企画展示

企画展示室1
博物館髪型探訪

令和4年8月23日(火)~ 10月23日(日)

■はじめに
図1.作者不詳「太夫図(摸作)」(部分)
図1.作者不詳「太夫図(摸作)」(部分)

 「日本髪(にほんがみ)」といえば時代劇や和装の花嫁姿でおなじみの、頭髪を複雑な形に結い固めた女性の「結髪(けっぱつ)」が思い浮かびます。歴史を紐解くと、平安時代以来約700年の長きにわたって「垂髪(すいはつ)」の時代が続いており、「結髪」が盛んになったのは桃山時代以降のことです。結髪文化は江戸時代を通じて豊かに花開き、近代以降も形を変えながら現代まで400年余り続いています。本展では女性の結髪史を概観するとともに、髪型にまつわる様々な博物館資料をご紹介します。

■結髪のはじまり

 長らく日本女性は垂髪の美を誇ってきましたが、実際に日常生活でも髪を長々と垂らしておけたのは限られた貴婦人だけでした。多くの女性はしばしば暮らしの必要に応じて伸ばした髪を一時的にまとめたといいます。当初、その髪の結び目は位置が高すぎると品が良くないとされましたが、中世以降は徐々にその位置が腰や背中あたりから首元、そして頭頂へとあがり、同時に垂髪の丈も短くなって「かもじ」(付け髪)が普及しました。

 さて結髪文化がはじまった桃山時代は、戦に明け暮れた前時代から一転し、華美と異風が好まれた時代です。同時代の絵に描かれた女性たちは、遊女を中心に肩のあたりでばっさりと髪を切り、男性の髷まげや異国人の髪型などを真似てのびのびと振舞っています。のちに爆発的に種類を増やす結髪には概ね4つの系統が認められますが、そのほとんどが遊女から広まったといいます。

 まずは4つの基本系統をみてみましょう。1つめは「太夫図(たゆうず)」(図1・出品5)に描かれている「兵庫髷(ひょうごまげ)」系です。17世紀初頭に生まれた髪型で、髪を頭頂でまとめて輪をつくり、根元に余り毛を巻いた形です。歌舞伎踊りの創始者出雲(いずも)の阿国(おくに)も結ったとされる桃山時代の「唐輪髷(からわまげ)」を洗練させた形で、その源流は異国人や稚児(ちご)の髪型だとされます。

図2.伝西川祐信筆「柳下美人図」(部分)
図2.伝西川祐信筆「柳下美人図」(部分)

 2つめは「柳下美人図(りゅうかびじんず)」(図2・出品6)にみられる「島田髷(しまだまげ)」系です。17世紀前半に若衆歌舞伎を担った美少年の結っていた「若衆髷(わかしゅうまげ)」が元とされ、折りたたんだ髷の中ほどを括るのが特徴です。17世紀半ば頃までに遊女あるいは歌舞伎役者が取り入れ、人気に火が付きました。いわば異性装ですが、次第に上流階級の子女にも受け入れられ、若い女性の代名詞として長く愛されました。

図3.伝 宮川長春筆「勝山遊女図」(部分)
図3.伝 宮川長春筆「勝山遊女図」(部分)

 3つめは「勝山遊女図(かつやまゆうじょず)」(図3・出品7)の「勝山髷(かつやままげ)」系です。頭上に束ねた髪で輪をつくり、白の元結をかけた品のある髪型です。17世紀半ばに生まれたとされます。のちに輪の幅を広げるなどして「丸髷(まるまげ)」ができ、既婚女性の髪型になりました。

 4つめの「笄髷(こうがいまげ)」系のみ、遊女ではなく宮廷女官や御殿女中から広まったとされます。彼女達は垂髪から発展した「おすべらかし」(出品4)を普段結っていましたが、自室で休憩する際は後ろに長く垂らした髪を笄(こうがい)という簪(かんざし)の一種に巻き付けてアップスタイルにしました。笄を抜けばすぐさま垂髪に戻れる便利さが重宝されたようです。

 4つの基本系統は、組み合わせたり細部を変形させたりすることで、のちに何百種類もの髪型に発展しました。

■様々な髪型と道具
図4.鈴木春信画複製 『絵本 青楼美人合』より「市之江」(部分)
図4.鈴木春信画複製 『絵本 青楼美人合』より「市之江」(部分)

