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昭和62(1987)年度収集 収蔵品目録5

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 舟木玄資料  本資料は、舟木氏の両親が旅行の度に買い求められた絵葉書類である。この資料のなかには、福博百景・九州沖縄八県連合共進会・東亜勧業博覧会の実況などが含まれており、明治・大正・昭和期の街並および世相を示してくれる資料である。 255 2,492
2 横山武雄資料  この資料は長府毛利藩士横山家に伝わったもので総点数871点、うち江戸期の古文書が733点、明治期136点、工芸品が2点である。横山氏は中扈従等を勤め、また新陰流剣法指南でもあった。明治に入ると地元小学校や民間会社等に勤務した。従って資料の内容は、江戸時代中後期の武士社会を示すものから、明治期の地方会社を示すものまで、多岐に渡っている。 870 870
3 桑原区有文書  この資料は江戸時代より桑原村に伝えられた区有文書である。中村伝五郎氏は当時の区長であり、村民を代表して寄贈された。大部分は明治・大正・昭和期のものであるが、桑原村の村政・農業・土木・学校・衛生・各種団体等に関する資料があり、村の実態をよく示している。 736 826
4 奥村陸平資料  戦前から戦後の童謡・流行歌・軍歌・洋曲・日本の伝統的歌謡である謡曲などからなるレコード資料で、現在は作られていない78回転のSP版である。昭和初期の風俗・社会情勢を窺い知ることができる。 595 595
5 佐々重幸資料  佐々重幸氏によって収集された硬貨で、中国古銭・日本古銭・明治以降硬貨にそれぞれ分類・整理され、3冊のホルダーブックに収納されている。
 中国では春秋時代から清朝末期までの銭貨を網羅的に集められ、日本古銭についても藩銭に至るまで広く収集されている。貨幣の発行、流通の歴史を知る上で貴重な資料である。
134 411
6 中村伊右衛門資料
(追加分)
 中村家の当主は、代々「伊右衛門」を名乗っており、江戸時代には庄屋、組頭などの村役人を勤め、江戸時代の後期には農業の大規模経営や金融業を営む豪農層であった。明治時代以降は、農業構造改善や水利事業を積極的に進めるなど、農業の近代化を推進している。本資料には、明治時代以降の伊右衛門に対する通達・辞令・感謝状・書簡等を含んでいる。 363 429
7 五十川弥文資料  広告業を営んでいた五十川家に伝わる資料で、広告・ポスター図案の他、写真・地図・書簡類など多岐にわたる。弥文氏と父弥蔵氏の2代で収集された。弥蔵氏は伊崎浦(現福岡市中央区伊崎)に「いわしや画房」を開き、福岡広告協会・美研会などの主要メンバーであった。また昭和7(1932)年発会の福岡玉屋会の創立時の会員で、福博の商人ともつながりがあった。 173 351
8 上田泰三資料  上田家は唐人町において戦前まで酒造業を営んでいた。本資料には近代の着物類が数多く含まれており、なかでも産着や男児の初膳ずわりの着物などは人生儀礼を知る上で貴重である。長着・襦袢の種類も多く、当時の普段の暮らし振りが窺え、興味深い。 82 90
9 花田イト資料  博多中間町、呉服町で戦前に使用された民俗資料類。重箱と袱紗は贈答用として使用されたもので、袱紗の種類が豊富である。押し絵の袱紗もあり、工芸的にも興味深い。重箱は江戸期のものであり、博多商人の往時が偲ばれる。初孫誕生の祝いには家格に応じて、袱紗と重箱の組合せに変化をつけて使用したといわれる。 22 48
10 黒田藩医
塚本家資料
(追加分)
 塚本家は黒田藩の御抱医師(外療)を代々勤めた。本資料は昭和58年度に寄贈された絵画、書跡など434件695点の資料に追加されるものである。今回は陶磁器、漆器や羽織など日常の什器、衣類などである。 18 49
11 持丸義治資料  持丸氏は、昭和18年甲種飛行兵として入隊する。戦後台湾より引き揚げる。本資料は、第2次大戦の一面を知らしめる資料として貴重である。 13 22
12 中村孝資料  糸島新聞は大正6年創刊以来、現在も愛読されている市中新聞である。福岡県下では大正15年当時、市中新聞は45種を数えたとされ、その中の1つが刊行され続けられていることは、糸島地方の大正・昭和史を知る上で地元に根ざした密度の濃い史料として高く評価される。本資料は昭和43年1月1日から昭和60年12月19日まで、年度別に書冊綴じしたものである。 18 18
