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  • No.498 市美×市博 黒田資料名品展Ⅲ 黒田家の婚礼

企画展示

企画展示室1
市美×市博 黒田資料名品展Ⅲ 黒田家の婚礼

平成29年8月22日(火)~10月22日(日)

 江戸時代の大名の婚礼(こんれい)といえば、華やかな衣装や豪華な調度(ちょうど)類が思い浮かびますが、大名家にとっては、その家の浮沈や存続(そんぞく)、名誉に関わるものであり、家臣、領民を巻き込んでの一大事業でした。
 本展示は、本館が収蔵してきた福岡藩主黒田(くろだ)家の藩主やその家族の、婚礼に関する古文書や調度類を中心とし、市美術館の黒田資料にある婚礼関係の資料もあわせて展示し、近世大名黒田家の歴史や文化を広く紹介するものです。

  
1、黒田家の藩主婚礼の移り変わり
藤巴立葵紋蒔絵行器
藤巴立葵紋蒔絵行器

まず藩主の新夫人にだれを迎えるかは、その大名家と徳川(とくがわ)幕府や他大名とのかかわりを決める大事な問題でした。大名の婚姻(こんいん)は幕府の許可が必要で、初代藩主黒田長政(ながまさ)は、その子忠之に、将軍(しょうぐん)家の縁者(えんじゃ)を夫人に迎えようと画策し、準備に苦労しました。しかし将軍家の血縁者との結婚は、藩の安泰(あんたい)にとって大事なことで、家康(いえやす)の姪にあたる長政夫人の大凉院(だいりょういん)(栄姫)は、のちの黒田騒動では、彼女の一族とともに、わが子2代藩主忠之(ただゆき)の安泰のため大事な役割を果しました。

 次の3代光之(みつゆき)の夫人(壱(いち)、宝光院(ほうこういん))は九州小倉(こくら)の小笠原(おがさわら)氏から迎えられます。小笠原氏は、有力譜代(ふだい)大名でしかも夫人の母は家康の孫に当たる女性でした。小笠原氏は光之の嫡子の綱之(つなゆき)と弟の綱政(つなまさ)、長清(ながきよ)を生みます。また長女の筑姫は、時の幕府大老の酒井(さかい)家に嫁ぐなど黒田家の婚姻によるお家安泰策は続きます。綱之は父光之と合わず廃嫡(はいちゃく)されますが、これも親族の小笠原氏などの同意を得て行われ、綱政が4代藩主となりました。 

 綱政の正室(せいしつ)は柳川(やながわ)藩の立花家から迎えられますが、その夫人も徳川家や伊達(だて)家の血を引く女性で、呂久(ろく)(六)姫といい、のちに心空(しんくう)院と称します。心空院は吉之(よしゆき)、宣政(のぶまさ)の2人の男子を残します。長男吉之は早世し、5代藩主には弟の宣政が就きましたが、病弱のため、長清の子の継高(つぐたか)が藩主世継となり、その夫人には吉之の遺児・幸子(こうこ)が迎えられました。

  
2、婚礼の儀式と道具・調度
藤巴桐紋露置薄文蒔絵挟箱(福岡市美術館蔵)
藤巴桐紋露置薄文蒔絵挟箱
(福岡市美術館蔵)

婚礼が行われるのは、大名の場合、自分の江戸藩邸です。それは藩主の正室夫人の場合、必ず江戸に住むように幕府が義務付けていたからです。黒田吉之(よしゆき)の例では、元禄(げんろく)12(1699)年に譜代名門の本多(ほんだ)家との婚礼の許可がおり、6年後の宝永(ほうえい)2年11月に婚礼が、吉之の4月の江戸着府を待って行われました。

 当時の大名婚礼は、新興(しんこう)の武家にふさわしい小笠原流等の婚礼儀式に沿って行われます。婚礼は結納(ゆいのう)ののち、数か月後に嫁入りとなり、新嫁の輿を中心とした行列が、婿側の藩邸に行列を連ねて入っていきます。いわゆるお輿入(こしい)れです。そして、玄関では双方の家老(かろう)たちによる貝渡しがあり、終わって輿が渡され、新嫁が奥に案内されて婚礼の式となります。

