企画展示
企画展示室4
発掘された戦争の痕跡(こんせき)
令和2年8月12日(水)~9月13日(日)

今年は戦後75年。これまで福岡市域では2千カ所を超える発掘調査が行われ、各時代の重要な遺構や遺物が発見されました。発掘調査された遺構や遺物の中には、明治時代以降の戦争や軍事に関連するものも少なくありません。
この企画展では、福岡城内におかれた連隊関連の遺物を中心に、福岡市の発掘調査で出土した戦争関連遺物を展示します。あらためて戦争と平和を考える機会になれば幸いです。
一 福岡の変
明治9年(1876)不穏な動きがあった鹿児島県に備え、歩兵第14連隊の大隊が福岡城内に設置されました。翌年始まった西南戦争と連動して、旧福岡藩士などが福岡で挙兵し、いわゆる「福岡の変」が勃発しました。彼らは七隈の大隊屯所(だいたいとんしょ)や福岡城跡を襲いましたが、敗れて甘木(現在の朝倉市)へ逃れました。福岡城跡や七隈周辺の古墳では、その時のものと思われる弾丸(だんがん)・薬莢(やっきょう)・雷管(らいかん)が出土しています。
二 福岡城の陸軍
かつて鴻臚館(こうろかん)・福岡城があった地に、明治19年(1886) 陸軍歩兵第24連隊が置かれ、兵舎などが整備されました。その後も城内には旅団司令部・病院など各種の軍施設が整備されます。昭和20年(1945)6月の福岡大空襲で兵舎などが焼失した後、陸軍の部隊は一部を残して現在の筑紫野市山家(やまえ)などに移転しました。陸軍の建物跡は、鴻臚館や福岡城の発掘調査に伴って再発見され、多くの遺物が出土しています。
三 防空壕(ぼうくうごう)
第1次世界大戦で初めて飛行機が戦争に使われると「防空」という考え方がうまれました。日本でも防空の重要性が説かれ、防空演習も行われました。昭和17年(1942)、内務省防空局が「防空退避施設指導要領」を作成し、「簡易にして構築容易なるもの」として、各家庭の庭や床下に簡易な防空壕が掘られました。発掘調査でも、これらの個人用・家庭用の防空壕が見つかっています。
四 空襲(くうしゅう)
昭和19年(1944)福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区・同西区)をB-29が初めて飛来しました。翌年になると、米軍爆撃機は各地で大規模な空襲を行いました。昭和20年6月19日深夜、米軍は博多や天神の市街地などを焼き尽くしました。福岡大空襲です。被災者数6万人以上、死者・行方不明者は千人を超えました。福岡城内にあった軍の建物群の多くも類焼し、軍隊にも死傷者が出ました。
五 その他の戦争関連遺物
弥生時代や古墳時代の遺跡からも、戦争関連の遺物が出土することがあります。例えば戦時中の金属代用製品や、軍隊を退役した時の記念品、ヘルメット、軍人の人形などが出土しており、軍の施設以外でも、「戦争」の時代の影響をみることができます。
六 終戦・平和台
昭和20年(1945)8月15日、政府はポツダム宣言の受諾を宣言しました。翌9月末には米軍が進駐してきました。昭和21年に日本国憲法が公布、翌22年施行され、その前文には繰り返し、「平和」の文字が登場します。かつて陸軍があり、その後米軍が占拠した福岡城跡では、岡部平太(おかべへいた)らの尽力により、昭和23年第3回国民体育大会が開催され、競技場などは「平和台」と名付けられました。
参考 日本国憲法前文(抜粋)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
七 福岡市内の戦争遺跡
福岡連隊の他にも福岡市内には多くの軍の施設が存在しました。中央区薬院周辺には陸軍第6航空軍司令部がおかれ、帰還した特攻隊員を収容した振武寮(しんぶりょう)などがありました。博多区席田(むしろだ)には陸軍席田飛行場(現福岡空港)、東区海の中道に博多海軍航空隊、西区周船寺(すせんじ)周辺に福岡海軍航空隊が設置されました。その他、本土防衛のために数多くの陸海軍施設が作られました。西区小呂島(おろのしま)には砲台跡が良好な形で残っており、小呂小中学校や地元の方々によって手作りの案内板やマップが制作されています。(米倉秀紀)








展示資料
(明示しているもの以外は、福岡市埋蔵文化財センター・同埋蔵文化財課所蔵)
一 火縄銃の玉・ミニエー銃弾丸・薬莢・雷管 (福岡城跡出土)
ミニエー銃の雷管(干隈熊添古墳・瀬戸口古墳出土)
二 福岡城跡出土陸軍関係遺物
鍵・戸車・釘・電球の笠等建築物関連遺物
軍刀・銃剣・弾丸・薬莢等武器関連遺物
認識票・星形徽章・ボタン・軍靴等身に着けるもの関連遺物
歯ブラシ・「鹿印練歯磨」銘小皿・「二四」銘碗・各種容器等軍隊生活関連遺物
「龍六七三六」認識票 福岡市博物館所蔵 重松一資料(追加分)
写真「銃剣を持った男性一人」福岡市博物館所蔵 重松珠子資料
三 防空壕出土遺物
「杉屋第二酒場」等銘罇形・「金堀酒店」等銘徳利・簪・目薬瓶・「百道ラムネ」銘
ガラス瓶・「TABLE SALT」銘ガラス瓶(有田遺跡群出土)
写真週報第一三六号 福岡市博物館所蔵 前田盛幸資料(追加分)
四 焼夷弾(今宿五郎江遺跡・福岡城跡出土)
溶解ガラス・溶解鉛 (福岡城跡出土)
五 軍人人形(吉塚本町遺跡出土) 防衛食容器(山王遺跡・那珂遺跡群出土)
「海軍満期紀年」銘小皿(福岡城中堀出土) 磁器製秤(福岡城跡出土)
六 ポスター「第三回国民体育大会」 福岡市博物館所蔵
主な参考文献
アグスティン・サイス著 村上和久訳 『日本軍装備大図鑑』 原書房 2012
池田一秀編 『大日本帝國軍隊』 研秀出版株式会社 1979
伊崎俊明・小川泰樹編 『福岡県の戦争遺跡』 福岡県教育委員会 2020
五十君弘 『歩兵第二十四聯隊歴史』 歩兵第二十四聯隊 1934
川口勝彦・首藤卓茂 『福岡の戦争遺跡を歩く』 海鳥社 2010
十菱駿武・菊池実編 『しらべる戦争遺跡の事典』 柏書房 2002
内閣情報部(情報局) 『写真週報』各号
中島和男・片山隆裕編 『戦争を歩く・戦争を記憶する』 朝日出版社 2019
福岡空襲を記録する会 『火の雨が降った』 1986
福岡市史編集委員会編 『福岡城 築城から現代まで』 福岡市 2013
防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 本土決戦準備2 九州の防衛』 朝雲新聞社 1972
吉田裕 『日本軍兵士』 中央公論新社 2017
読売新聞西部本社編 『福岡百年』上・下 浪速社 1967
「部隊通称号」ほか 防衛庁防衛研究所所蔵各種資料(アジア歴史資料センターより)