かけることがあります。あの少し不気味だけれど、どこかユーモラスな像は釈迦の弟子の姿をあらわしたもので正しくは「阿羅漢(あらかん)」、親しみを込めて「羅漢(らかん)さん」と呼ばれます。
阿羅漢は古代インドで用いられたサンスクリット語「arhat(アルハット)」の音写語で「尊敬・施(ほどこ)しを受けるに値する聖者」、意訳して「応供(おうぐ)」(『岩波仏教辞典』)などと説明されています。簡単に言えば仏教徒が守るべき規則(戒律(かいりつ))を守り、厳しい修行の末に釈迦の教えを正しく理解し、もはや学ぶことのない境地に達した僧侶を意味します。
羅漢は、最初は釈迦の弟子たちを指していました。しかし、中国では田に肥料を施せば多くの収穫が得られるように、羅漢を供養(くよう)すれば大きな果報(かほう)が得られるとする福田思想(ふくでんしそう)が生まれ、仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)と並ぶ信仰の対象になりました。特に唐(とう)時代に三蔵法師(さんぞうほうし)・玄奘(げんじょう)が訳した『大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記(だいあらかんなんだいみったらしょせつほうじゅうき)』(法住記)には釈迦が入滅(にゅめつ)する時、現世に留まり正しい教えを護り伝えるように託した16人の大阿羅漢が説かれ、以後その画像や彫像が制作されるようになりました。
本展示では館蔵資料の中からこうした羅漢を描いた絵画作品を紹介し、仏教の聖者がどのように表現されたのか見ていくことにします。
◇仏伝図(ぶつでんず)の中の羅漢
釈迦の誕生から入滅(にゅうめつ)までを描いた「釈尊一代記(しゃくそんいちだいき)」(図1)は、ネパールで制作された仏伝図です。上段には誕生から悟りを開く降魔成道(ごうまじょうどう)、下段には初めて法を説く初転法輪(しょてんぼうりん)から入滅(にゅうめつ)・分舎利(ぶんしゃり)までの各場面があらわされています。
羅漢が登場するのは初転法輪の場面で、釈迦がかつての修行仲間であった5人の比丘(びく)(出家者)に法を説いています。『増一阿含経(ぞういちあごんきょう)』というお経には、このときコンダンニャという比丘がまず悟りを開き、他の4人もこれに続いて羅漢になったと記されています。
その後も釈迦の弟子は次第に増え、やがて多くの羅漢が登場します。その中には智慧第一(ちえだいいち)と呼ばれた舎利弗(しゃりほつ)や、神通第一(じんつうだいいち)の目犍連(もっけんれん)、多聞第一(たもんだいいち)の阿難陀(あなんだ)といった十大弟子も含まれ、やがて彼らは教団を支える指導者になっていきます。
やがて釈迦は80歳の生涯を終えて入滅(涅槃(ねはん))の時を迎えます。その様子をあらわした涅槃図(ねはんず)にも羅漢の姿を見ることができます。中国・清(しん)時代に福建(ふっけん)地方で活動した孫億(そんおく)の「涅槃図」(図2)は、薩摩(さつま)(現・鹿児島県)坊津(ぼうのつ)の興禅寺(こうぜんじ)旧蔵の作品で、画中には天上界の神々や釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)、海中から姿をあらわした竜王などとともに多数の羅漢が集まる様子が描かれています。
◇十六羅漢とは
玄奘訳『法住記』には釈迦が入滅する際、現世に留まって仏法を護り伝えるように託した十六人の大阿羅漢の名と住所が記され、彼らを供養すれば大きな果報が得られると説かれています。それぞれの名は次のとおりです。
第一尊者 賓度羅跋囉惰闍(ひんどらばらだじゃ)
