企画展示
企画展示室2 黒田記念室
墨蹟
令和6年7月30日(火)~10月6日(日)
墨蹟(ぼくせき)とは、もともと紙や布に筆で墨書(すみが)きされた文字のことですが、日本ではとくに禅宗の高僧が認(したた)めた書を「禅林(ぜんりん)墨蹟」と称し、これを略して「墨蹟」と呼び慣わしています。禅宗においては、師匠から弟子へと継承される法脈を守り伝えることを重んじたため、祖師や先徳が認めた墨蹟を大切にしました。文字そのものの美しさでなく、筆跡の背後に示された精神を重視するものです。
博多(はかた)生まれの禅僧・乾峯士曇(けんぽうしどん)の一行書「直指人心(じきしにんしん)」(図2)は、「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)」とともに禅の極致(きょくち)を示す常套語(じょうとうご)としてよく知られている「直指人心、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」のうちの一句を揮毫(きごう)したものです。人の心そのものを直に指し示し、自分の心性が仏性(ぶっしょう)に他ならないと自覚することが成仏(じょうぶつ)である、ということを意味します。
雪村友梅(せっそんゆうばい)の一行書「紅炉一点雪(こうろいってんのゆき)」(図3)は、赤々と燃え盛っている炉に窓から舞い落ちた一点の雪、ということですが、墨で書かれた文字列でありながら、ほんの一瞬を色彩感ゆたかに切り取り、絵画的な奥深さも秘めています。炉に飛び込んだ一点の雪は一瞬で溶けて消え去りますので、この句は何の痕跡(こんせき)も残さないもの、無常、はかなさに喩(たと)えられます。また、この書は文字の輪郭を細い墨線で写し取り、その中を墨で塗って文字の大きさ・形・墨色や運筆を原本に忠実に書き写す双鉤填墨(そうこうてんぼく)という書法で書かれています。この墨蹟は南宋(なんそう)禅林の大家・無準師範(ぶじゅんしばん)の書を手本にしたとみられ、日本から多くの禅僧が参禅し日本禅林にもっとも強い影響を与えた師範を敬仰(けいぎょう)する念も込められているのでしょう。
戦国時代に茶の湯が盛んになると、禅に精神的な拠り所を求め、多くの茶人が参禅しました。利休(りきゅう)流茶道の秘伝書『南方録(なんぼうろく)』では、「掛物(かけもの)ほど第一の道具はなし。客・亭主共に茶の湯三昧(ざんまい)の一心得道(いっしんとくどう)の物也(なり)。墨跡を第一とす。其(その)文句の心をうやまひ、筆者・道人(仏道の修業をする人)・祖師の徳を賞翫(しょうがん)する也。俗筆の物はかくる事なき也。されども歌人の道歌など書たるを掛る事あり」と、茶掛(ちゃがけ)の重要性を説くなかで墨蹟をその随一とします。禅僧の手になる墨蹟は、一座建立(いちざこんりゅう)の本尊として、亭主と客を取り結ぶ精神的な象徴となりました。茶の湯の世界でもっとも有名な禅語といえば「喫茶去(きっさこ)」(図1)でしょう。唐代の禅僧・趙州従諗(ちょうしゅうじゅうしん)の故事により、禅の公案(こうあん)に用いられますが、茶席では誰にでも分け隔てなく「どうぞお茶を」と勧める真心(まごころ)を示しています。
禅僧の墨蹟は、肖像画や絵画の上部にも書かれました。肖像画の多くは、没後、故人を偲(しの)び供養するために描かれますが、親交のあった禅僧が像主の人柄や行跡(ぎょうせき)を称(たた)える賛文(さんぶん)を揮毫しました。戦国時代~桃山時代に活躍した博多の豪商・嶋井宗室(しまいそうしつ)に始まる嶋井家三代の肖像画(図6)には、宗室と懇意であった堺の豪商・津田宗及(つだそうぎゅう)の息で、大徳寺(だいとくじ)や崇福寺(そうふくじ)の住持(じゅうじ)を務めた江月宗玩(こうげつそうがん)が賛文を寄せています。
本展覧会では、館蔵コレクションのなかから、禅僧が認めた禅句(ぜんく)・偈頌(げじゅ)・尺牘(せきとく)(書状)・像賛(ぞうさん)等を紹介します。筆跡とともに、文字に込められた意味の深さに触れてみてください。
(堀本一繁)出品史料一覧
(史料名/時代/所蔵・史料群名の順)
史料名 | 時代 | 所蔵・史料群名 | |
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Ⅰ 嶋井宗室をめぐる人びと | |||
1 | 乾峯士曇墨蹟「直指人心」 | 南北朝時代 | 館蔵 |
2 | 雪村友梅墨蹟「紅炉一点雪」 | 南北朝時代 | 館蔵 |
3 | 即非如一一行書 | 江戸時代前期 | 館蔵・塚本家資料 |
4 | 寰海宗晙墨蹟「喫茶去」 | 江戸時代後期 | 寄託・柴田治道資料 |
5 | 石室善玖墨蹟 雪山曇公餞別偈 | 応安2年(1369)9月仲瀚 | 館蔵 |
6 | 雪谷宗戒墨蹟 虎丘十詠跋 | 明・成化13年(1477) | |
付、玉室宗珀・江月宗玩・沢庵宗彭連署添書 | 江戸時代前期 | 館蔵・三奈木黒田家資料 | |
7 | 玉室宗珀字号偈「琴渓」 | 慶長14年(1609)3月上浣 | 寄託・勝福寺資料 |
8 | 江雲宗龍道号偈「玉峯」 | 寛文3年(1663)臘月29日 | 寄託・勝福寺資料 |
9 | 古外宗少勝福禅寺開山大覚塔偈 | 元禄5年(1692)2月 | 寄託・勝福寺資料 |
10 | 策彦周良書状 | (戦国時代)2月14日 | 館蔵 |
11 | 館蔵・旧吉川観方コレクション | (江戸時代前期)林鐘7日 | 江月宗玩書状 |
12 | 沢庵宗彭書状 | (江戸時代前期)小春15日 | 館蔵・旧吉川観方コレクション |
13 | 沢庵宗彭書状 | (江戸時代前期)暮春18日 | 館蔵・旧吉川観方コレクション |
〇14 | 江月宗玩賛端翁宗室居士(嶋井宗室)像 | 元和元年(1615)12月24日 | 寄託・嶋井家資料 |
〇15 | 江月宗玩賛虚白軒主端翁宗室居士(嶋井宗室)像 | 元和元年(1615)12月24日 | 館蔵・嶋井安生資料 |
〇16 | 江月宗玩賛蘭谷道室信士(嶋井信吉)像 | 寛永4年(1627)8月3日 | 館蔵・嶋井安生資料 |
〇17 | 江月宗玩賛花詠宗吟信士(嶋井正則)像 | (江戸時代前期)8月17日 | 館蔵・嶋井安生資料 |
18 | 策彦周良賛霊昭女図 | 戦国時代 | 館蔵 |
19 | 古外宗少賛達磨図 | 江戸時代中期 | 館蔵 |
〇は福岡市指定文化財