企画展示

企画展示室2 黒田記念室
農耕図

令和2年3月21日(土)~5月17日(日)

◆はじめに
図1 農耕図鑑 上巻(部分)
図1 農耕図鑑 上巻(部分)

 農耕のようすを描いた絵を、農耕図もしくは耕作図と呼びます。農耕の表現自体は古くからありましたが、特に広く普及したのは江戸時代以降で、公家や大名はもちろんのこと、富裕な町人・農民までもが所有していました。例えば明治期に出された売立目録(うりたてもくろく)(美術商が旧家所蔵の骨董書画を競売にかけるために作成した写真入りのカタログ)を参照すると、いかに多くの農耕図・耕作図が各家で所蔵されていたかよく分かります。また現存作例も、大きな屏風や金箔を多用した絵巻など、豪華な仕立てであることが珍しくありません。

 ところで、もしもあなたが絵を買うとしたら、どんなモチーフの作品を選びますか。おそらく多くの方が自分の趣味にかなうかどうかを重視し、例えば風景や動植物など、美しいものや目出度いものに人気が集まるでしょう。ではなぜ庶民の労働をモチーフとする農耕図が、これほど広く受け容れられたのでしょうか。その背後には、絵の美質だけではない、何か別の理由がありそうです。

 本展では、当館が所蔵する江戸時代の農耕図や関連する資料をとおして、絵のなかの世界と、絵の背後の歴史について、ご紹介します。

◆農耕図鑑(のうこうずかん) 上・下巻(出品1)

 はじめにご紹介するのは、2巻仕立ての画巻(がかん)です。画面全体に金箔・金砂子(きんすなご)・金泥(きんでい)絵具がふんだんに使用されているほか、見返(みかえ)しや軸付紙(じくづけがみ)、裏面などの表装(ひょうそう)部も切箔(きりはく)や雲母(うんも)で装飾されています。彩色も鮮やかで総じて豪華であるため、裕福な注文主がいたことを窺わせます。

 各巻末に「狩野伯壽筆」署名および「藤原」朱文方円印が確認できることから、作者は浅草猿屋町代地(あさくささるやまちだいち)狩野家の当主・狩野伯寿(かのうはくじゅ)(1678‐1766)とみられます。御家人(ごけにん)並の待遇で召し抱えられた江戸時代中期の幕府御用絵師です。

図2 農耕図鑑 上巻(部分)
図2 農耕図鑑 上巻(部分)

 絵を見てみましょう。上巻には主に春から夏にかけての稲作工程が、下巻には秋の収穫以降の労働が描かれています。上巻は順に、犂(からすき)で土地を耕す段、種籾(たねもみ)を水に浸して苗をつくる段(図1)、鍬(くわ)で土をならす段、苗を田に植える段、長水車(ながすいしゃ)で灌漑(かんがい)をおこなう段、と展開します。合間には、家の中で養蚕(ようさん)らしきことを営む様子や、子どもたちが遊びまわる光景なども挿入されます。農業に馴染みがないと分かりづらいですが、きちんと時系列に沿って作業が進行しており、すべての登場人物が中国風の衣装や髪型で描かれている(図2)のも特徴です。

 ここには室町時代(15世紀)に中国から輸入された耕織図(こうしょくず)の影響がみてとれます。耕織図は、男性の仕事とされた「耕」(農業)と女性の仕事とされた「織」(養蚕・機織(はたお)り)を体系的にまとめた絵で、12世紀に南宋で時の皇帝へ献上されたのが始まりとされます。宋元明清(そうげんみんしん)の各時代に制作され、中国風俗で描かれていたのはもちろんのこと、皇帝が民の労苦を知るために、一年分の労働が取材されていたのも大きな特徴です。古くから日本にも農耕表現はありますが、一年の流れを体系化する視点はみられません。弥生時代の銅鐸(どうたく)や古墳時代の須恵器(すえき)、平安時代の月次絵(つきなみえ)や四季絵、また中世の仏画の一角にあしらわれた農耕の図は、いずれも断片的な描写です。

 体系的に描かれた新しい様式の農耕図は、日本の権力者に珍重され、狩野派などに輸入絵画の摸本が伝えられました。その結果、絵の制作見本・注文見本となる粉本(ふんぽん)が多数制作されて、図様の普及に一役買いました。また異本(いほん)がうまれ、次第に独自の発展も遂げました。例えば「農耕図鑑」上巻でも、田植の段をみると女性が苗を植えていますが、これは男性が農業全般を担う中国の耕織図ではありえない描写です。中国絵画に従来の日本のあり方を融合させて、和様化していったことがわかります。

◆俵(たわら)かさね 上・下巻(出品2)

 次にご紹介するのは、詞書(ことばがき)と絵が各巻6セットずつ交互に展開する絵巻です。詞書と絵は対応しており、第1段が序章と正月にはじまり、第12段の12月まで月ごとに展開します。これは月次絵(つきなみえ)といって、年中行事や風物を12か月に分けて描いた平安時代以来の形式とよく似ています。さらに詞書を見てみると、序章で「わか大君(おおきみ)(天皇)」が正しくまつりごとを行えば「ゆたかにおさまる世の中」になると説き、かつて天皇が政治を主導していた延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)の治世(10世紀の醍醐・村上天皇の時代)を理想として例示するといった特徴があることから、武家ではなく公家が注文主と推察されます。また漢字が少なく平易である点から、幼い鑑賞者の存在も窺われます。

