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企画展示

企画展示室1
鬼は滅(ほろ)びない―Demons Die Hard

令和3年4月1日(木)~6月13日(日)

■はじめに

 日本に育った人なら、昔話や節分行事を通じておそろしい鬼と出会ったことや、鬼ごっこなどの遊びを通じて自分が鬼になった経験があるのではないでしょうか。鬼は暮らしのあちこちに登場します。でも、鬼ほど、よく知っているようで知らない相手もなかなかいません。鬼といえば二本角の赤い顔を思い浮かべるかもしれませんが、実は様々な姿があり(姿がないものすらあり)、その正体にも諸説あります。鬼そのものを語ることは一筋縄ではいきません。ならば人との関係性から鬼を捉えてみようということで、本展では館蔵資料から鬼の「滅ぼし方」を探ります。博物館流の鬼退治に、どうぞお付き合いください。

◆特別な力のある実や種を投げつける

 身近な鬼退治としてまず思い浮かぶのが豆撒(ま)きです。「豆(まめ)」は「魔滅(まめ)」に通じるとされ、邪気や疫病をもたらす「疫鬼(えきき)」を祓(はら)うために用いられます。豆から逃げ出す鬼の絵(出品1)は、小さな豆に宿る大きな力を感じさせます。

 鬼に投げつけて有効なのは「豆」だけではありません。平安時代の説話集や節分の風習の中には、鬼に「米」を投げる事例が確認できます。また神話ではイザナギが黄泉(よみ)の国の追手に「桃」を投げて退けたとあり、『日本書紀』(出品2)にも「桃を用(も)て鬼を避(ふせ)く」と記されます。

 とはいえ投げるだけでは、鬼は逃げたり避けたりするばかり。これでは滅ぼせそうにありません。

◆刀で斬る
(図1)「大江山絵巻」下巻(部分)
(図1)「大江山絵巻」下巻(部分)

 では刀で斬るのはどうでしょうか。「大江山絵巻(おおえやまえまき)」(出品3)では、武将・源頼光(みなもとのよりみつ)が「彼(かの)悪鬼(あっき)を滅(ほろぼ)」すべしと勅命(ちょくめい)を受け、都で悪事を働く鬼・酒呑童子(しゅてんどうじ)の討伐に向かいます。討伐隊は「雲切」「血すい」「石はり」「鬼切(髭切)」という由緒ある刀で鬼の首を切り落とすことに成功しますが(図1)、これは事前に仕込んだ毒の力や、鬼を怨(うら)む人々の協力あっての結果でした。鬼の討伐は「(千騎万騎で立ち向かっても)刀にては叶(かなう)まし」と異本(いほん)に記されます(参考文献5)。

 浮世絵にも説話集に由来する鬼が登場します。しかし刀を抜くと鬼が消えた(出品4)、刀で鬼の腕を切り落としたが後日取り返された(出品5)など、いずれも刀だけでは鬼を滅ぼせていません。

◆神仏や太陽の力に頼る

 鬼が強大であればあるほど人間の力で倒すことは難しいのでしょう。そこで頼りになるのが神仏や自然の力です。

 先程の「大江山絵巻」では、頼光が「(よく考えるとこの鬼討伐は)凡夫(ぼんぷ)の力にて及(および)かたし」と言い、皆で手分けして八幡(はちまん)、住吉(すみよし)、熊野(くまの)の諸社にお参りします。すると鬼の城へ向かう途中で謎の三人組が(明らかに三社の神々ですが)道案内に現れ、手助けしてくれます。同主題の浮世絵の中には、酒呑童子との最終決戦で、神々が空から「ビーム」を放ち、援護射撃をしてくれるものもあります(出品6)。冗談のような描写ですが、神仏の力が物語にとって重要な要素だからこそ視覚化されたのでしょう。

 「百鬼夜行図巻(ひゃっきやこうえまき)」(出品7)の化け物はコミカルな姿ですが、これでも出くわせば病や死に至る恐ろしい鬼たちです。平安時代の説話集『今昔物語集』(出品8)などでは、「仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)」という呪文を誦となえたり衣に縫い付けたりすることで、百鬼夜行をやり過ごせた例が確認できます。本図巻末には火の玉が現れ鬼が逃げ帰るさまが描かれますが、これは仏法の威光が鬼を追い払う表現だとする研究者もいます(図2)。

