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  • No.530 「老い」の図像学

企画展示

企画展示室1
「老い」の図像学

平成31年2月26日(火)~4月21日(日)

1 能面「白色尉」
1 能面「白色尉」
はじめに

 「老い」は寿命を全(まっと)うする限り誰もが経験する現象です。さまざまな体の機能が衰え、頑固で我儘(わがまま)になるというような性格の変化も老化に伴っておこるかもしれません。その一方で、豊かな経験や知恵を持ち、融通無碍(ゆうずうむげ)に人生を楽しむ人々を私たちは知っています。芸術の世界で言われる枯れた味わいや深みも年齢を重ねたがゆえの賜物(たまもの)と言えるでしょう。

 今の日本は未曽有(みぞう)の高齢化社会となり、大多数の人々が自分や家族の「老い」と向き合う時代となりました。「老い」は私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。本展では館蔵の日本美術の中から「老い」に関係する作品を選び、そのイメージを紐解きます。

長寿はお目出度い?

 一般的に長寿は永続性と繁栄を象徴するものとして、古くから祝福の対象とされてきました。特に近代以前では長生きすること自体が今より困難であったため長寿に対する憧れが強く、幸せのイメージと強く結びついていました。そのため、還暦(かんれき)(数え六十一歳)や古希(こき)(数え七十歳)など、一定の年齢に達すると家族によってお祝いがおこなわれ、婚礼の席でも夫婦和合と長寿を祈って「高砂(たかさご)や、この浦舟(うらふね)に帆をあげて・・」と謡曲「高砂」が謡われました。

 また、日本では古くからこうした「老い」の永続的なイメージは、社会に幸福をもたらす神の性格に通じると考えられてきたようであり、正月などに天下泰平や五穀豊穣を祈って演じられる能『翁(おきな)』では深遠な笑みをたたえた老人の面「白色尉(はくしきじょう)」(2)や「黒色尉(こくしきじょう)」(3)が神の面として用いられました。

 ただ、現在では医療や生活環境が充実して百歳まで生きる人も珍しくなくなる一方、家族や地域社会のあり方も大きく変わり、介護や生き甲斐といった様々な問題が議論されています。長寿=お目出度いという図式も揺らいでいます。

親孝行のすすめ

 子は老いた両親の世話をしなければならない、という社会通念は現代の日本でもかろうじて生き続けているように思われます。こうした一種のモラルは親子の愛情に根ざす自然な行為という見方もできますが、一方で親に「孝(こう)」を尽くすという中国の儒教思想が考え方の根底にあることも確かで、しばしば社会的規範として絵画の画題になりました。

5 二十四孝図(老萊子)
5 二十四孝図(老萊子)

 室町〜桃山時代の絵師・狩野永徳(かのうえいとく)の筆とみられる「二十四孝図(にじゅうしこうず)」(5)は、中国の孝子(こうし)をテーマにした屏風で、冬に筍(たけのこ)を食べたいと言った老母のために雪を掘り(生えているはずがない)筍を食べさせた孟宗(もうそう)や、老いた親を悲しませないために自身が七十歳になっても幼児の振りをした老萊子(ろうらいし)の話などが描かれています。また、「養老(ようろう)の滝図(たきず)」(4)は美濃国(岐阜県)の貧しい男が山中で酒の泉を見つけ、酒好きの老父にそれを飲ませて養ったという説話を描いた作品です。

「老い」を越える

 現実として「老い」の先に「死」があることは明らかです。しかし、人が持つ不老不死への憧れは仙人や神という生死の境を越えた存在を生み出し、そこに老人のイメージが重ねられてきました。

 江戸幕府の御用絵師、狩野探淵(かのうたんえん)の「寿老人(じゅろうじん)・桃(もも)に鶴図(つるず)」(6)は長寿を司る中国の道教神・南極老人(寿老人)と、やはり長寿を象徴する桃と鶴を描いた三幅対の着色画です。福岡藩の御用絵師・上田永朴(うえだえいぼく)の「群仙図(ぐんせんず)」(7)は九人の仙人が歩む姿を描いた水墨画で、仙人たちの表情からは何事にもとらわれない自由で飄々(ひょうひょう)とした楽しさが漂います。

 また、「白箸(しらはし)売(う)りの翁(おきな)」(8)は、都でいつも破れた衣を着て白箸を売っていた不思議な老人がいたが、死んだ後も見かけた人がいるという、平安時代の都市伝説「白箸翁(しらはしのおきな)」をもとにした人形です。八十二歳の時にこれを制作した博多人形師・原田嘉平(はらだかへい)は、晩年になってようやくこの作品を作ることができる境地に達したと語っています。

 ところで、仙人はほぼ男性であるのに対して女性はほとんど見かけません。むしろ能面「山姥(やまんば)」(9)や錦絵(にしきえ)「流行(りゅうこう)おばアさん」(10)に描かれた奪衣婆(だつえば)のように、鬼女に近い存在として表現されることが多く、月岡芳年(つきおかよしとし)の錦絵「芳年漫画(よしとしまんが)綱(つな)と茨木(いばらき)」(11)では平安時代の武士・渡辺綱(わたなべのつな)の伯母(おば)に化けた鬼(茨木)が、まさに鬼女として描かれています。このイメージの落差は、江戸時代の男尊女卑の風潮や、家や社会における男女の役割分担と関係があると考えられています。

笑いと苦(にが)み
12 福富草紙(部分)
12 福富草紙(部分)