13 川副了造資料  本資料は辞令類である。なかでも、福岡市立避病院関係の資料は貴重である。 13 13
14 末信源蔵資料  本資料は、戦時債権、種痘済証、広告、謝状など多岐にわたっている。とくに、種痘済証や愛国婦人会バッグは貴重である。 12 13
15 大多和喜八郎資料
(追加分)
 前回寄贈されたのは武具、什器など150件162点である。今回も三奈木黒田家の家紋入りの袱紗ほか釆配、前立などやはり武士の武具、日常具が含まれる。 8 9
16 梅崎正博資料  志賀島在住の梅崎氏が収集された資料である。35ミリフィルムは、志賀海神社が博多の業者に委託して、大正15年に撮影したものである。「志賀海神社古式行事」と題された中には、当時の志賀海神社の祭礼が記録されており、貴重なものといえる。また、仕事着は島であがった魚を博多で売り歩く行商人(志荷)が昭和初期まで使用していたものである。 4 7
17 友杉淳治資料  本資料は豊臣秀吉朱印状および同書状が入っていた木箱に一括された諸資料からなる。豊臣秀吉朱印状はいわゆる「太閤町割り」後の博多と統一政権の関係を知る上で、貴重な資料である。また他の一括資料もこの書状が近代になってどのように利用されてきたかがわかる資料であり、福岡・博多の歴史とこの書状のかかわりを知る上で貴重なものである。 6 6
18 郡田幹夫資料  大正期から昭和初期にかけての各地の都市の状況が窺える資料である。「筑前博多と玉屋呉服店」は昭和2(1927)年の東亜勧業博覧会に際し、デパート「玉屋呉服店」が発行したパンフレットで、福岡の商業の発展にも触れるものである。 4 7
19 木原ハルヲ資料  福岡県無形文化財保持者に認定された故原田嘉平作「高砂」2体ほか博多人形の資料である。「高砂」は原田嘉平氏の縁者である木原清氏(故人)の還暦の祝に昭和33年に作られたもので、写実的な造形と丁寧な彩色がすぐれた作品である。 4 5
20 中村經吉資料  博多築港記念大博覧会の絵葉書。築港博は昭和11(1936)年3月25日より5月13日まで、長浜埋め立て地(現在の那の津通り付近)を中心に開催され、福岡市の近代都市化に貢献した。図柄はアールデコの影響が窺える昭和10年代の典型的なもので、同じ図柄のポスターも製作された。 1 3
21 三好三郎資料  本資料は、天皇の意思が内侍から職事に、職事から上卿に伝達される口宣のシステムを明らかにするものとして貴重である。
 中山ようは、文化元(1804)年1月23日生れで、慶応3(1867)年から明治2(1869)年の間に暗殺された。和宮、孝明天皇の侍医で、和宮が家茂に嫁した後、和宮と共に下向する。和宮の信頼が厚かった。
3 3
22 松尾静子・
美恵子資料
 昭和20年6月19日夜の福岡空襲の際、電波を妨害するため、B29から投下された電探妨害テープ。福岡市平尾一本木(現福岡市中央区平尾3丁目付近)で収得したものである。テープの原形は1本であったが、現在は2本に切れている。 1 2
23 新島清資料  色紙形や短冊に書かれた書画を貼交ぜた6曲1双の屏風である。儒者では大学頭林信篤、筑前の貝原益軒、肥前の朝川同斎、岡田篁石らの書跡、画家は筑前の桑原鳳井、仙厓、豊前の高木豊水、豊後の平野五岳ほか大坂の熊嶽、耳鳥斎などの絵画が含まれている。なかには江戸の狩野派絵師狩野探信の書状など貴重な資料も含まれる。 1 2
24 久保田勲美資料  福岡市東区下和白の久屋酒屋で明治40年頃から3代にわたり使用された角樽である。婚姻の儀礼用として使用された。 1 2
25 川手重尾資料  戦時中、空襲に備えて鳶口と防火水槽は必需品であった。本資料は昭和20年の福岡大空襲の際、実際に使用されたもので焼夷弾による焦げ痕が残る。戦災の凄まじさを語る生きた戦時下資料である。 1 1
26 岩永正利資料  本資料より、昭和19年現在の福岡市内の町内会名、世帯数、隣組数、町内会長名などが一見でき、貴重である。 1 1
27 原勉資料  本資料は書冊の形式をとった砲術の相伝書であり、内容は石火矢、抱大筒、小銃に関した定法、薬込、心得などを記したものである。表紙、奥書等に師弟の名が記されており、幕末期の武士と武術に関する貴重な資料である。 1 1