(図2)「百鬼夜行図巻」(部分)
(図2)「百鬼夜行図巻」(部分)

 なおこの火球は朝日だとする説もあり、それもまた、夜明けとともに鬼が去ったという説話の記述に由来します。

 神仏や太陽の力に頼ることは、鬼を滅ぼす一助となる場合もありますが、鬼をやり過ごす、もしくはその場から追い払うに止(とど)まる場合もあるようです。

◆ 護摩(ごま)を焚(た)く

 『源氏物語』には嫉妬のあまり生霊(いきりょう)となって恋敵を悩ませる六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)という女性が登場します(出品9)。彼女の生霊を調伏(ちょうぶく)する際に護摩で焚かれたのが芥子(けし)です。当時、物(もの)の怪(け)を調伏するには護摩を焚くのが一般的でした。日本では、「鬼」という漢字は「オニ」と読まれるほか「キ」「モノ」とも読まれた時代があり、モノノケは広義の鬼と解釈されます。

 「鬼」は中国から輸入された言葉で、元は目に見えない死者の霊や死者そのものを意味しました。福岡藩を代表する儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)も『日本釈名(にほんしゃくみょう)』(出品10)の中で、「おには俗にいはゆる幽霊の事也」と述べています。しかし「鬼」が日本に根付く途上でその概念が拡大、転用されると、死者ではなく人間、特に女性が生きながらに変じて鬼となる例が現れます。これが中世文学や芸能でしばしば取り上げられ、般若という凄絶かつ哀切な鬼女に洗練されました。「白般若」(出品11)は、『源氏物語』を主題とする能の演目「葵上(あおいのうえ)」で、高貴な女性が変じた鬼に用いられる面です。

 さて、護摩を焚かれた六条御息所はというと、正気に戻ったあと、芥子の残り香で自らが調伏すべき物の怪と化していたことを悟ります。しかし自身の健康に害はなく、恥じ入りながらも後々まで恋敵の枕元に立ち現れます。護摩を焚こうが自省しようが、心の中の鬼は滅ぼしがたいのかもしれません。

◆薬を飲む

 中国の古い医書には、鬼が引き起こす「鬼病(きびょう)」が数多く紹介されています。「鬼病」には呪符(じゅふ)や呪文を用いる呪術的治療のほか、投薬や鍼灸(しんきゅう)など医学的治療が有効とされました。中国医学では、治療を通じて「鬼」を「殺す」ことができると考えます。中国最古の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(出品13)にも、薬である「桃梟(とうきょう)」は「百鬼精物を殺す」と記されます。

 「神農諸病退治図(しんのうしょびょうたいじず)」(出品14)は、薬と病を武将と鬼に見立て、組(く)んず解(ほぐ)れつ合戦する光景を描いた浮世絵です。薬と鬼が、合戦といういわば殺し合いをする発想には、中国医学の「鬼」観が影響しているのかもしれません。

 薬を飲むことで、鬼を殺し、個々の患者を治療することはできます。しかし病因としての鬼まで滅ぼせるでしょうか。

◆追い立てる
(写真1)今宿上町天満宮の鬼すべの鬼
(写真1)今宿上町天満宮の鬼すべの鬼

 北部九州には仏教行事の修正会(しゅうしょうえ)に由来する鬼追い行事がいくつか残り、福岡周辺には鬼に見立てた厄災を追い祓う正月行事「鬼(おに)すべ」が伝わります。上町天満宮(うえまちてんまんぐう)(西区今宿(いまじゅく))では、稲藁でつくる角(出品15・写真1)などを身につけた鬼役が、青年たちと攻防しながら家々を巡りますが、最後は境内の燃え盛る火の中に引き込まれ、松葉の煙で燻(いぶ)され、鬼すべ堂に追い込まれます。