第二尊者 迦諾迦跋蹉(かなかばっさ)
第三尊者 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)
第四尊者 蘇頻陀(そひんだ)
第五尊者 諾距羅(なくら)
第六尊者 跋陀羅(ばだら)
第七尊者 迦哩迦(かりか)
第八尊者 伐闍羅弗多羅(ばじゃらふたら)
第九尊者 戎博迦(じゅばか)
第十尊者 半託迦(はんたか)
第十一尊者 囉怙羅(らごら)
第十二尊者 那伽犀那(ながせな)
第十三尊者 因掲陀(いんがだ)
第十四尊者 伐那婆斯(ばなばし)
第十五尊者 阿氏多(あじた)
第十六尊者 注荼半託迦(ちゅだはんたか)
これらの羅漢たちを供養する法会(ほうえ)のために成立したのが十六羅漢図で、中国では唐時代から盛んに制作されるようになりました。日本でも奈良時代には平城京(へいじょうきょう)の大安寺(だいあんじ)に羅漢画が存在したことが記録に見えます。鎌倉時代から室町時代にかけては羅漢信仰を重んじる禅宗の広がりとともに多くの十六羅漢図が制作され、慶友尊者(けいゆうそんじゃ)と賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)を加えた十八羅漢図や五百羅漢図も描かれるようになりました。「羅漢図」(図3)は朝鮮・朝鮮王朝時代に制作された極彩色の作品ですが、1つの画面に奇数(第一・三・五)と偶数(第二・四・六)の羅漢を3人ずつ配しています。もとは十八羅漢として六面一具だったと思われます。
◇様々な十六羅漢図
ところで、日本の十六羅漢図には古い唐画(とうが)の伝統を引く和様(わよう)や奇怪(きっかい)な容貌が特徴の禅月様(ぜんげつよう)、濃彩(のうさい)で写実的な李竜眠様(りりゅうみんよう)など、いくつかの図様のパターンが知られています。このうち日本で最も普及したのは中国・北宋(ほくそう)時代の官僚で文人の李公麟(りこうりん)(竜眠(りゅうみん))が始めたとされる李竜眠様で全国に多くの作品が残っています。
勝福寺(しょうふくじ)(福岡市西区)の「十六羅漢図」(図4)は李竜眠様を簡略化した江戸時代の狩野派(かのうは)の作品です。筑前(ちくぜん)(現・福岡県)秋月藩(あきづきはん)の御用絵師(ごようえし)・斎藤秋圃(さいとうしゅうほ)(1768~1859)の「十六羅漢図」(図5)も李竜眠様の十六羅漢を1幅にアレンジした作品ですが、筆使いは柔らかく、恐ろしげな羅漢も親しみやすい姿にあらわされています。
一方、十六羅漢図の図様には厳密な決まりがないため多くのバリエーションが存在し、型にはまらない独自の表現も見られます。豊後(ぶんご)(現・大分県)出身の画家・田能村直入(たのむらちょくにゅう)(1814~1907)が安政3年(1856)に描いた「十六羅漢図」(図6)もそのひとつで、仏具の如意(にょい)に乗り海を渡る第九尊者や、侍者(じしゃ)に背中を掻(か)かせて恍惚(こうこつ)とした表情を見せる第十二尊者など、ユニークな羅漢たちが登場します。こうした表現からは聖者でありながら身近な存在としての羅漢をあらわそうとする作者の創意が感じられます。
(末吉武史)
《出品リスト》
1 釈尊一代記 ネパール・近代 1枚
2 涅槃図 孫億筆 中国・清時代 1幅
3 羅漢図 朝鮮・朝鮮王朝時代 2面
4 十六羅漢図 江戸時代 勝福寺蔵 16幅
5 十六羅漢図 斎藤秋圃筆 江戸時代 1幅
6 十六羅漢図 田能村直入筆 安政3年(1856) 16幅
【主要参考文献】
田中義恭・星山晋也『目でみる仏像・羅漢/祖師』東京美術、高崎富士彦『日本の美術№二三四 羅漢図』至文堂、展覧会図録『阿羅漢』神奈川県立金沢文庫