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No.115

黒田記念室

ジャーナリズムの近代-よむ・みる・きく-

平成9年7月15日(火)~9月15日(月)

錦絵版『東京日日新聞』111号
錦絵版『東京日日新聞』111号

 世界で最初に新聞が発行されたのは、17世紀のドイツでした。日本にも、江戸時代に瓦版(かわらばん)という情報紙がありましたが、定期的刊行物である新聞が登場するのは、19世紀半ばの幕末になってからのことです。明治維新後、政府は、無許可発行の新聞を厳しく取締まる一方、「文明開化」に役立つものとして新聞の購読を奨励したので、新聞が各地で創刊されました。

新聞錦絵の流行

 明治時代のはじめに創刊された新聞は、漢文調の難しい文章のものが多く、庶民にとっては読みにくいものでした。しかし、新聞も最初は東京などの都会で創刊されたので、文明開化を象徴する土産(みやげ)としてもてはやされました。そこで、大手の新聞の記事のなかから庶民うけする記事を選んで、錦絵の挿し絵をそえた「新聞錦絵」が売り出されました。最初に売り出された1874(明治7)年から数年間流行し、東京や大阪を中心にたくさんの「新聞錦絵」が出版されました。


西南戦争を伝えた錦絵新聞『有のそのまま』13号
西南戦争を伝えた錦絵新聞『有のそのまま』13号

西南戦争を伝える

 今から120年まえ1877(明治10)年の西南戦争は、当時の社会においても強い関心をもたれた大事件でした。西南戦争には、写真師が従軍して記録写真を撮っていますが、視覚的に戦争の様子を人々に伝えたのは錦絵でした。大阪では、西南戦争関係の報道のためだけに、錦絵入りの新聞が創刊されました。また、西南戦争を題材にとった錦絵や読み物もたくさん出版されました。しかし、このように錦絵が視覚的報道の主役を担ったのは、西南戦争が最初で最後でした。これ以降は、写真が視覚的な報道の主役となっていきました。


関東大震災の絵葉書(新橋駅)
関東大震災の絵葉書(新橋駅)
福岡で最初の新聞『筑紫新聞』
福岡で最初の新聞『筑紫新聞』

ニュース写真の登場

 明治時代の半ばになると、感光剤の改良によってスタジオの外での撮影が容易になったので、ニュース写真を撮りやすくなりました。また、写真を印刷する技術が普及しだしたのもこの頃で、ニュース写真が出回るための環境が整いました。また、1900(明治33)年に私製葉書の製造と使用が許可されて、写真を葉書に印刷できるようになりました。日露戦争(1904~05)の記念絵葉書がきっかけとなり、絵葉書収集のブームが起きたことからも分かるように、当時の絵葉書は、事件などのニュース性の高いものを扱ったものがたくさんありました。特に、1923(大正12)年の関東大震災の様子を伝える絵葉書は量産されました。

明治時代の福岡の新聞

 1873(明治6)年、久留米(当時は三潴県(みずまけん))で福岡県で最初の新聞が創刊されました。三潴県が福岡県に合併された後は、新開発行の中心も福岡に移り、77(明治10)年には、福岡市域における最初の新聞『筑紫新聞』が小冊子型で創刊されました。『筑紫新聞』は、西南戦争の戦況報道に力を入れており、付録に戦地の地図も付けています。一枚刷りの新聞としては、『福岡新聞』が創刊されましたが、2年ほどで廃刊になりました。この他にも、たくさんの新聞が創刊されましたが、紙名を変更したり廃刊したりと、短命に終わるものが多かったようです。県下で最初の日刊紙は、80(明治13)年に『筑紫新報』を改題した『福岡日日新聞』です。自由民権運動の時期には、『福岡日日新聞』と『福陵新報』が互いに論陣を張り、論戦を展開しました。

(太田 暁子)

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開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
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