 年齢を重ねると体の様々な部分が不自由になり気力も衰えるなど老化が進みます。外見的にも皮膚に皺が増え歯が抜け腰が曲がるなどの変化が起こり、若者から憐(あわれ)みや蔑(さげす)みの目で見られるのも「老い」の現実かもしれません。こうした一種の逆境にどう対処するかは人それぞれですが、中世に成立した物語絵巻「福富草紙(ふくとみぞうし)」(12)は「老い」の現実を「笑い」に転換した作品として異彩を放っています
(以下はそのストーリー)。

 ①ある所に高向秀武(たかむこのひでたけ)という貧しい老夫婦が住んでいた。②これまで何も良いことがなかったので妻の勧めで近くの神社に祈ったところ放屁(ほうひ)の芸(オナラの音が目出度い言葉に聞こえる)を会得(えとく)することができた。③秀武はそれを高貴な人に披露して多くの褒美を得てやがて長者になった。④隣の福富という老夫婦が羨(うらや)ましく思い妻の勧めで秀武に芸を習ったところ秀武の意地悪(芸の前に下剤であるアサガオの種を飲むように言った)のため粗相(そそう)をして打ち据えられた。⑤怒った福富の妻は秀武に呪いをかけ、かみついて散々な目にあわせた。

 これは老人を主人公にした一種のドタバタ喜劇ですが、そこには老人一般に通じる熟練の技が描かれる一方、我欲や身体的な衰えからくる失態、老齢の貧富なども暗示されており、笑いと共に「老い」の現実が醸(かも)し出す何とも言えない苦みが漂っています。

 こうした「老い」の現実や苦みは、能の作品の中にも見ることができます。本展示では息子と生き別れになった老父を描いた『木賊(とくさ)』で用いられる能面「木賊尉(とくさじょう)」(13)、老人の切ない恋をテーマにした『綾鼓(あやのつづみ)』の「茗荷悪尉(みょうがあくじょう)」(14)、絶世の美女・小野小町(おののこまち)の老境を描いた『卒塔婆小町(そとば(わ)こまち)』の「姥(うば)」(15)を紹介しました。また、狂言面「大祖父(おおじ)」は百歳を越える老人の面だとされ、歯が抜け皺だらけになった老人の、良くも悪くもリアルなイメージが表現されています。

生涯現役の絵師
20 馬上人物図
20 馬上人物図

 最後に、92歳で没するまで多くの作品を残したことで知られる筑前の絵師・斎藤秋圃(さいとうしゅうほ)(1768〜1859)について紹介しておきましょう。

 秋圃は明和5年(1768)に京都で生まれ、35歳の頃に大坂新町の遊郭で幇間(ほうかん)(客と芸者の間を取り持ち場の雰囲気を盛り上げる芸人)として働いていたようです。この頃既に絵師としても活動しており、38歳頃に筑前秋月藩主黒田家のお抱(かか)え絵師となり、61歳となる文政11年(1828)頃、隠居して太宰府に住居を移し、以後町絵師としての活動を続けました。

 特筆されるのは、制作年がわかる作品の多くが隠居後の70歳以降に描かれ、しかも寿老人やその象徴である鹿を好んで描いていることです。また、晩年に用いた画号「土筆(どひつ)」は鹿の毛で穂先を作った筆を仕込んだ杖を意味するらしく、これも寿老人と関係するとすれば、秋圃はある時期から自身の長寿に強いこだわりをもっていたことが窺えます。

 展示では88歳以降の作品3件を紹介しましたが、92歳の落款(らっかん)(サイン)を持つ「馬上人物図(ばじょうじんぶつず)」(20)は、全く「老い」を感じさせない颯爽(さっそう)とした筆致を見せています。 (末吉武史)

【出品リスト】
※4は個人寄託、その他は館蔵資料

1 人形「高砂」/昭和時代 原田嘉平 二体
2 能面「白色尉」 室町〜桃山時代 一面
3 能面「黒色尉」 江戸時代 一面
4 養老の滝図 江戸時代 六曲一隻
5 二十四孝図 室町時代 六曲一双
6 寿老人・桃に鶴図 江戸時代 狩野探淵 三幅対
7 群仙図 江戸時代 上田永朴 一幅
8 人形「白箸売りの翁」 昭和時代 原田嘉平 一体
9 能面「山姥」 桃山〜江戸時代 出目古元利永満 一面
10 錦絵「流行おばアさん」江戸時代 歌川国芳 一枚
11 錦絵「芳年漫画 綱と茨木」 明治時代 月岡芳年 二枚続
12 福富草紙 江戸時代(写) 二巻
13 能面「木賊尉」 江戸時代 一面
14 能面「茗荷悪尉」 室町〜桃山時代 一面
15 能面「姥」 江戸時代 出目洞水満毘 一面
16 狂言面「大祖父」 江戸時代 一面
17 人形「卒塔婆小町」 昭和時代 小島与一 一体
18 浦島太郎図 江戸時代 斎藤秋圃 一幅
19 福禄寿・鹿鶴亀図 江戸時代 斎藤秋圃 二幅対
20 馬上人物図 江戸時代 斎藤秋圃 一幅

【主要参考文献】

宮田登・新谷尚紀編『往生考 日本人の生・老・死』小学館、新村拓『老いと看取りの社会史』法政大学出版局、天野正子『老いの近代史』岩波書店、加須屋誠『生老病死の図像学』筑摩書房、展覧会図録『斎藤秋圃と筑前の絵師たち』福岡県立美術館、展覧会図録『御長寿美術展』板橋区立美術館、調査報告書『齋藤秋圃・梅圃関係資料』太宰府市教育委員会、『太宰府市史 建築美術工芸編』太宰府市

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