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企画展示

企画展示室4
土器niどきどき−つくる・つかう・はこぶ−

令和5年3月28日(火)~6月11日(日)

はじめに

 遺跡の発掘調査で最も多く出土するものは何でしょう?それは土器。今回の展示の主役です。

 考古学において土器は、遺跡の年代を推定する基準にもなる重要な遺物です。しかし、展覧会ではめずらしい金属器やきれいな装身具の影に隠れ、脇役感が否(いな)めません。「土器なんか見て何が楽しいの?」そんな声も聞こえてきそうです。

 でも考古学を専門としている私たちが観察すると、ときにそれを作ったり、使ったり、運んだりした当時の人々の姿がみえてきて、わくわくすることがあります。しまいには土器を指して「この人」「この子」と呼んだり、「かわいい」と思うこともしばしば。そう、土器だってよく見るとおもしろいんです。この感覚をどうしても伝えたい!

 というわけで、土器鑑賞がちょっと楽しくなる「どきどきポイント」を紹介するのが、この展示です。考古学的な遺物の観察方法も、ちょっと理解できるかもしれません。

土器をつくる

 土器をつくる基本的な手順は、まず材料である粘土を集め、焼成時のひび割れや破裂を防止するために砂などを混ぜながら素地を作ります。次に粘土紐の輪積(わづ)みなどにより成形した後、指や板などで表面をなでつけてなめらかにし、文様などで装飾します。最後に乾燥させた後、焼く。以上で完成です。

 機械などなかった時代、当然ながら土器は1点ずつ全て手作り。ときに土器を作った人の指紋(しもん)や指の形が表面に残ることもあります。何百年、何千年も前に人々が生活していた実感が湧いてきませんか?もしかしたら、自分の遠いご先祖…なんてこともありえるかも。また、土器をみていると、同じような土器でも形の整ったものと、少しゆがんだものがあることに気がつきます。土器づくりが上手な人と下手な人がいたようです。あるいは丁寧な人と大雑把(おおざっぱ)な人の性格の差かもしれません。想像が膨らみます。

 さて、土器に残る痕跡から、製作に使った道具を推測できます。弥生時代の土器には、葉っぱの上で成形したものがあり、底部に葉脈(ようみゃく)の形が転写(てんしゃ)されて残ることがあります(写真1)。作業台に土器がくっつくのを防ぎ、形を整えたり、文様をつける際に回しやすくしたのでしょう。古墳時代の後半になると、須恵器(すえき)の製作にロクロが用いられ、土器の表面には強い回転の痕跡が残ります。


 また、土器には焼成(しょうせい)時の痕跡も残ります。弥生土器や土師器(はじき)では、焼成時に地面や、上に覆(おお)い被(かぶ)さった薪や藁(わら)と接した部分の温度が比較的低く、黒く焼きあがることがあります。これを「黒斑(こくはん)」と呼び、焼成時の土器の置き方を推測する手がかりとなります(写真2)。登(のぼ)り窯(がま)を用いて高温で焼成する須恵器では、上から降る灰のかぶり方によって、同様に焼成時の土器の置き方や、重ね方を推測できます(写真3)。

土器をつかう

 土器に煮炊(にた)き具(ぐ)や貯蔵具(ちょぞうぐ)などがあることは教科書でも紹介されています。土器による調理で最も一般的にイメージされるのは、縄文時代のシチューのような調理でしょうか。縄文時代の調理用土器は、弥生時代のそれよりも大型のものが目立ちますが、外側には火を焚(た)いた煤(すす)が、内側には煮込んだ食料が焦(こ)げついた痕跡が残り、確かに使用したものとわかります(写真4)。