 大名の婚礼道具として1番よく知られているのは、夫婦の固い絆(きずな)を象徴(しょうちょう)する貝合(かいあ)わせの入った貝桶(かいおけ)ですが、ほかに新夫人の鏡台、手箱、書棚といった豪華な調度や、日常の食器にいたる一切の身の回りの道具類があります。とくに式で披露(ひろう)される新嫁側の主な新調度は両家の家紋(かもん)が入り、製作も費用や時間がかかる豪華なものでした。吉之婚礼の道具にも、本多家の立葵(たちあおい)の紋と、黒田家の藤巴(ふじともえ)の紋がともにあしらわれています。

 これら婚礼道具は婚約などが決まってから婚礼までの準備の間に整えられました。さらに広い意味では、婚礼の道具とは、豪華な衣装や調度を運んだり保管したりする挟箱(はさみはこ)や長持(ながも)ち類はもちろん、夫人に仕える多くの奥女中(おくじょちゅう)達の日常の道具やお仕着(しき)せの衣類といったものまでも含みます。婚礼の行列では、これらの大量の道具や衣装が、嫁入り先の大名屋敷に、婚礼当日分以外にも数日かけて、しかも数度に分けられて運び込まれたと言われます。

これらの様々な婚礼調度、衣装、その他さまざまな道具は、夫人がなくなった際に一族に形見(かたみ)分けされたり、あるいは、仕えた奥女中や家臣などに遺品として下げ渡されたりしました。

  
3、大名婚礼の舞台と舞台裏

 では大名の婚礼儀式や、その後の日々の生活の舞台となる大名屋敷、それらを支えた人々を紹介します。福岡藩の江戸の藩邸には上屋敷(かみやしき)と中(なか)、下(しも)屋敷などがあり、国許(くにもと)から参勤に付き添ってきた藩士や、定府(じょうふ)の藩士が詰めています。福岡藩では、江戸時代中期には、藩主と正室(御前様(おまえさま))は江戸外桜田(さくらだ)の上屋敷(かみやしき)、世子とその夫人(若御前様)は麻布中(あざぶなか)屋敷に、別れて住むことが多かったようです。また江戸には火事や地震など災害が多く、藩邸が火災にあった際、藩主や夫人が避難するための決まりもありました。

 さて婚礼後の新居ですが、藩主や世子の婚礼の場合、江戸藩邸の中に、新たな新夫人が住まう、新しい御殿(ごてん)が造られる場合が多かったようです。福岡藩ではこのような奥方の御殿は「御構(おかまえ)」と呼ばれます。この御殿には、夫人やその家族に仕える奥女中達、その下の多くの女性奉公人が詰めています。そのため新夫人の日々の生活費や交際費だけでなく、これら奥女中や奉公人への給金(きゅうきん)や給付する衣装、道具の費用など、財政的な処置も必要でした。また藩邸には「御構」の事務や運営、警備にあたる夫人付の家臣がおり、新規に国許から家臣を呼び寄せられる場合もありました。

  
4、奥向きの生活と文化

 さて展示では福岡市美術館に残されている大名夫人たちの日常生活の道具として、彼女たちが使用した化粧道具、源氏物語(げんじものがたり)などを忍ばせる王朝趣味の遊戯具(ゆうぎぐ)である香(こう)道具を紹介します。いずれも本来は黒田家のどなたかの正室夫人の嫁入り道具だったかもしれませんが、現在では不明です。

 正室夫人は御殿の奥方で身分にふさわしい教養と文化の生活を嗜み、親族となった諸大名の奥方と、新しい交際をも始めることになるのです。黒田資料のなどから、それらの親族の交流を示す手紙や遺言などを紹介します。また文化的な遺品として1番多く残されているのは、和歌などの文芸(ぶんげい)作品で、大名や夫人たちの教養や交際に不可欠のものでした。特に6代藩主継高(つぐたか)は本格的に公家(くげ)から学び遺作(いさく)歌集も編まれ、幸子夫人の和歌集も残されています。

 黒田家では、7代、9代藩主は将軍家の一族一橋(ひとつばし)家から迎えられ、そのため、10代藩主斉清(なりきよ)は徳川将軍の甥(おい)として、夫人は公家の二条(にじょう)家から迎えられました。また11代藩主は、薩摩(さつま)の島津(しまづ)家から長溥(ながひろ)が斉清の婿養子として迎えられます。さらに幕末、伊勢(いせ)・津(つ)藩の藤堂(とうどう)家から迎えられて最後の藩主となった長知(ながとも)、その夫人豊(とよ)子は、ともに和歌をたしなみました。文久(ぶんきゅう)2(1862)年幕府は参勤交代を緩和し、大名の家族は、国許へ帰国し始めました。豊子とその奥女中たちの筑前までの道中の記録が残されています。
(又野誠)

