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特別展示室A

平成13年12月18日(火)~平成14年1月27日(日)

◆開催にあたって◆


福岡の歴史とくらし

 福岡市博物館は、昭和58年に建設準備室を発足して以来、多くの方々の協力を得て、考古・歴史・民俗・美術の各分野にわたる博物館資料の収集を続けてきました。新しく博物館に収集した資料は、2年の整理・研究期間を経て年度ごとに目録化され、また、新収蔵品展を通して皆さんにご紹介しています。
 第14回目を迎えたこの度の新収蔵品展は、当館が平成10年度に収集した7602件の資料の中から、郷土福岡の歴史とくらしに関わる資料を中心に100件あまりを展示します。古代から現代までの歴史・民俗資料、考古遺物、美術工芸品は、2000年以上の歴史を持つ福岡のさまざまな側面を伝えてくれることでしょう。




◆考古◆


72 中国古代印章

 博物館で最もおなじみの所蔵品といえば、なんといっても「漢委奴国王(かんのわのなこくおう)」の金印でしょう。よく知られているとおり、金印は中国・後漢の皇帝から与えられたものです。古代中国の印章は、中国社会の支配システムを象徴するもので、官印と私印があります。特に官印は、皇帝を頂点とする支配秩序を反映しており、官位に応じて素材、鈕式(ちゅうしき)(つまみの形式)、印綬(いんじゅ)の色制(つまみに通すひもの色の種類)が厳格に定められていました。展示されている231点の印章(72)は、戦国時代から後漢にかけてのもので、材質には銀、銅、鈕式には亀鈕(きちゅう)、獣鈕(じゅうちゅう)、瓦鈕(がちゅう)などが見られます。この他の考古資料として、旧奈良屋(ならや)小学校が所蔵していた瓦(17)、和白(わじろ)ゴルフ場内で採集された磨製石斧(ませいせきふ)(54)があります。



◆歴史―中世―◆


75 大友義鑑書状

63 梅野四郎左衛門売券

 中世の歴史資料は、北部九州を舞台に活躍した僧や戦国武将の残した古文書が中心です。「大友義鑑書状(おおどもよしあきしょじょう)」(75)は、戦国大名であった大友義鑑が家臣の田北三河守(たきたみかわのかみ)に対し、自分への忠儀を求めたものです。この書状が出された当時は、大友氏と大内(おおうち)氏という二者の戦国大名が博多や北部九州の支配をめぐって戦乱を繰り返していました。
 中世から現代までにまたがる資料群として梅野(うめの)家の資料が挙げられます(62~69)。梅野家は、対馬(つしま)の在地領主(ざいちりょうしゅ)で、中世には筑前や対馬の守護であった少弐(しょうに)氏の被官仁位中村宗(ひかんにいなかむらそう)氏に属していました。近世には対馬藩士となり、近代には長崎県議・代議士を務めました。古来より対外交渉の窓口であった対馬と博多の関係をうかがえる資料群です。
 その他、中世早良(さわら)平野の寺社や武士の動向を伝える文書の写(15)は、郷土史研究の1つのあり方を示しています。



◆歴史―近世―◆


56 旧友泉亭棟札

 近世の歴史資料には、福岡藩の歴史を示す資料を多く含みます。「立花実山書状(たちばなじつざんしょじょう)」(81)は、3代藩主黒田光之(くろだみつゆき)の側近・立花実山が、黒田家の歴史書である黒田家譜(くろだかふ)の件で、貝原益軒(かいばらえきけん)などの藩の学者に指示を与えている書状です。立花実山は、茶人・文化人としても名高い人物でした。「旧友泉亭棟札(きゅうゆうせんていむなふだ)」(56)は、6代藩主黒田継高(つぐたか)が別邸として宝暦(ほうれき)4年(1754)につくった友泉亭(現城南区友泉亭)の建物の一部を、幕末に修理した際のものです。江戸時代の友泉亭の実物資料としては、ほぼ唯一のものと言えます。このほか福岡藩の藩医八木(やぎ)家の資料(20、21)や支藩秋月(あきづき)藩の家臣であった吉村家の資料(11~13)があります。
 近世筑前の文化・学芸に関する資料には、広島出身の詩人・頼山陽(らいさんよう)が博多を訪れた際に残した漢詩(55)や、幕末歌人・大隈言道(おおくまことみち)の旧宅の居間を飾っていた額(44)、九州各地の考古遺物や兜(かぶと)、刀剣など社寺に奉納された宝物の拓本を集めた巻子(80)などが挙げられます。