 結髪はいくつかの部位からなり、大きく分けると「前髪」「鬢(びん)(耳周りの髪)」「髱(たぼ/つと)(後頭部の髪)」「髷(まげ/わげ)(頭頂部に束ねた髪)」の四部位で構成されます。初期の結髪は各部を分けずに結っていましたが、江戸時代に部位ごとに形作る技術が確立すると、髷の形のみならず髱や鬢の形にも流行が現れました。例えば「勝山遊女図(かつやまゆうじょず)」には縦長の髱が、「市之江(いちのえ)」(図4・出品10)には跳ね上がった鶺鴒髱(せきれいたぼ)が描かれており、それぞれ17世紀後半と18世紀前半の流行を反映しています。その後、髱より鬢に趣向を凝らす髪型が増え、鬢の拡張とともに髱は縮小します。18世紀半ばに流行した「燈籠鬢(とうろうびん)」が「見立寒山拾得図(みたてかんざんじっとくず)」(図5・出品12)に描かれていますが、大きく横に張り出た鬢に対して髱はもはや目立ちません。結髪は髷の種類だけでなく、その位置や太さ、髱と鬢とのバランスによって印象が変わります。図5は島田髷ですが、他の島田髷を描いた作品と見比べるとそれがよく分かるはずです。

図5.伝勝川春章筆「見立寒山拾得図」(部分)
図5.伝勝川春章筆「見立寒山拾得図」(部分)

 髪型の発達と共に、道具や飾りも多様化しました。江戸時代前半の絵には、櫛こそあれ簪類がほぼ描かれていませんが(出品14)、結髪文化が爛熟する江戸時代後期にかけて髪も飾りも巨大化します(出品15)。櫛や簪などの髪飾りが最も多様化するのは近代だと言われています。

■結髪図巻(けっぱつずかん)

 江戸時代後期に描かれた「結髪図巻(けっぱつずかん)」(出品21)は、当時の女性の髪型図鑑のような作品です。6m弱にわたり描かれた結髪は32種33図。参考までに冒頭から結髪名を挙げてみましょう。

 ①銀杏髷(いちょうわげ)・②ひっこけ・③菊髷(きくわげ)・④稚児髷(ちごわげ)・⑤ 貝髷(ばいわげ)・⑥嶋田鴛鴦(しまだおしどり)・⑦鴛鴦髷(おしどりわげ)・⑧ 笄髷(こうがいわげ)・⑨勝山(かつやま)・⑩当世(とうせい)の嶋田(しまだ)・⑪嶋田(しまだ)・⑫ 後家髷(ごけわげ)・⑬ 兵庫髷(ひょうごわげ)・⑭ 梅幸髷(ばいこうわげ)・⑮片笄(かたこうがい)・⑯かせ髷(わげ)・⑰おそそ髷(わげ)・⑱よねみ髷(わげ)・⑲うつわん草(そう)・⑳とんとん髷(わげ)・㉑はりもどき・㉒こっぽり髷(わげ)・㉓吹髷(ふきわげ)・㉔奴髷(やっこわげ)・㉕かけおろし・㉖両輪(りょうわ)・㉗先笄(さきこうがい)・㉘片髷(かたわげ)・㉙丸輪(まるわ)・㉚梳髪(すきがみ)の貝髷(ばいわげ)・㉛間男(まおとこ)梳髪(すきがみ)・㉜梳髪(すきがみ)のもたせ

 髷を「まげ」ではなく「わげ」と読むのは上かみ方がた方言です。本図は画風から京の祇園(ぎおん)周辺で活動した絵師・祇園井特(ぎおんせいとく)(1755頃~1827以降ヵ)の作と考えられ、ここに登場する髪型や名称は、関西あるいは花街ならではのものである可能性があります。例えば㉗先笄は京阪の商家の若妻が結った髪型で、「若妻図(わかづまず)」(出品1)にもみられます。また隠語を冠した⑰おそそ髷のほか、⑱よねみ髷、⑲うつわん草などは詳細不明の髪型で、今後の研究がまたれます。

19世紀はじめの爛熟期に最大化した女性の髷は、次第に全体の均整を重視し、幕末にかけて小ぶりに変化しました。

■おわりに

 明治4年(1871)、近代化推進施策の一つとして男性の髷に対する断髪令(だんぱつれい)が出されると、女性の髪にも変化が起こります。明治18年に発足した「婦人束髪会(ふじんそくはつかい)」が、江戸時代を通じて発展してきた女性の結髪を不便・不潔・不経済と断じ、新時代にふさわしい近代的な髪型「束髪(そくはつ)」を提唱したのです。以降次々と新しい髪型が考案され、大正時代にかけて少しずつ普及します。明治45年頃に撮られた歌人柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)の写真(出品25)は、新時代の束髪の風情を今に伝えています。

