企画展示

企画展示室4
弥生水田の四季展

令和6年4月2日(火)~6月30日(日)

写真1 鳥形木製品 縄文時代にはなく、弥生時代に出現する(元岡・桑原遺跡群)
写真1
鳥形木製品
縄文時代にはなく、弥生時代に出現する
(元岡・桑原遺跡群)

 ここはヤヨイ村。今からずっと昔、2000年くらい前に、九州北部にあった村です〈※〉。人々は地面に掘った穴に屋根をかけた小さな家に住み、川の近くでは、田んぼでお米をつくって暮らしています。田んぼでは、季節のうつり変わりをきちんと読み取り、種まきや田植え、収穫を行わなければなりません。1年を通しての農作業はかなりの大仕事です。

 お米づくりは大変ですが、それだけではありません。節目ごとのお祭りでは、音楽を奏でて歌い踊り、ごちそうを食べ、お酒を飲むこともありました。ときに花や、旬の味覚も人々の心を和ませます。人々は、日々の生活の中で、春夏秋冬、季節ごとのささやかな楽しみを見い出したのです。

 ヤヨイ村の人々は、1年をどのように過ごしていたのでしょうか。今日は特別に、ご案内したいと思います。

※ 今回の展示で設定した架空の村。国宝金印の製作年代が西暦57年のため、時期が近い。ただし、展示資料は、弥生時代の中の様々な時期のものが混じる。

 春
写真2 サクラの種 サクラの木の皮は、矢じりを矢柄に固定する際などに用いられた(比恵遺跡群出土)
写真2
サクラの種
サクラの木の皮は、矢じりを矢柄に固定する際などに用いられた
(比恵遺跡群出土)

 風にのって、どこからかサクラの花びらが運ばれてきました(写真2)。春がやってきたのです。

写真3 板付遺跡の水田と足跡 一部の足跡について、福岡県警による鑑識が行われ、「この歩いた人は歩幅や足の大きさからみて、身長は164cm前後、歩行途中で滑りそうになり、あわてて体勢を立て直している」という鑑識結果が出ている
写真3
板付遺跡の水田と足跡
一部の足跡について、福岡県警による鑑識が行われ、「この歩いた人は歩幅や足の大きさからみて、身長は164cm前後、歩行途中で滑りそうになり、あわてて体勢を立て直している」という鑑識結果が出ている

 村では、田植えの準備が進んでいるようです。田んぼに水を入れ、鍬(くわ)やスコップをつかって、土を砕き、足でよく踏んでやわらかくしていきます。ひび割れた畦(あぜ)は、水がもれないように泥をぬって修理します。最後に、畦で区切った中の土を平らにして、水の深さをそろえました。おっと、泥に足をとられて転びそうな人がいました。なんとか体勢を立てなおして、転ばずにすんだようです(写真3)。

 動物の動きも活発になってきました。どろんこ遊びが大好きなイノシシは、少し離れたところから田んぼの様子をうかがっています。また、水鳥は田んぼに降り、食べ物はないかと探します。村の人々はそれをみて、今年もたくさんお米がとれるようにとお祈りしました。春にくる鳥が、豊かな実りをもたらす穀霊(こくれい)を運んできてくれると信じているのです(写真1)。

 夏

 田植えが終わり、夏がやってきました。田んぼの稲はすくすく育ち、枝分かれしてきました。

写真4 手網の枠 水田の魚をとる道具として、他に筌などの罠の出土例がある(今宿五郎江遺跡出土)
写真4
手網の枠
水田の魚をとる道具として、他に筌などの罠の出土例がある
(今宿五郎江遺跡出土)

 水を張った田んぼでは、魚が泳いでいます。フナやコイは、水の流れがゆるやかな田んぼで産まれ、育つのです。しかし、彼らの周りには、気を付けなければならないものがたくさんいます。例えば、夜になるとナマズが動き出し、他の魚やカエルを食べてしまいます。そして、忘れてはならないのが、村の人々です。手網や罠をつかい、魚を捕まえて食べるのです(写真4)。

写真5 ザッソウメロンの種 モモやメロン類も弥生時代に大陸から伝わった(比恵遺跡群出土)
写真5
ザッソウメロンの種
モモやメロン類も弥生時代に大陸から伝わった
(比恵遺跡群出土)

 夏になると実る、おいしい食べ物があります。例えば、メロンの仲間です(写真5)。田んぼの仕事の中で一番大変なのは、暑い夏におこなう草とりだと、村の人たちは言っています。ちゃんと草をとらないと、おいしいお米が実らないのです。みずみずしく甘い食べ物は、疲れた体を癒してくれます。

