企画展示
企画展示室4
動作と道具「とる」
令和4年8月17日(水)~10月23日(日)
はじめに

みなさんは「とる」という言葉から、どのような動きを想像しますか。
辞書を引くと、「とる」には取・把・捕・執・採・摂・撮など30以上の漢字があります。その多くは、生きるために食料などを得ることに深くつながる言葉であり、そこには私たちの手の動きが大きく関わっています。
この展示では、人の生活にみられるさまざまな「とる」動作のうち、動植物の捕獲と採集に焦点をあて、そこで使用される道具を中心に人々のさまざまな活動を紹介していきます。
◆獣を「とる」
陸上で獣を「とる」方法は、石を「投げ、あてる」ことから始まりました。
旧石器時代の寒冷期に、ナウマンゾウやオオツノジカなど、動きのゆっくりとした大型の動物を離れたところから狙えるように、全身を使って「投げる」石槍が作られました。
その後、動きの速いシカやイノシシなどを効率的に仕留めるために、「投げる」だけでなく、矢を「放つ」動作が加わりました。
さらに、江戸時代になり猟銃が普及すると、より遠くにいる大小さまざまな獲物が仕留められるようになりました。全身で弓を引き絞り、矢を放つ動作は、指先で引き金を「引く」動作へと変化していきました。

また、シカやイノシシ、イタチなどの中小の獣を捕まえるために罠(わな)を「仕掛ける」こともあります。たとえば、獲物が罠に触れるとバネの仕掛けで、獲物の脚を挟み込む鉄製の虎鋏(とらばさみ)などがありました。田畑を荒らすモグラや穀物を食べるネズミなどの害獣も、体型や生態に応じて工夫された罠を用いて捕獲してきました。
◆魚介類を「とる」
水産物を「とる」動作も、人類の活動初期からあったと思われますが、それを示す道具が残っているのは縄文時代からです。対象には、魚やクジラなどのほか、貝、甲殻類などがあり、それぞれの生態を踏まえて考案された道具が使われてきました。

魚を「とる」方法には、潜水漁や網漁、釣漁などがあり、出土した遺物から、これらの漁が縄文時代には行われていたことが分かっています。たとえば、釣針は最も知られている漁具の一つです。材質の違いはありますが、「J」形で「かえし」がついており、現代まで続く形がすでに出来上がっています。水中で身体を酷使することなく、釣糸を通じて深いところに生息する魚を「とる」道具ということができます。
クジラや大型魚は銛(もり)で仕留めます。「かえし」がついた銛に縄をつけ、目標に打ち込み、獲物が弱るのを待って、縄を引き寄せて捕獲します。銛は、縄文・弥生時代は骨・角・石で作られ、古墳時代以降は鉄製に変わります。銛も陸上の槍と同じ「投げる」道具です。
江戸時代には、「鯨組」と呼ばれる組織によって盛んに捕鯨が行われました。その様子を伝える銛や捕鯨図も数多く残されています。近代になると、捕鯨砲の導入により「投げる」動作は影をひそめ、捕鯨砲によって銛を打ち出す身体の動きを伴わない方法へと変化しました。

砂泥地に生息するアサリやシジミなどの貝類は手で採取するだけではなく、金属製の爪を持つ雁爪(がんづめ)や熊手(くまで)など、手の機能を拡張した道具を使います。籠つきの大形熊手である鋤簾(じょれん)は、長い柄を持って引きながら、立ったまま砂泥中の貝を一気に掻(か)きとることができます。
また玄界灘(げんかいなだ)沿岸部では、古くから、岩礁にいるアワビなどの貝類を潜って採集する潜水漁が古くから海女・海士によって盛んに行われてきました。海中では、アワビオコシという鉄製のヘラを岩と貝の間に差し込み、腕の力とテコの原理を使って剥(は)がしとります。
◆植物を「とる」
人類は自然のなかで自生する植物を採取することから始まり、縄文時代に作物を栽培し始めたと考えられています。その後、弥生時代以降に大陸から伝わった稲作は、歴史のなかで栽培の技術や道具の改良を繰り返しながら今日まで連綿と続いています。
稲作の場合、田起こし、田植え、除草、稲刈り、脱穀調整といった流れに沿ってさまざまな道具があり、その一部は弥生時代から見ることができます。
稲刈りは、弥生時代の石包丁による穂首刈(ほくびが)りに始まり、古墳時代前後から鉄鎌を使った根刈(ねが)りに変化します。稲穂から籾を外す脱穀の工程は、古くは扱(こ)き箸(ばし)と呼ばれる道具で一本一本もぎとっていましたが、江戸時代に千歯扱(せんばこ)きが登場します。これは稲穂を歯と歯の隙間に差し込み、手前に引き抜くことで脱穀できる画期的なものでした。

ほかにも、縄文時代から弥生時代前半には、石鍬(いしぐわ)を使って栽培した芋などの根菜類を収穫していたことが分かっています。近年に至るまで、山芋などを収穫する際には、周囲の土を掘るための鉄製の細長い棒などが使われてきました。

また、発掘により、大規模な平安時代の製塩遺跡が見つかった海の中道遺跡(東区)からは、製塩に必要な藻を刈るために使われたと考えられる鉄製の鎌が出土しています。現在も、志賀島(しかのしま)(東区)や玄界島(げんかいじま)(西区)などでは、メカリガマと呼ばれる鎌が使われており、浅瀬の海藻を刈ったり、長い竿の先端に取りつけて海中の海藻を刈りとったりしています。
――さまざまな「とる」――
人は平等に齢をとり(重ね)、その姿を記録するために写真や映像を撮ります。時には、魅力的な人物や物事に出会った際に、心をとられる(奪われる)こともあるでしょう。また、夏場は涼を、冬場は暖をとり、季節に合わせた生活をします。
「とる」という行為は、食料を得ることだけにとどまらず、私たちの生活全般にわたって密接に結びついているようです。(米倉秀紀)
主な展示リスト
- ●ナイフ形石器 原田富三郎資料
- 〇剥片尖頭器 有田遺跡群出土
- 〇石槍 元岡・桑原遺跡群出土
- ●石鏃 原田富三郎資料
- ●弓(複製) 古賀市鹿部東町遺跡 原資料 古賀市教育委員会蔵
- ●「狩猟図」 中西毅蔵資料
- ●虎鋏(イタチワナ) 福岡市立歴史資料館資料
- 〇石銛 大原D遺跡出土
- ●捕鯨用銛 高田茂廣資料
- ●「筑前国鮪漁之図」
- ●石錘 山㟢明資料
- ●鋤簾 古賀善一資料
- ●イソガネ 福岡市立歴史資料館資料
- ●「肥前国産物図考」
- ●ウナギ掻き 毛利通友資料
- ●製塩土器 大内士郎資料
- ●「蛍狩り」 吉川観方コレクション
- ●蝿取り棒 藤本健八資料
- ●石包丁 重藤博美資料
- ●穂首刈り具 (タイ国) 森本朝子資料
- ●千歯扱き 福岡市立歴史資料館資料
- ●唐竿 福岡市立歴史資料館資料
- ●山芋堀り 南区民俗文化財保存会資料
- ●メカリガマ 福岡市立歴資料館資料
※●は当館蔵
〇は福岡市埋蔵文化財センター蔵