 長らく黒髪は女性美の象徴とされてきましたが、今日では美の規範の幅が広がり、黒髪だけに美を認める人は稀でしょう。美貌と謳われた柳原白蓮は晩年見事な白髪で知られ、昭和31年(1956)には「福岡銀髪会(ぎんぱつかい)」結成式に「銀髪賛歌」を寄せています。同会は長寿の象徴である白髪の美を称えるべく、5年に一度ミスター&ミセス銀髪コンクールを開催した団体です。これに先立ち昭和25年に結成された「福岡光頭会(こうとうかい)」も、光頭すなわち髪がない頭を褒めたたえ自慢し合う団体で、ミスター光を選出するコンクール等を企画しては、洒落っ気に富む趣向で人気を博しました。

 2つの団体の設立には戦後福岡の復興に尽力した田中諭吉(たなかゆきち)(1901~1970)が関わっています。諭吉自身が光頭にコンプレックスを抱いていた人物で、男女の別なく髪と美醜に根深い関係のあったことが窺えます。しかしこれを逆手にとった企画は見事で協力者も多く、銀髪会や光頭会の会員およびコンテスト審査員には、企業の社長や九大教授らのほか、博多人形師の小島与一(こじまよいち)、風俗画家の祝部至善(ほうりしぜん)、玄洋社の末永節(すえながみさお)、彫刻家の安永良徳(やすながよしのり)や冨永朝堂(とみながちょうどう)、当時の福岡市長奥村茂敏(おくむらしげとし)など、福博の歴史文化に重きをなした人々が名を連ねています。歴史の意外な一面かもしれません。

 髪型が身分や年齢などと密接な関係にあった江戸時代とは異なり、今や髪は個人の自由です。しかし依然社会の不文律に不自由さを感じる場面は少なくありません。先人のユーモアと勇気が今日の道標になればと思います。(佐々木あきつ)

■主な展示資料(すべて館蔵品)
  1. 祇園井特筆 若妻図 1幅
  2. 伝斎藤秋圃筆 原古処賛唐美人図 1幅
  3. 斎藤秋圃筆 七夕図  1幅
  4. 桑原鳳井筆 仙厓義梵賛官女図(桑原益男資料) 1幅
  5. 作者不詳 太夫図(摸作) 1幅
  6. 伝西川祐信筆 柳下美人図 1幅
  7. 伝 宮川長春筆 勝山遊女図  1幅
  8. 衣装人形・風俗人形 8体
  9. 狩野孝信筆 洛中洛外図屏風(重要文化財) 1幅
  10. 鈴木春信画複製『絵本 青楼美人合』より市之江 1図
  11. 喜多川歌麿「五人美人恋教競」 1図
  12. 伝勝川春章 見立寒山拾得図 1幅
  13. 長かもじ 江戸時代後期 1房
  14. 伝菱川師宣筆 太夫道中図 1幅
  15. 歌川国久筆 美人立姿図 1幅
  16. 櫛 江戸時代~昭和時代  多数
  17. 笄 江戸時代~近代 多数
  18. 簪 江戸時代~昭和時代  多数
  19. 髷掛 近代  多数
  20. オマケ玩具(髪どめ・ヘアピン)(岡田一資料) 2点
  21. 祇園井特筆 結髪図巻 1巻
  22. 祇園井特筆 町娘図  1幅
  23. 祇園井特筆 歌妓半身図 1幅
  24. スクラップ帳(小島與一資料) 4冊
  25. 写真 束髪の歌人柳原白蓮(石橋源一郎資料) 1幅
  26. 写真 日本髪の結い方 ほか(石橋源一郎資料) 8枚
  27. 「断髪告諭」ほか書綴(郡田久弥資料) 1冊
  28. 亀井少栞筆 鶴の図(奥村茂敏資料) 1幅
■主な参考資料

*金沢康孝『江戸結髪史』(青蛙房1961)*大原梨恵子『黒髪の文化史』(築地書館1988)/*展覧会図録『粧いの文化史 江戸の女たちの流行通信』(ポーラ文化研究所1991)/*田中圭子『日本髪大全』(誠文堂新光社2016)

■本展の開催にあたり、能古博物館、田中美帆氏よりご協力を賜りました。心より御礼申し上げます。

福岡市博物館
〒814-0001 福岡市早良区百道浜3丁目1-1
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