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No.138

黒田記念室

掘り出された福岡城展2

平成10年12月22日(火)~平成11年3月22日(月)

福岡城跡から出土した輪宝
福岡城跡から出土した輪宝
鷹羽文鬼瓦(名護屋城跡出土)
鷹羽文鬼瓦(名護屋城跡出土)

はじめに

 慶長(けいちょう)5年(1600)の関(せき)ヶ原(はら)の戦(たたかい)は、全国の諸大名が西軍石田方と、東軍徳川方に分かれて、豊臣秀吉(とよとみひでよし)死後の天下の覇権(はけん)を争った全国的な戦いでした。豊前国中津(ふぜんのくになかつ)城主であった黒田長政(くろだながまさ)は東軍として関ヶ原に参陣し、父の如水(じょすい)は九州で、西軍側の大友(おおども)氏などと戦いました。東軍勝利後、その軍功によって、筑前国52万石の太守(たいしゅ)となりました。黒田氏は当初、前領主の居城、名島(なじま)城に入りましたが、城下が手狭な為、新たに那珂(なか)郡警固(けご)村福崎の地に、翌6年から7年の歳月をかけて、福岡城を築きました。福岡の名前は黒田氏の祖先発祥の地、備前国邑久(びぜんのくにおく)郡福岡から来ています。

 現在、福岡城跡は都会の中の史跡公園として、石垣の復元修理や明治時代以降失われた櫓(やぐら)の復元などの整備が計画的に行われています。また事前の発掘調査も行われています。

 今回は最近の発掘調査によって明らかになった成果と、福岡城関係の古地図や明治期の福岡城の写真などから、いにしえの福岡城をご紹介いたします。


赤坂門跡の調査(第26次調査)
赤坂門跡の調査(第26次調査)

福岡城築城以前

 中津時代の黒田氏 天正(てんしょう)15年(1587)の秀吉の九州平定後、黒田孝高(くろだよしたか)(如水)は豊前国(ふぜんのくに)6郡の領地を与えられました。最初、京都(みやこ)郡の馬(うま)ヶ岳(たけ)城(福岡県行橋(ゆくはし)市) に入りましたが、翌16年山国川(やまくにかわ)河口の中津の地に城を築き始めます。絵図によれば、城は山国川の右岸にあり、本丸、二の丸、三の丸の曲輸(くるわ)を持つ典型的な平城(ひらじろ)でした。中津時代、有力国人の宇都宮(うつのみや)氏など在地の勢力を武力と知略で制圧していきました。

 慶長5年の関ヶ原の戦で東軍の徳川方について勝利した黒田氏は、軍功の恩賞として筑前国に転封(てんぽう)となりました。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

福岡市博物館

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