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No.090

黒田記念室

江戸時代の行列展

平成8年1月17日(水)~3月31日(日)

朝鮮通信使
江戸の徳川将軍を訪れるため街道を進む朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)(上)と琉球使節(りゅうきゅうしせつ)(下)の行列図
琉球使節

 江戸時代の行列といえば、誰もが思い浮べる、大名の参勤交代(さんきんこうたい)の道中(どうちゅう)行列のほかに、徳川(とくがわ)将軍や大名などの武家(ぶけ)や朝廷、外国からの使節団、そして庶民と、さまざまな人々のくり広げた行列がありました。本展示では黒田資料をはじめとする本館収蔵資料の中から、いろいろな行列が描かれた絵巻や絵図、あるいは内容が記された古文書類を中心に選び、当時の姿を再現するとともに、それらが行なわれた時代や社会の背景について紹介します。

 この時代、最も大がかりな行列の1つに、徳川将軍の行列があります。3代将軍家光(いえみつ)の上洛(じょうらく)では福岡藩主黒田(くろだ)氏も、外様(とざま)の一大名として行列の中に従っています。そして福岡藩主も家臣を率い長崎瞥備(ながさきけいび)などで戦陣の行列を進みました。この他、参勤交代、婚礼(こんれい)、葬儀(そうぎ)など、大名にとっては平時の行列も疎(おろそ)かにできませんでした。幕末になると天皇の行幸(ぎょうこう)などが何度もあり、それが政治の動きを左右(さゆう)する大きなできごととなっています。また外国から日本を訪れた朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)などの行列は、この時代の外交上の大きなセレモニーでした。

 一方、庶民は将軍、大名の行列が進むのを街道などで支える役目にありましたが、自分達も日常の生業(せいぎょう)や年中行事(ねんちゅうぎょうじ)、祭礼の中でさまざまな行列をつくり、その中には現在の我々に受け継がれたものも少なくありません。

作品解説

(1) 寛永三年三代将軍徳川家光上洛之図
(1) 寛永三年三代将軍徳川家光上洛之図

(1) 寛永(かんえい)三年三代将軍徳川家光上洛之図(とくがわいえみつじょうらくのず)

 寛永3(1627)年、生れながらの将軍といわれた3代将箪徳川家光(1604~51)は、父の大御所秀忠(おおごしょひでただ)とともに2度目の上洛をおこない、御三家(ごさんけ)や諸大名を従えて参内した。


(2) 文久三年孝明天皇石清水八幡宮行幸図
(2) 文久三年孝明天皇石清水八幡宮行幸図

(2) 文久(ぶんきゅう)三年孝明天皇石清水八幡宮行幸図(こうめいてんのういわしみずはちまんぐうぎょうこうず)

 文久3(1863)年4月、孝明天皇(1831~66)が行なった攘夷(じょうい)成功祈願(きがん)の行幸図。一橋(ひとつはし)、会津(あいず)などの幕府要人、尊王(そんのう)攘夷派の外様大名や公家を従えており、尊攘運動は盛上った。


(3)御進発御役人付
(3)御進発御役人付

(3)御進発御役人付(ごしんぱつおやくにんづけ)

 慶応(けいおう)元(1865)年5月、第14代将軍徳川家茂(いえもち)(1846~66)が、第1次の長州征討(ちょうしゅうせいとう)のため、江戸を出発し大坂城へ入るまでの、幕府軍の行軍。洋式歩兵も従軍した。


(4)筑前名所図会(博多松ばやし)
(4)筑前名所図会(博多松ばやし)

(4)筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)(博多松ばやし)

 博多の文人奥村玉蘭(ぶんじんおくむらぎょくらん)(1761~1828)が、彼の著作の中で描いた、正月の博多松ばやしの行列図。町々から出された三福神(さんふくじん)と稚子(ちご)などが、福岡城の藩主へ祝いに出向いた。


(5)除蝗録(虫送り行列)
(5)除蝗録(虫送り行列)

(5)除蝗録(じょこうろく)(虫送り行列)

 農学者大蔵永常(おおくらながつね)(1768~?)が著した鯨油(げいゆ)等による稲の害虫駆除(がいちゅうくじょ)法の書の中に描かれた、農民の虫送り行列の図。夜に明松(たいまつ)をともし、鐘太鼓を鳴らして害虫を追う行事だった。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

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