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  • No.496 市美×市博 黒田資料名品展Ⅱ 黒田家の博物学

企画展示

企画展示室2
市美×市博 黒田資料名品展Ⅱ 黒田家の博物学

平成29年6月27日(火)~8月27日(日)

はじめに
11 本草正画譜(鬱金、部分)
11 本草正画譜(鬱金、部分)

福岡市美術館と当館が所蔵する、福岡藩主・黒田家伝来の文化財「黒田資料」を紹介する「市美×市博 黒田資料名品展」シリーズの2回目は、黒田家と博物学との関わりに注目した展覧会です。
博物学とは、動物や植物、鉱物などに関する学問の総称のことですが、黒田家では福岡藩10代藩主であった黒田斉清(なりきよ)(1795~1851)と11代藩主・黒田長溥(ながひろ)(1808~1887)が、本草学や鳥類学などを研究し、西洋の学問にも深い関心を寄せた殿様として知られています。
本展覧会では、斉清・長溥自身や周辺の学者たちによる博物学に関する著作や動物・植物の写生図などを通して「黒田家の博物学」を見ていきたいと思います。

貝原益軒と博物学
2 大和本草
2 大和本草

江戸時代における博物学の展開は、薬用となる植物や動物、鉱物を調べることを目的とする「本草学」が出発点でした。本草学は中国から渡ってきた学問で、日本では古代以来、中国本草学の知識の吸収を第一に研究が進められてきましたが、江戸時代に入ると日本独自の展開が見られるようになります。
福岡藩・黒田家に仕えた儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)は、本草学の名著として知られる中国・明の李時珍(りじちん)が著した『本草綱目(ほんぞうこうもく)』をもとに、宝永(ほうえい)6年(1709)、『大和本草(やまとほんぞう)』(資料番号2)を刊行しました。
『大和本草』は、『本草綱目』に掲載の品種から772種、他の本草書から203種、日本固有種358種、渡来種29種の計1362種の自然物を収め、それぞれの名称・来歴・形状・効用を述べるだけでなく栽培法も記されています。記述内容は『本草綱目』を踏襲するのではなく、益軒自身の知識に加え、各地を調査し観察・研究して得た成果に基づいています。品種の分類配列も独自のものが示され、『本草綱目』と比較すると草・木・魚・虫・鳥が細分化されており、本草学というよりも博物学の側面が色濃くなっている点が特徴的です。ここから、益軒と『大和本草』は、日本における博物学の先駆的存在であったと言っても過言ではないでしょう。

殿様たちの博物学

江戸時代後期になると本草学は、さらに博物学的色彩を強めていき、加えて長崎を通してもたらされる西洋学問の影響を受けるようになります。研究に夢中になる藩主や旗本も現れ、彼らの中には日頃の成果を発表したり、情報交換をするために研究会を立ち上げた人もいました。
福岡藩10代藩主・黒田斉清は、研究に没頭した殿様の代表格と言って良い人物です。斉清は、幼少期から眼病を患っていましたが、植物や鳥類に関心を持ち、研究にいそしんだことが知られています。彼は著作である「本草啓蒙補遺(ほんぞうけいもうほい)」の中で「予四歳ノ時ヨリ鳥ヲ愛シ、十五歳ノ時ヨリ鷹ヲ以テ鳥ヲ捕ラシム、十七八歳ノ頃ヨリ隼ヲシテ鳥ヲ捕ラシムル」と、4歳の時から鳥類を愛し、鷹や隼を飼って生態を調べていたことを記しています。また、鵞鳥も長年飼育しており、その経験や知識をもとに「鵞経(がきょう)」(資料番号5)を著しています。
「本草啓蒙補遺」では、香木・喬木類など計162の品種の植物について、原生地や多生地、各地で異なる名称、変種の事例などを記しており、植物に関する研究水準の高さもうかがい知ることができます。
11代藩主・黒田長溥は幕末期に西洋医学や技術の導入に積極的だった殿様として知られています。長溥は鹿児島藩・島津家の出身で、実父は8代藩主・島津重豪(しげひで)でした。重豪も西洋学問に造詣が深い殿様として知られ、寛政(かんせい)5年(1793)から文化(ぶんか)元年(1804)にかけて『成形図説(せいけいずせつ)』(資料番号7)という本草書を編さんしました。『成形図説』は、植物の栽培方法や使用する道具などについて豊富な図を交えて紹介しており、実用的かつ資料的価値の高い書物です。
長溥は、西洋文化の窓口であった長崎港の警備を担う福岡藩の殿様という立場もあり、西洋文化に触れる機会も多く、かつ、実父・重豪と養父・斉清の影響もあり、学問に強い関心を寄せました。