  
出品資料  (会期中一部展示替えをします)

1、黒田家譜(かふ)(長政婚礼) 1冊
2、黒田長政像 1幅
3、大凉院覚書 1冊
4、大凉院書状 1幅
5、黒田長政書状(忠之婚礼準備) 1通
6、黒田家譜(忠之婚礼) 1冊
7、黒田続(ぞく)家譜(光之婚礼) 1冊
8、黒田光之像 1幅
9、心空院遺書 1通
10、黒田家由緒(ゆいしょ)・什宝(じゅうほう)・故実(こじつ)書 1冊
11、黒田新続家譜(宣政婚礼) 1冊
12、黒田宣政像 1幅
13、黒田吉之書 1巻
14、黒田新続家譜(吉之結納) 1冊
15、黒田新続家譜(吉之婚礼) 1冊
16、小笠原流婚礼書 1式
17、小笠原流婚礼之巻 1式
18、祝言行列 1通
19、黒田家姫君婚礼行列付(為(ため)姫、友(とも)姫) 2冊
20、松竹藤文(もん)蒔絵広蓋(ひろふた) 1面
21、藤巴立葵(ふじともえたちあおい)紋行器(ほかい) 1基
22、藤巴立葵紋蒔絵板 1面
23、花菱亀甲(はなびしきっこう)文蒔絵衣桁 1架
24、藤巴桐紋露置薄(きりもんつゆおきすすき)文蒔絵挟箱 1合
25、島津十文字(しまづじゅうもんじ)藤巴白餅紋提重 1基
26、伝黒田重政(しげまさ)紅梅図 1幅
27、江戸桜田上(さくらだかみ)屋敷図 1鋪
28、桜田邸上之段図 1鋪
29、桜田邸表御門絵巻 1巻
30、霞が関(かすみがせき)図 1組
31、御殿造営(ごてんぞうえい)図 1鋪
32、麻布中(あざぶなか)屋敷御構(かまえ)図 1鋪
33、江戸藩邸定書(さだめがき)・法度(はっと)書 2冊
34、奥向御壁書(おくむきおんかべがき)・定書 2冊
35、火災之節御立退(たちのき)行列 1冊
36、非常之節若御前様(わかおまえさま)御立退名付 1冊
37、黒田宣政所用火事兜(かじかぶと) 1頭
38、覚(奥女中(おくじょちゅう)・奉公人名元(なもと)) 3通
39、覚・差引書(御構御建銀(たてぎん)) 3通
40、波千鳥文蒔絵十種香箱(なみちどりもんまきえじっしゅこうばこ) 1合
41、秋草文蒔絵香箱 1合
42、姫道具(ひめどうぐ) 1式
43、松寿院(しょうじゅいん)書状 1幅
44、黒田新続家譜(継高(つぐたか)縁組) 1冊
45、黒田継高像 1幅
46、黒田継高和歌短冊・和歌集 1組
47、圭光院(けいこういん)和歌集 1冊
48、圭光院遺言 1通
49、下谷(したや)御前様遺言 1通
50、黒田長溥(ながひろ)公伝(長溥婚礼) 1冊
51、両敬(りょうけい)御名元 1冊
52、黒田長知(ながとも)御養子記 1冊
53、黒田豊(とよ)子和歌・文芸書 1冊
54、若御前様帰国1件 1括
55、福岡城内御構図 1鋪
56、黒田家家紋入什器(じゅうき)・調度(ちょうど)類 1括

(出品協力者、出品順、敬称略)
黒田長高、黒田1敬、白水光利、周防憲男、大多和歌子

(参考文献)
『日本の近世15女性の近世』(中央公論社 1993年)、徳川美術館蔵品抄7『婚礼』(平成3年)、大口勇次郎編『女の社会史』(山川出版社 2001年)、柳谷慶子他編『身分の中の女性』(吉川弘文館 2010年)、福岡県立美術館特別展図録『柳川立花家の至宝』(平成21年)、『柳川市史別編 図説立花家記」(平成22年)、「福岡藩の江戸屋敷-霞が関・赤坂・渋谷・白金-」(福岡市博物館常設展示部門別274)、宮野弘樹「福岡藩歴代藩主の夫人たち」(『歴史読本』897,2014年)、福岡市美術館特別展図録『黒田家の美術 きらめきの大名道具』(平成26年)

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