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No.037

考古・民俗展示室

装(よそお)う

平成4年10月13日(火)~12月27日(日)

婦人像(江戸時代)
婦人像(江戸時代)

はじめに

 人は、なぜ装(よそお)うのでしょうか。美しく身を飾ることは昔も今も変わりません。初めは神事(かみごと)などの宗教的な意味があったと思われます。装うことが一般にも広まっていくのは、江戸時代を迎えてからです。背景には華やかな町人文化の発展がありました。化粧の延長としての装身具も、時代の推移に伴って移り変わりが見られます。明治時代以降、洋装が取り入れられると、しだいに洋風の装身具が流行していくことになります。

 今回、企画しました「装う」展では、考古、民俗、アジア関係の装身具を,身体の各部分に分類して展示しています。装うことが「日常」のこととなつた現在、今一度、私たち日本人の「装い」の原点を振り返ってみることも必要なことではないでしょうか。


貝製腕輪と青銅製腕輪(弥生時代)
貝製腕輪と青銅製腕輪(弥生時代)

腕飾り(腕輪)

 腕輪は縄文時代には既に使われていた。材質は鹿の角、猪の牙、貝、土、木(漆塗り)で、そのうちもっとも多く使われたのは、貝製の腕輪(貝輪(かいわ))である。弥生時代から古墳時代には青銅製(せいどうせい)や石製(せきせい)が加わるが、選ばれた人が身につけた。古墳時代以降は腕輪を着ける習慣はなくなり、現代になって復活した。

耳飾り

 耳飾りは縄文時代にピアスと考えられる抉状(けつじょう)耳飾り・耳栓(じせん)が流行したが、耳栓は東日本が中心である。前者は石製・土製、後者は土製である。現代は主に女性の飾りであるが、縄文時代は男女ともに着けていたと考えられる。弥生・古墳時代以降は耳飾りの風習はなくなり、古墳時代後期に大陸製の耳飾り(青銅製や金製)がわずかに見られるだけである。


首飾り(弥生時代、吉武高木遺跡、文化庁蔵、重要文化財)
首飾り(弥生時代、吉武高木遺跡、文化庁蔵、重要文化財)

首飾り

 縄文時代以降古墳時代まで各種各様のネックレスが使われた。材質は石(ヒスイ、メノウなど)、動物の牙・骨、木、植物の実、ガラス、土、琥珀(こはく)などである。大型の飾りを1点だけ飾ったり、小さな飾りをつなげたり、飾り方も様々である。勾玉(まがたま)も縄文時代から使われていた。奈良時代以降、首を飾る風習はなくなった。

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

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