企画展示

企画展示室2 黒田記念室
博多祇園山笠展23

令和6年6月11日(火)~7月28日(日)

はじめに
1 博多祇園山笠巡行図屏風(部分)
1 博多祇園山笠巡行図屏風(部分)

 博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、毎年7月1日から15日にかけて行われている櫛田神社(くしだじんじゃ)(福岡市博多区)の祭礼です。昭和54年(1979)に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016)に「山・鉾・屋台行事」としてユネスコの無形文化遺産に登録された、日本を代表する夏祭りのひとつです。市内各所に豪華絢爛な飾り山笠が立てられ、舁(か)き山笠を舁いて廻る男衆の声が博多の街中から聞こえてくると夏の訪れを感じます。

 当館では、山笠行事の期間にあわせて、ほぼ毎年「博多祇園山笠展」を開催しています。23回目となる今回は、博多祇園山笠を描いた「博多祇園山笠巡行図(じゅんこうず)屏風(びょうぶ)」【資料1】や、江戸時代、福岡市を含む筑前国(ちくぜんのくに)(現在の福岡県北西部)を治めた福岡藩主・黒田家(くろだけ)に伝来した山笠図などを通して、当時、博多の町を彩った夏祭りの様子を紹介します。

屏風にみる江戸時代の山笠

 今回の展示で紹介する「博多祇園山笠巡行図屏風」は、祭りの様子を描いた最も古い屏風絵として知られています。その景観の年代は、屏風中央部に描かれる山笠の標題(飾りの題材、木札に記された「三浦北条軍」がそれにあたる)や、左上部の山笠の標題(東山)と飾り付けられた人形の内容などから貞享(じょうきょう)3年(1686)と考えられています。

 屏風で目を引かれるのは、周辺の建物よりはるかに背の高い山笠を舁いて(担いで)町中を巡っている点です。現在は、電線などを避けるために背を低くした舁き山笠と、華やかに飾り付けられた背の高い飾り山笠に分けて山笠を仕立てますが、この形式が定着したのは、路面電車が開通し架線が設置された明治(めいじ)43年(1910)以降のことです。

 また、祭りに参加している人びとが、ふんどし一本に上半身は裸で山笠を舁いている点も現在とは異なっています。現在は、山笠を舁く時には丈の短い「水法被(みずはっぴ)」、それ以外の時には丈の長い「当番法被(とうばんはっぴ)(長法被(ながはっぴ))」を着用しています。流(ながれ)(数ヵ町あるいは十数ヵ町を束ねた町連合体)や町それぞれに独自の法被を作って着るようになったのは、明治31年以降のことです。

 これ以外にも、右下部には祭りに向けて山笠を組み上げる様子や、山笠の周辺で祭りを楽しむ人びとが描かれるなど、屏風から江戸時代の山笠の情景がうかがえます。

記録にみる江戸時代の山笠

 江戸時代の博多祇園山笠について、同時代に編さんされた地誌(ある地域の自然・歴史・文化などの事象を記した書物)に記述が見られます。

 福岡藩の儒学者である貝原益軒(かいばらえきけん)が、藩の許可を得て編さんし、宝永(ほうえい)6年(1709)に成立した筑前国の地誌に「筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」【資料2】があります。同書では、以前山笠の数は12本であったが、いつの頃からか数が減って6本となったこと、京都の祇園祭と比べて規模が大きく、毎年異なる飾りが作られることが記されるとともに、祭りが行われる日には、城下の武士や国中の人びとだけでなく隣国からも見物客が博多を訪れ、町中が大変混雑している様子も書き記しています。

3 筑前名所図会 二(山笠櫛田入の図)
3 筑前名所図会 二(山笠櫛田入の図)

 江戸時代後期、博多中島町(なかしままち)(福岡市博多区)の商人だった奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)が編さんした「筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)」【資料3】は246点もの挿絵が織り込まれている点が特色で、博多祇園山笠については山笠を櫛田神社に奉納する「櫛田入り」の場面が描かれています。

 また、地誌以外にも山笠に携わった人物や商人、武士が書き残した記録や日記からも祭りの様子をうかがい知ることができます。「山笠番付」【資料4】は、山笠の人形製作に携わった人形師・小堀(こぼり)氏の関係者が、天明(てんめい)元年(1781)から文久(ぶんきゅう)3年(1863)までの山笠の標題を記録したものです。「山笠番付」には標題に加えて、個人的見解として山笠の出来不出来が記されるとともに、年ごとに台風や地震を始めとする災害や異国船の来航や疫病の流行などの出来事が記述され、祭りが行われた時代の状況がうかがえます。