◆歴史―近現代―◆


47 室内照明具

46 芝居番付
「正劇川上上一派
ハムレット」


4 看板「神世醤油醸造元」

 近現代の歴史資料は、急速に変化していく人々の生活を物語っています。家庭用置薬(おきぐすり)の薬箱(40)、昭和初期の洋風ランプの傘(47)、携帯用電灯(49)、和服用のコート(48)、地下足袋(じかたび)(71)、「金鳥粉」の缶(58)、「ブラジルコーヒー」のポスター(93)や映画チラシ(61)などは、ちょっと昔の生活では身近に眼にしたものでしょう。昭和初期のの政治家・広田弘毅(ひろたこうき)が扇子(せんす)にしたため人に贈った書(39)もあります。
 明治から昭和初期にかけての博多商人の生活がうかがえる資料群に社家町渡辺(しゃけまちわたなべ)家資料(1~9)があります。社家町渡辺家は、福岡藩の御用商人であった渡辺家の分家で、明治10年代に本家が営んでいた醤油醸造(しょうゆじょうぞう)・販売の権利を譲りうけ、醤油店として独立しました。渡辺家の経営が分かる文書類や店で使われた道具のほか、商家が親しんだ文化を示す絵画資料などが含まれます。
 社会の変革に寄与し、かつまた、その影響を大きく被るのは教育です。福岡の学校教育確立期の一端を物語る「福岡城佐賀堀中堀関係文書(ふくおかじょうさがぼりなかぼりかんけいもんじょ)」(86)ほか大学構内を写す絵はがき(10)、昭和初期の通信簿(33)や博多人形を用いた社会科教材(70)、平成10年に統合された博多部の小学校に関連する資料(14、17)などからは、福岡の学校教育をめぐる状況が伝わってきます。
 近代芸能関係の資料としては、博多に生まれ世界に羽ばたいた俳優(はいゆう)・興行師(こうぎょうし)であった川上音二郎(かわかみおとじろう)に関わる芝居の番付(ばんづけ)(46、97)や興行のポスター(90~92)、錦絵(にしきえ)(37)などがあります。近代のマス・メディアという観点からは、「筑紫新聞(ちくししんぶん)」(98)や「写真時報(しゃしんじほう) 大阪毎日(おおさかまいにち)」(43)の新聞が注目されます。また、新聞社が主催し健康優良児の顕彰と育児法の普及を図った「赤(あか)ン坊会(ぼうかい)」のメダル(42)や、「鎮西博物館歴史参考之備品(ちんぜいはくぶつかんれきしさんこうのびひん)」といった刷物(すりもの)(57)は、現在も盛んなメディアによるキャンペーン活動の先駆を思わせます。
 第2次世界大戦から占領期の国民生活を偲ばせる資料も多くあります。徴兵検査の受検者に検査前後に配布された書類(31)、配給を受けるための衣料切符(32)、検閲された郵便物(45、50)のほか、敗戦直前に散布されたビラ(22)や敗戦直後に撮影された航空写真(23)など連合軍関連の資料、内閣情報部(のちの内閣情報局)が創刊した国内向けのプロパガンダ誌(89)や子供の愛国心を鼓舞する内容の紙芝居(85)といった戦時のメディアに関する資料など、様々な角度から戦時下の暮らしが物語られています。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

福岡市博物館

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