 秋

 秋です。田んぼではトンボが飛んでいます。稲穂は金色に色づいてきました。

写真6 石包丁 弥生時代の水田は、品種や水環境が斉一でなく、稲穂ごとに登熟期がずれた(田川市弓削田出土)
写真6
石包丁
弥生時代の水田は、品種や水環境が斉一でなく、稲穂ごとに登熟期がずれた
(田川市弓削田出土)

 収穫は、石のナイフをつかって少しずつ、実った稲穂から順番に摘みとります(写真6)。ヤヨイ村の田んぼでは、稲穂ごとに実りのタイミングが異なるからです。子どもたちが手伝って、田んぼの中を歩き回ります。

写真7 臼 中に米を入れ、杵で搗く(元岡・桑原遺跡群出土) ※展示は写真のみ
写真7

中に米を入れ、杵で搗く
(元岡・桑原遺跡群出土) ※展示は写真のみ

 収穫が終わると、村にはトン、トンという音が響きます。田んぼに残ったワラを刈り取り、叩いてやわらかくする音です。何をつくるのでしょうか。さらに、ゴン、ゴンという重たい音も聞こえてきました。臼(うす)と杵(きね)で収穫した稲穂をたたき、もみ殻をはずす音です(写真7)。おや、物陰からネズミがのぞいています。お米を狙っているのでしょうか(写真8)。

写真8 ネズミがかじった土器 側面に多数の痕が残る(藤崎遺跡出土) ※展示は写真のみ
写真8
ネズミがかじった土器
側面に多数の痕が残る
(藤崎遺跡出土) ※展示は写真のみ

 さて、あちらでは、選別の終わったお米を鍋に入れて火にかけ、ご飯を炊いています。もうすぐ、豊作を祝うお祭りが始まるようです。人々は収穫したお米を食べ、お酒をのんで、一年の苦労をお互いにねぎらいます。そして、琴の音色が響き、それに合わせて歌い、踊るのです。

 冬

 寒い冬が訪れました。

 収穫の終わった田んぼでの作業はありませんが、やらなければいけないことはたくさんあります。例えば、近くの山へ行って木を切り倒し、来年の田んぼでつかう道具をつくります。この季節につくった木の道具は、あとでゆがむことが少ないそうです。

写真9 井堰(いぜき) 川の中に多くの杭を打ち込む(那珂君休遺跡)
写真9
井堰(いぜき)
川の中に多くの杭を打ち込む
(那珂君休遺跡)

 村では話し合いが行われました。村に人が増えてきたので、田んぼを広げることにしたそうです。村のまわりの緩やかな斜面を掘って平らにし、田んぼをつくります。新しい田んぼの脇には溝を掘って、近くの川につなげました。そして、川に杭を打ち込んで水位をあげ、水を溝のほうに流します(写真9)。どうやら、うまく流れました。来年はもっとたくさんのお米をつくることができそうです。

 そしてまた、春がやってきます。

(朝岡俊也)
《主な展示資料》
  • 鳥形木製品(元岡・桑原遺跡群)※
  • サクラ・メロンの種(比恵遺跡群)※
  • 弥生土器 大形壺(板付遺跡)※
  • 木製鍬(那珂君休遺跡・下月隈C遺跡)※
  • 木製整地具(今宿五郎江遺跡・雀居遺跡)※
  • 手型・足型(板付遺跡)○
  • 田下駄(板付遺跡)※
  • 弥生土器 壺・鉢・高坏(元岡・桑原遺跡群)※
  • 小銅鐸(元岡・桑原遺跡群)※
  • 糞石(板付遺跡)※
  • 手網(今宿五郎江遺跡)※
  • 筌(民俗資料)○
  • 弓(比恵遺跡群)※
  • 箕(民俗資料)○
  • 琴(元岡・桑原遺跡群)※
  • ネズミ返し(元岡・桑原遺跡群)※
  • 鋳造鉄斧(那珂遺跡群)※
  • 袋状鉄斧(雀居遺跡)※
  • 斧柄(今宿五郎江遺跡)※
  • 杭(今宿五郎江遺跡・比恵遺跡群)※

※は福岡市埋蔵文化財センター所蔵。○は館蔵。

【主な参考文献】

橿原考古学研究所附属博物館編『弥生人の四季』1987/佐々木高明『日本文化の多重構造』1997/滋賀県立琵琶湖博物館『おこめ展』企画展示図録2023/萩原弘幸ほか編『人類誌集報15 弥生時代・古墳時代の水田稲作技術を再検討する シンポジウム・弥生時代の食文化を考える』2021

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