 中国の耕織図(こうしょくず)は鑑戒画(かんかいが)といって、皇帝が民の労苦を知り自らを戒めて善政を敷くための絵でした。徳による政治を説く儒教思想の産物です。農耕の図の鑑戒的な側面は日本にも輸入され、儒教を政治の拠り所とした近世の武家社会で、子弟教育に活用されたと言われています。先にご紹介した「農耕図鑑」では、下巻の冒頭に収穫の段が描かれています。一見クライマックスが早すぎますが、後に稲束を作る段、運ぶ段、脱穀・籾摺(もみすり)・精米の段と続くことによって、秋にめでたく収穫を迎えても、お米を食べるにはまだ画巻(がかん)一巻分の工程が必要なのだとよくわかります。農耕図は帝王学の一環でもあったのです。

図3 上巻旧軸木
図3 上巻旧軸木

 俵かさねは、まだ難しい漢字の読めない公家の少年に向けて制作されたと考えられます。このことは、武家社会に広まった儒教的鑑戒画が、大和絵の伝統的な形式をかりて公家社会でも受け入れられたことを示します。先行研究によれば、第1段の詞書に登場する「郡奉行(こおりぶぎょう)・代官・給人(きゅうにん)・庄屋」といった名称が、室町末期から近世初頭の社会構造を反映していることから、その頃には本作の祖本が成立していたと考えられています。

図4 俵かさね 上巻旧軸木墨書
図4 俵かさね 上巻旧軸木墨書

 なお本作自体は、京都の絵師・鶴沢探鯨(つるさわたんげい)(1687‐1769)の作とする説があり、画風からも江戸時代中期の作と思われます。

 今回は、資料修理の際にでた旧表具類(出品3)を併せて展示します。旧軸木(図3)には、「俵重」「中村」などと重ね書きされています(図4)。中村は、近代の表具師の名かもしれません。

◆耕作図屏風(出品4)

 次にご紹介する屏風も、江戸時代中期頃の作品です。作者不明ですが、御用絵師というより町絵師の作でしょう。いきなり「収穫」の段からはじまり、「脱穀」「籾摺」「俵詰め」「宴会準備」「小宴」と続きます。全体的に「農事労働」を描こうとする意識が希薄で、むしろ「豊作」を主題とするような印象を受けます。収穫前の流れを描いた1隻が欠けている可能性もありますが、あったとしても、小宴を描写する紙幅の割合が比較的大きいことに変わりはありません。

 こうした絵の性格も、和様化の特徴の1つです。中国の耕織図が実用書として淡々と描かれたのに対して、日本の作例は装飾性や吉祥性を帯びてゆくとされます。例えば四季耕作図と呼ばれる作品群の多くは、耕織図の体系的な描写を学びつつも、そこにはなかった四季の叙情性を付与しています。耕作図屏風をはじめとする農耕図は、豊作を予祝する「めでたい」絵として、本来とは異なる目的でも享受されていたのです。

◆おわりに
図5 稲木蔦文様帷子
図5 稲木蔦文様帷子

 耕織図やそれに類する農書の類は、伝来直後は権力者の周辺で秘蔵されていましたが、出版文化の隆盛に伴って、次第に多くの人の手元で参照できるようになりました。例えば元福岡藩士である農学者・宮崎安貞(みやざきやすさだ)の著した『農業全書』(1697)は日本最古の農書にしてベストセラーとなり、のちの農耕図に影響を与えました。『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(1713)、『絵本通宝志(えほんつうぼうし)』(1729)のほか、鹿児島藩の編纂した『成形図説(せいけいずせつ)』(1804・出品6)や福岡藩の儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)の原著『女大学宝箱(おんなだいがくたからばこ)』(1814)などの中にも農耕図が描かれています。農耕というモチーフは、労働の辛苦ではなくおめでたさを纏うことによって、人々の身につける工芸品にまで及んでおり(図5)、身分の上下に関わらず、実用・美的鑑賞の両面で人々に親しまれていたことがよくわかります。

 もしもあなたが絵を買うとしたら?

 美しく、目出度く、さらに実用的でもある農耕図の魅力を、本展でお伝えできていれば幸いです。(佐々木あきつ)

展示資料リスト

1 農耕図鑑 上・下 2巻
2 俵かさね 上・下 2巻
3 俵かさね 旧表具 1式
4 耕作図屏風 6曲1隻
5 成形図説 20冊
6 稲木蔦文様帷子 1領

主要参考文献

・冷泉為人・河野通明・岩﨑竹彦・並木誠士『瑞穂の国・日本―四季耕作図の世界』(淡交社1996)
・加藤秀幸「『俵かさね耕作絵巻』考」(東京大学史料編纂所研究紀要第3号1993)
・図録『農耕図と農耕具展』(町田市立博物館1993)
・図録『町田市立博物館蔵 たはらかさね耕作絵巻 康熙帝御製耕織図』(町田市立博物館2000)