 博多中島町の曲物細工商・庄林半助(しょうばやしはんすけ)が明治時代に著した、江戸時代後期の福岡・博多の見聞集「旧稀集(きゅうきしゅう)」【資料5】には、文化(ぶんか)3年(1806)の項で中央部に大きな穴があり向こう側が透けて見える山笠が絵入で紹介され、「奇妙珍しき山笠なり」と記されています。

 江戸時代後期から幕末期にかけて福岡藩の要職を務めた杉山尚行(すぎやまなおゆき)の日記【資料6~7】には、例年6月15日は役所での務めが免じられていることに加え、自身や家族が山笠見物に出かけた記述が散見され、武士も祭りを楽しんでいた様子が記されています。

黒田家に伝わった山笠図
17 博多祇園山笠図(鐘碕里號始)
17 博多祇園山笠図(鐘碕里號始)

 山笠の標題は、毎年、流ごとに新たなものが決められ、飾り付けが行われます。江戸時代は、当番町が前年もしくは前々年から話し合いを重ねて決めていたと言います。また、宝永5年以降は、毎年立てられる6本の山笠のうち1、3、5番は合戦物など勇壮なテーマとし、2、4、6番は女性が登場する物語など優美なテーマとする決まりごともありました。

 標題が決まると、山笠の設計図となる絵図が作成されました。この絵図は、藩から山笠を立てる許可を得るためにも必要でした。当番町は、まず下絵図を作り町奉行所に提出、許可が下りると本絵図を2点作成し、藩主と年行司(ねんぎょうじ)(町の自治を統括する役職)に献上しました。黒田家には、この過程で作られたと考えられる山笠図【資料10~23】が伝わっており、江戸時代の豪華絢爛な山笠を現在に伝えています。

(髙山英朗)
展示資料一覧

(名称/年代/作成/品質形状/員数)

  1. 博多祇園山笠巡行図屏風/江戸時代前期/不詳/紙本着色・屏風装/6曲1隻
  2. 筑前国続風土記 巻之四/宝永6年(1709)成立、文化8年(1811)~10年写/貝原益軒他編/墨書・書冊/1冊
  3. 筑前名所図会 二/文政4年(1821)成立/奥村玉蘭/墨書・書冊/1冊
  4. 山笠番付/天明元年(1781)~文久3年(1863)/小堀氏/墨書・書冊/1冊
  5. 旧稀集/明治20年(1887)改写/庄林半助/墨書彩色・書冊/1冊
  6. 杉山鶴心日記/元治元年(1864)/杉山鶴心(尚行)/墨書・横帳/1冊
  7. 明治三年庚午四月ヨリ日記/明治3年/杉山鶴心/墨書・横帳/1冊
  8. 石城志/明和二年(1765)、文久2年写/津田元顧・元貫編、山内石麿写/墨書彩色・書冊/8冊のうち
  9. 追懐松山遺事/明治43年/山崎藤四郎/印刷・書冊/1冊
  10. 博多祇園山笠図(鞍馬天狗)/安政2年(1855)/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  11. 博多祇園山笠図(安宅臣義功)/安政2年/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  12. 博多祇園山笠図(魏宮擲杯謀)/安政2年/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  13. 博多祇園山笠図(良将登庸初)/安政2年/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  14. 博多祇園山笠図(両雄奮撃誉)/安政2年/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  15. 博多祇園山笠図(錦嚢三計誉)/安政2年/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  16. 博多祇園山笠図(聖徳金龍瑞)/嘉永7年(安政元年、1854)/三笘英之/紙本着色・掛幅装/1幅
  17. 博多祇園山笠図(鐘碕里號始)/文久3年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  18. 博多祇園山笠図(瑶妃和歌徳)/文久3年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  19. 博多祇園山笠図(漢業興起導)/文久3年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  20. 博多祇園山笠図(蜈蚣山神箭)/文久元年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  21. 博多祇園山笠図(退潮藻刈神異)/文久元年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  22. 博多祇園山笠図(豊公遣粮策)/元治元年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅
  23. 博多祇園山笠図(猿嶋)/元治元年/三笘主清/紙本着色・掛幅装/1幅

※ 1は石橋清助氏、3は奥村俊介氏、4は中村泰憲氏、6は二宮健氏、9は原田ヒデ氏の寄贈、10~23は黒田資料です。

福岡市博物館
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