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No.173

考古・民俗展示室

弥生のテクノポリス

平成12年10月31日(火)~12月27日(水)

青銅器工房跡(須玖坂本遺跡)
青銅器工房跡(須玖坂本遺跡)

奴国の青銅器工房

 奴国では、佐賀平野より遅れて中期後半に青銅器や鉄器(てっき)の生産が始まります。工房は、王墓のある須玖岡本(すくおかもと)遺跡南方の丘陵部にあり、細形銅剣(ほそがたどうけん)や銅矛・小銅鐸(しょうどうたく)などの青銅器や鉄素材を二次加工する小鍛治工房(こかじこうぼう)が小規模に営まれていました。ところが、後期後半になると丘陵前面の低地で大規模に青銅器工房が営まれます。その広さは、須玖岡本遺跡を中心にして半径1kmの範囲に及んでいます。
工房のまわりには、湿気抜きの溝を巡らし、工房群は、さらに大きな溝で区画されていました。これらの工房跡や溝からは、鋳型のほかに鞴羽口(ふいごはぐち)・中子(なかご)・取瓶(とりべ)などの生産用具や銅滓(どうさい)も発見されています。また、鋳型から剣や矛・戈・鏃(やじり)・鏡・釧(くしろ)・鐸(たく)・鍬先(すきさき)などの多様な製品が作られていました。なかでも祭祀(さいし)に重要な役割を果たしていたと考えられる広形銅矛(ひろがたどうほこ)が生産の主流を占めていることは非常に注目されます。


奴国のガラス工房

 ガラス製品には勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)・小玉(こだま)があり、その生産は、青銅器の生産にやや遅れて後期に始まります。初期のガラス製品の鋳型などは、青銅器の鋳型などとともに出土することが多く、はじめは青銅器の鋳造術に習熟した工人たちが、集落内の青銅器工房の一角で生産していたものと思われます。ところが、有力者たちを飾るアクセサリーの需要が増してくると次第に生産規模を拡大し、青銅器とガラス製品の生産工房が取り扱う素材によって専業的に分離され、工房群は溝で区画されて配置されていました。
 須玖五反田遺跡(すくごたんだいせき)のガラス工房は、竪穴住居の壁面からトンネル状の細い溝が別の土壙(どこう)までのびており、その周辺からは、真土(まね)製と石製の鋳型や勾玉の未製品・ガラス屑(くず)・溶けたガラスの付いた坩堝(るつぼ)・玉砥石(たまといし)などが集中して出土しています。


青銅器の生産と流通

 弥生時代の中期初めに佐賀平野で始まった青銅器の生産は、次第に生産規模を拡大しながら後期には、博多湾に面した奴国へと中心が移っていきました。その中核は、春日市北部の須玖(すく)遺跡群で約25ヘクタールの範囲には、平地式建物(へいちしきたてもの)の鋳造工房群が溝で区画されて建ち並び、まさに弥生時代の工業団地でした。
奴国で生産された青銅器には、銅矛や銅剣・銅戈・銅鏃・鏡・銅釧(どうくしろ)などがありますが、なかでも広形銅矛はほとんど専業的に作られました。この広形銅矛は、弥生社会にとって重要な意味をもつ祭祀に不可欠な祭器で、瀬戸内海沿岸や対馬さらには朝鮮半島南部の伽耶(かや)地方や大邱(てぐ)あたりまで供給されました。奴国は王のもとに、原材料の保有から生産施設を専業的に管理し、祭器の生産・供給までを管理独占していた先進的なクニといえるでしょう。

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