 弥生時代に水田稲作が伝わると、炊飯も土器で行います。九州北部で弥生時代の初め頃に普及する新しい形の煮炊き用土器(「板付式(いたづけしき)」と呼ばれます)は、縁(ふち)が外側に張り出す特徴があり、蓋(ふた)をかけやすい、持ちやすいなどの点で炊飯に適した形態です(写真5)。炊飯用土器では、拭きこぼれた水滴が土器の外側をつたい、その部分だけ煤が取れ、痕跡として残ることがあります(写真6)。また、内側に焦げ付いた米の痕(あと)が残ることもあります。

 食器の用途をもつ土器もあります。弥生時代の終わり頃の様相を伝える、いわゆる『魏 志倭人伝(ぎしわじんでん)』には、倭人は「高坏(たかつき)(長い脚台がついた器)を用いて、手づかみで飲食する」ことが記されます。弥生時代の高坏は大型品が多く、複数人で共有して使用したのでしょう(写真7)。

 古墳時代になると、小型の食器が中心となり、個々人それぞれに配膳(はいぜん)されるようになったようです。このように、土器の変化をみることで、当時の食卓風景まで想像できるのです。

 7世紀以降、日本では国家の整備に伴って中国の隋(ずい)や唐(とう)の文化を取り入れ、上位階層は匙(さじ)や箸(はし)を使うようになります。一般的な食器も中国様式を取り入れて変化しました。そうした変化の背景として、外交使節を正式な作法でもてなす目的もあったようです。

 その後、中世に箸を用いる食事文化は庶民(しょみん)まで広く普及し、埦や坏(つき)、皿を用いる現代に近い食器のセットになりました。

土器をはこぶ

 考古学の展覧会では、朝鮮半島や国内の他地域から運ばれた土器がよく展示されます。器形や文様、作り方などが現地の土器と異なる場合、そのように判断できるのです。それらの土器は地域間交流などを示すものとしてよく展示されますが、なぜ運ばれたかはあまり言及されません。それが貯蔵具ならば、内容物も一緒に運ばれることもあったでしょう。

 例えば、朝鮮半島から運ばれた土器の中で、口が狭いものは液体を入れる容器と考えられます(写真9)。単純に水筒とも考えられますが、もしかすると朝鮮半島独自の調味料、あるいは酒を入れて運んだものかもしれません。海外に行くと、自国の味が恋しくなります。古代の人々もきっと同じでしょう。(朝岡俊也)

《主な展示資料》
  • ハケ目原体※・ハケ目付土器○(弥生時代)
  • 葉っぱ痕付土器※○(弥生時代)
  • ロクロ回転痕付土器○(古墳時代・中世)
  • 叩き板レプリカ○・当て具※(弥生時代・古代)
  • 叩き痕付土器※○(古墳時代)
  • 風船技法で製作された土器※○(古墳時代)
  • 黒斑付き土器○(古墳時代)
  • 灰かぶり須恵器・陶質土器○(古墳時代)
  • 焼け歪み須恵器○(古墳時代)
  • ススコゲ付土器○(縄文時代~中世)
  • 板付式土器※(弥生時代)
  • 吹きこぼれ痕付土器※(古墳時代)
  • 米の焦げ付き痕付土器※(古墳時代)
  • 煮炊き用土器※○(弥生時代・古墳時代・中世)
  • 木製おたま※(弥生時代)
  • 土器蓋○・木蓋※(弥生時代~古墳時代)
  • 蒸し調理用土器※(古墳時代)
  • 高坏・鉢・坏・埦※○(弥生時代~中世)
  • 東海地方系土器※(古墳時代)
  • 朝鮮半島系土器※(古墳時代)

※は福岡市埋蔵文化財センター所蔵。○は館蔵。

【主な参考文献】

小林正史編『土器使用痕研究』2011/ 佐原真「粘土から焼き上げまで」1986/ 鐘ヶ江賢二「スス・コゲからみた弥生前期深鍋による調理方法:下月隈C遺跡」2016/ 桃﨑祐輔「金属器模倣須恵器の出現とその背景」2006/門田誠一「魏志倭人伝の籩豆をめぐる史的環境」2018

福岡市博物館
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