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No.113

黒田記念室

博多祗園山笠展7

平成9年6月3日(火)~7月13日(日)

山笠櫛田入の図(筑前名所図会)
山笠櫛田入の図(筑前名所図会)

博多祗園山笠展7について

 博多祗園山笠(はかたぎおんやまかさ)展も7回目をむかえることとなりました。今回も黒田資料の中から、江戸時代の博多祗園山笠の絵図などを展示し、この時代の舁山(かきやま)の勇壮で華やかな姿を紹介します。また新たに本館が収蔵した資料の中から、当時の博多の町々の山笠の運営にかかわる記録類を紹介します。主に町の年寄(としより)(現在の自治会長に当るが行政の役目も果す職)が残したものですが、今につながる博多祗園山笠の歴史と文化の深さを物語ってくれます。


黒田資料 紙園山笠図(片土居町)
黒田資料 祗園山笠図(片土居町)
追懐松山遺事(素山の図)
追懐松山遺事(素山の図)
山笠当番町一覧表
山笠当番町一覧表
土居流片土居町記録
土居流片土居町記録
土居流土居町上記録
土居流土居町上記録

追懐松山遺事(ついかいしょうざんいじ)にみる博多祗園山笠

 展示資料の中に「追懐松山遺事」という明治43(1910)年に出た本があります。松山とは江戸時代の博多の代表的な祭りである、正月の松ばやしと6月の祗園山笠(どちらも月は旧暦で以下同じ)の2つについて、博多の町々の参加と運営方法を調べて書いたものです。著者の山崎藤四郎(やまざきとうしろう)は当時77才で、江戸時代の最後の博多の年行司(ねんぎょうじ)(町の年寄の上に置かれ、博多の町々の全体の取りまとめと世話を町奉行(まちぶぎょう)からまかされた役職)に就(つ)いていた人で、その体験をもとにこの本も書かれました。

 ではその内容をもとに祗園山笠と町々とのかかわりを見てみましょう。博多には江戸時代の終りで、約100町もの町があり、それらの町々は呉服町流(ごふくまちながれ)、土居流(どいながれ)などあわせて10の流に別けられていました。各流には、たとえば本展の資料に登場する土居流なら、大乗寺前町、土居町上、土居町中、土居町下、行町、浜小路町、西方町前町、川口町、新川端町などの10町(現在の博多区上川端(かみかわばた)町、下(しも)川端町付近)が所属していました。そして1つの流の中の町々で、山笠を造る役目を、順番にまわしあったのです。この順番に当った町のことを当番町(とうばんちょう)といいます。さらに山笠が造るのは、10の流のうち7つの流れで、比較的歴史の新しい他の3つの流は、山笠祭礼の中でも別の役目を果していました。7つの流れも1番から6番までの6本の山笠と櫛田(くしだ)神社への奉納の能(のう)の世話を順番で担当します。能当番の流れは山笠は1年お休みというわけです。このような山笠の当番のしくみから、1年間には6本の山笠が造られ、絵図や屏風で勢揃いしたようすをみることができます。また流や町々の当番をめぐる整然とした順序などは展示資料(2)、(3)などで今も見ることができます。

 さて、当番に当った町(当番町)は、春から忙しい準備が続きます。やはり「追懐松山遺事」の記述から、年寄や町の人々の大まかな動きを追ってみましょう。まず4月1日(旧暦)から各流の当番町は山笠を造る場所(木屋)こしらえます。これを木屋入りといい、5月にかけて山作りの職人や大工の人々が働き、当番町の人々も手伝います。山作りの職人は当時、博多市小路に住んでいた惣吉(そうきち)が有名で、本展示の土居町上の山笠も作っています(展示資料(4))。また惣吉は代々三苫氏を名乗り、細工に必要な山笠下図(展示資料(6))から、藩主に献上する山笠図の作成にも携わり、その作品(展示資料(7)、(8)など)が残っています。さて、5月下旬に箱崎松原の松を山笠1本につき3本採り、5月24、5日には山笠の素山(骨組み、展示資料(1))が立てられ、28日には山笠の番付が博多中に発表されます。そして29日から30日の御潮井取(おしおいとり)があり、6月1日には山笠関係の7流の町々の境に注連縄(しめなわ)が張られ、博多の町々の年寄が集って祗園寄合(ぎおんよりあい)が開かれます。またこの日はじめて山笠が飾られて舁(か)きまわされ、3、5、7日まで1日おきに舁(か)き他の流れにも行きます。8、9日は飾りの手入れ、10日は本飾りがあり、その夜はかがり火がたかれ、町の軒(のき)ごとに高提灯がつるされます。そして11日の朝に自分の流れを舁き廻る朝山(あさやま)があり、昼からは他の流へも行きます。なお山はいつも自分の流の他の町々の人々と一緒に舁きます。12、3日は調整、14日は追(おい)山の準備でこの夜もかがり火、高提灯がつるされます。また山笠は大乗寺前町(現在の博多区冷泉町)に舁いて行かれ15日を待ちます。なお能当番の流も13、4日に舞台(ぶたい)を準備、また山笠を造らない流も町奉行の見物のための櫛田神社の桟敷(さじき)席を作る役目を受持ちます。

 そして15日の追山、1番山がスタートし、6番山まで順番に櫛田神社に入ったあと、博多の中を廻ります。展示資料(10)は筑前名所図会に描れた山笠櫛田入りの図で、勇壮な山笠が昇かれるようすがわかります。この大競争のため、流の町々の人々のほかに、近在の村々や山笠当番が休みの流、山笠を造らない流から雇れた人々があと押しをしています。また各流れの町々の年寄は麻上下(あさがみしも)、股立(まただて)を取り草鞋(ぞうり)掛け鉢巻(はちまき)の姿で、自分の流の山笠の前で扇で山を招いています。また福岡藩士が馬に乗り、山の前後に付き添う姿も見られます。山笠のゴールは須崎(すさき)流(現在博多区須崎町)で、もと町役所があった所といわれます。

 追い山が終ると、その日のうちに山を崩します。舁き棒は流の共有物なので、次の当番の町へ渡します。このあと始末は16日まで続き、最後に、当番町から流れの町々へ酒などが配られます。町々では年寄宅などを中心に酒宴がはられ、当番町の年寄のあいさつや次の当番町の年寄のあいさつなどがありました。こうして山笠の祭りは終わり、博多の町はさらに暑い夏をむかえるのです。

(又野誠)

天保二年博多祇園山笠図屏風
天保二年博多祇園山笠図屏風

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
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