殿様たちの写生図
14 本草図(チューリップ)
14 本草図(チューリップ)

本草学や博物学の研究では、植物や動物などを詳細に描いた写生図や図譜が多く制作されました。
「本草正画譜(ほんぞうせいがふ)」(資料番号11)は、博多呉服町下(現福岡市博多区)の薬種商で本草学者であった内海蘭渓(うつみらんけい)がまとめた植物図譜。蘭渓が残した記録によると、文化8年5月と同10年10月の二度にわたって黒田斉清が借り出し、二度目の際には図譜に載せられた植物の名称の改定も指示していたことが分かります。この図譜は後に斉清が求めるところとなり、黒田家に伝来しました。
また、黒田資料には、斉清自身が筆を執って描いたと考えられる「鵞鳥図(がちょうず)」(資料番号12)が伝えられています。筆の運びや彩色は拙いながらも、ほぼ実物大と思われる鵞鳥が画面1杯に描かれており、眼病に負けず研究に情熱を傾ける斉清の姿が浮かんでくるようです。
一方、長溥も自ら植物を描いた「本草図」(資料番号14)を175枚も残しています。描かれているのは、幕末期から明治時代にかけて海外から日本に輸入されたチューリップやヒヤシンスなどで、品種名や渡来した時期が記されています。これら斉清と長溥本人や周辺で制作された図譜・写生図から、彼らの研究が分類や体系化を重視する博物学の側面を有していたことがうががい知れます。
(髙山英朗)

《参考文献》
『福岡県史』通史編福岡藩文化(上)(福岡県、1993年)、錦織亮介「福岡市美術館所蔵 鵞鳥図と福岡藩10代黒田斉清」(『福岡市美術館紀要』1号、2013年)など

展示資料リスト(名称/年代/作成/品質形状/員数)

貝原益軒と博物学
1、貝原益軒像/大正2年(1913)、原画:元禄7年(1694)/狩野昌運原画・貝原益軒原賛/ 印刷・掛幅装/1幅
2、大和本草/宝永6年(1709)刊/貝原益軒著/木版・書冊/21冊の内
3、花譜/元禄7年序、 同11年初版、天保15年(弘化元、1844)再版/貝原益軒著/木版・書冊/5冊の内
4、諸菜譜/正徳4年(1714)刊、宝永元年初版/貝原益軒著/木版・書冊/3冊の内
殿様たちの博物学
5、鵞経/大正14年写/黒田斉清著・白井光太郎写/墨書・書冊/1冊
6、黒田斉清書状/江戸時代後期/黒田斉清より島津重豪宛て/墨書・切紙、掛幅装/1幅
7、成形図説/文化元年(1804)/島津重豪著、曾槃・白尾国柱等編/木版色刷書冊/30冊の内
8、杉山尚行日記/天保4年/杉山尚行/墨書・小横帳/39冊の内
9、蘭渓翁記録/江戸時代後期/内海蘭渓/墨書・書冊/8冊の内
殿様たちの写生図
10、菊花図巻/江戸時代/作者不詳/紙本着色・巻子装/2巻
11、本草正画譜/江戸時代後期/内海蘭渓・黒田斉清・小野蘭山/墨書・彩色、書冊/27冊の内
12、鵞鳥図/江戸時代/伝黒田斉清/紙本着色・掛幅装/1幅
13、草花図/江戸時代/作者不詳/絹本着色・巻子装/1巻
14、本草図/幕末期~明治時代/黒田長溥/紙本着色・めくり/175枚の内

※本展の開催にあたり、福岡市総合図書館(5)、福岡市美術館(10・12・13、いずれも黒田資料)にご出品、ご協力を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します(括弧内は資料番号)。左記以外は当館の収蔵資料です。
※9は内海1雄氏の寄託、11と14は黒田資料です。
※会期中、1部展示替えをいたします。

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011 FAX:092-845-5019

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