28 進藤一馬資料  現本館館長、進藤一馬氏が第17代福岡市長時代、氏の新築祝いに当時の熊本県人吉市長、永田正義氏から贈られたキジ馬である。キジ馬は九州の郷土玩具で、人吉市のものは3尺の長さが本来の姿であるが、現在は小型化している。本資料は人吉市で今も手作業でキジ馬を作る住岡忠嘉氏の作品で、本来の3尺の姿が復元されている。 1 1
29 上杉市丸資料  江戸時代の兜、胴丸、手甲、膝当を揃えた具足で、近代には当家の節句飾りとして使われていた。 1 1
30 本田優資料  上下2段の引き出しのついた万箪笥である。 1 1

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 柴田治道資料  近世筑前の絵画、書跡、近代福岡の名士の書跡を中心とした資料である。絵画には福岡藩の御用絵師石里洞秀、町絵師の村田東圃、僧仙厓、また書家の二川相近、玉條父娘の作品がある。書跡は儒者の貝原益軒、江上苓州、亀井少栞、福岡藩士の吉留杏村など近世筑前の諸家のほか、福岡県令渡辺清ほか金子堅太郎など近代名士の書跡が含まれる。 157 169
2 田村文書  筥崎八幡宮の旧大宮司家である田村家に相伝された文書で、文治3(1187)年の筥崎大宮司分坪付帳写を初見として文禄3(1594)年までの149点の史料である。筥崎宮の社内機構や社領構造、さらには政治諸権力との関係を長い時代にわたってうかがい知ることができ、大変貴重である。なお、昭和61年、62年度の2ヶ年間の修理の過程で、前回の表装時における文書の改作が発見され、今回原状にできるかぎり戻された。これらについては、備考の欄に示してある。 149 149
3 生田耕造資料  生田家は、代々福岡藩士で禄高は200石。明治期になると、博多第1号の洋菓子店を中洲にオープンさせている。本資料の中には、博多第1号の「生田菓子店」に関する資料(店舗設計図、新改築見積書、写真など)があり、興味深い。 45 55

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 平戸真見塚家文書  真見塚家は、平戸藩士で代々旗奉行、小姓頭役などをつとめ、禄高は300石であった。本資料は、真見塚源七宛の書簡を多く含むほか、達、口上、召喚状なども見られ、平戸藩政や真見塚氏の活躍の一端がうかがえる。 371 433
2 筑前関係書画
コレクション
 江戸時代筑前の町絵師斎藤秋圃の絵画、儒者亀井南冥、昭陽父子をはじめ亀井一派の書画、さらに南冥の門人で秋月の原古処、莱蘋父娘、日田の咸宜園の広瀬淡窓の書を集める。また、淡窓の門人で南画家の平野五岳の書画も含まれ、筑前の文化を知る上で貴重な資料である。 270 271
3 度量衡関係資料  幕末から昭和初期にかけて筑前・筑後で使用された秤と桝のコレクションである。棹秤は秤量は2貫以上のものばかりで、地方でチキリと称する。皿秤は主に行商等に用いられ、野菜・鮮魚などを計量した。秤に付属する分銅には、近世に使用された石製のものも含まれている。桝には穀用と液体用の別があり、明治の度量衡改正で使用不可となった桝類もある。 5 274
4 不破資料  不破国雄は、第1大区戸長・同区長・遠賀郡長を歴任し、明治22年4月に福岡市議会議長に就任。以後初代から7代、9代から19代の議長をつとめた。本資料の中には、不破国雄に対する辞令・通達が多く含まれており、市政の一部を窺い知ることができる。 105 105
5 広沢家文書  巻子1巻中に書状19点、和歌9点の計28点を収める。書状の宛所は英彦山座主およびその関係のものが多く、おそらく広沢家も英彦山の社家関係の家柄であったと考えられる。古代以来修験道の霊場であった英彦山と豊前中津藩との交渉(江戸中から末期)のようすを知ることができる。 28 28
6 粕屋平野家文書  平野家はかつて大内氏・小早川両氏に仕え、小早川秀秋移封後は庄屋として代々表粕屋郡多々良村に住んだ。本資料は、平野家の事跡に関するものであり、特に多々良浜の開作事情がわかる点で貴重である。 23 23
7 早良郡片江村文書  本資料は、福岡藩が片江村の庄屋・組頭・百姓など村民に宛てた「沙汰」・「達」・「申渡」などである。藩の地方支配のありかたがうかがえる。 12 12
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開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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