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No.175

黒田記念室

羽織

平成12年11月28日(火)~平成13年1月27日(日)

No.2 陣羽織 後身頃の蝶文様
No.2 陣羽織 後身頃の蝶文様

 今年は、ジャケットやコートを新調しましたか?ジャケットなど上着類は、年ごとに新しいスタイルが登場します。それは、最も外に着る=最も人に見られる衣服であり、またシャツやセーターなどの上にはおる付加的なものゆえに、好みや流行によって形の変化が起こりやすいからです。さて、人々が皆、キモノを着ていた時代の上着といえば羽織です。今日かろうじて成人式や結婚式で目にすることもある羽織も、かつては時代の流行を大いに反映するアイテムでした。この展示は、様々な羽織を通して、キモノの時代のファッションを考えてみようとするものです。


●羽織の起源

 室町時代の終わり頃、伝統的な服装の決まりごとにとらわれない武家の間で、新しい形の衣服や着方が生まれました。羽織の起源もその頃に求めることが出来ます。
 羽織の前身として考えられているのが「胴服(どうぶく)」です。胴服は、文字通り胴のみ覆う、比較的丈の短い衣のことです。現存する胴服の多くは戦国武将が着用していたとされるもので、華麗な辻が花染(つじがはなぞめ)が施された絹や舶来の金襴(きんらん)、緞子(どんす)で仕立てた贅沢(ぜいたく)なお洒落着(しゃれぎ)でした。胴服には、定まった形がありません。例えば、上杉謙信(1530~78)所用と伝えられる胴服には、襟(えり)を前身頃(まえみごろ)の裾(すそ)まで続けず、おくみを作るものが多いのですが、やや時代が下る豊臣秀吉(1536~98)や徳川家康(1542~1616)のものと伝えられる胴服には、おくみを作らず、脇にまちに似た生地の張り出しが見られるようになります。つまり、初めは内衣である小袖とほぼ同じ形で丈が短いだけだったものが、前身頃をうちあわせずにゆったりと着られる上着としてふさわしい形に変わっていった過程を、胴服に見ることが出来るのです。前と後ろの身頃の間にまちを作った羽織はその発展形ということが出来るでしょう。
 さて、胴服は、戦陣にあっては具足(ぐそく)の上にはおり勇姿を引き立てるものでもありました。これが後世、陣羽織(じんばおり)と呼ばれるようになりました。豊臣秀吉が肥前名護屋(ひぜんなごや)から正室(せいしつ)ねねに宛てた書状の中には「そでなしのどうふくむやうにて候、そでなしは、ぐそくのときばかりよく候、いり不申候」との文言が見られ、袖無しの胴服は具足の上に着用するのがよいとされています。桃山時代の陣羽織には袖のあるものもありますが、次第に、袖無しで、騎馬や帯刀に都合よいように背中に大きくスリットをいれた形が一般的になりました。

No.5 火事羽織 黒羅紗地
No.5 火事羽織 黒羅紗地

 江戸時代になると、羽織は町人の間にも広まり、礼服としての性格も持つようになります。初めは、様々な色柄のものが作られていたようですが、次第に今日見るような黒無地・小紋・縞(しま)などが一般的になっていきます。それでも、着丈や胸紐の種類には、はやりすたりがありました。例えば、元文(げんぶん)年間(1736~1741)には、上方から江戸に下った浄瑠璃(じょうるり)師、都古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の装いが発端となり、つま先まで届くような長い胸紐がついた丈長の羽織が江戸で流行したといいます。


参考 「今製江戸羽折之図」 『守貞漫稿』
参考 「今製江戸羽折之図」 『守貞漫稿』
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pressrelease

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9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
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(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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