 散々な目に遭う鬼ですが、決して滅ぼされたわけではなく、毎年姿を現しては、また追われることを繰り返します。

■おわりに

 様々な鬼の滅ぼし方をみてきましたが、結果としては、鬼を一時的に退けるものが多いようです。実は「大江山絵巻」では童子は滅びたと語られますが、鬼の眷属(けんぞく)は生け捕りにされます。滅ぼすという言葉を絶滅させることと捉えるならば、ここでも鬼が滅びたとは言い難いでしょう。仏教や朝廷の権威称揚を目的とする文脈で用いられる「滅」の字は、一種の誇張表現である点にも注意が必要です。多くの場合、おそるべき鬼は滅ぼすものではなく、繰り返し関わり続ける相手なのだといえます。鬼瓦や壱岐(いき)の鬼凧(おんだこ)(出品16)をみると、私たちは時に積極的に、「強さ」の象徴として鬼を利用してきたこともわかります。

 鬼は強くおそろしいだけの存在ではありません。能において般若となった六条御息所は、怨みを表現しながらも僧の誦経(ずきょう)に唱和し、「地獄の底から救済を求める」鬼となった人間の哀しみを体現します(参考文献1)。対峙する鬼のなかに生きた人間を見出すとき、私たちは、初めてその心に寄り添うことができるのかもしれません。

 博物館流の鬼退治とは、鬼を滅ぼすのではなく鬼を知ることだと考えます。すべての鬼を紹介するには至りませんでしたが、本展が身近な鬼を振り返るきっかけとなれば幸いです。 (学芸課鬼殺係)

■展示資料
  1. 下絵(節分の鬼) 吉川観方筆 一幅
  2. 『日本書紀』 舎人親王ほか編 一冊
  3. 「大江山絵巻」下巻 山中幸勝筆 一巻
  4. 「和漢百物語 貞信公」 月岡芳年画 三枚続
  5. 「戻橋鬼女退治」 揚州周延画 三枚続
  6. 「四天王大江山入之図」 三代歌川国政画  三枚続
  7. 「百鬼夜行図巻」 尾形守房筆 一巻
  8. 『今昔物語集』 作者不詳 一冊
  9. 『湖月抄』 作者不詳 一枚
  10. 『日本釈名』 貝原篤信(益軒)著  一冊
  11. 能面 白般若 江戸時代前期  一面
  12. 「偐紫田舎源氏」 月岡芳年画 一幅
  13. 『神農本草経』 編者不詳 一冊
  14. 「神農諸病退治図」 歌川芳虎画 三枚続
  15. 鬼の角 平成4年 一点
  16. 鬼凧 昭和43時代 一点
  17. 福箒 平成時代 一点
  18. 写真(豆まき) 昭和20年代ヵ 一点
  19. 下絵(豆まき) 吉川観方筆 一枚
  20. 『和朝今昔物語』 作者不詳 一冊
  21. 種子(桃) 3世紀頃 十九点
  22. 戻橋鬼女退治 揚州周延画 三枚続
  23. 綱館鬼のかいな図 中村芝鶴筆 一幅
  24. 「灯下百鬼行列戯画」 秀斎画 一枚
  25. 能面 生成 室町~桃山時代 一面
  26. 『医心方』 丹波康頼編 一冊
  27. 流鏑馬神事の当たり的 令和時代 三点
  28. 『筑前名所図会』(複製版) 奥村玉蘭著 一冊
  29. 大津絵(鬼の念仏) 江戸時代後期 一面
  30. 鬼の念仏図 月僊筆 一幅
  31. 鬼の寒念仏の木彫人形 昭和時代 二点
  32. 鬼凧(バラモン凧) 昭和時代 一点
  33. 洋蝶凧  昭和時代 一点
  34. 鬼瓦 江戸時代 一点
  35. 鬼神社鬼絵馬 昭和時代 三枚
  36. 鬼仏図 作者不詳 野田卯太郎賛 一幅
■主要参考文献
  1. 馬場あき子 『鬼の研究』 (筑摩書房 1988)
  2. 『フォークロア』第1号 (本阿弥書店 1994)
  3. 長谷川雅雄・辻本裕成・クネヒト ペトロ 「「鬼」のもたらす病(上)」 (『南山大学研究紀要』2018)
  4. 森正人 『古代心性表現の研究』(岩波書店 2019)
  5. 日野綾子・小林知美・井形栄子 「福岡藩お抱え絵師の研究(二)」 (『筑紫女学園大学人間文化研究所年報』 2020)
福岡市博物館
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