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No.181

美術・工芸展示室

チベット曼荼羅の世界

平成13年3月27日(火)~平成13年7月29日(日)

 曼荼羅(まんだら)とは古いインドの言葉で「本質を有するもの」と訳されます。そして元来は多くの神仏が集まる神聖な場所(壇(だん))を意味していました。最初の曼荼羅は地面に描かれ、法要が終わるとすぐに壊されるのが普通でした。しかし仏教が東方に伝来するにしたがって、曼荼羅は紙などに描かれるようになり、何度も使われたり持ち運ばれたりするようになります。また、徐々に尊像の姿や配置整理され、中国や日本などでは密教(みっきょう)寺院で使われる金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)まんだら(両界(りょうかい)曼荼羅)へと発展していきました。


両界曼荼羅 左:金剛界 右:胎蔵界 福岡・大悲王院蔵

 曼荼羅を生み出した仏教はインドから中央アジアを経て中国に伝来するいっぽう、チベットにも伝来しました。チベットはヒマラヤ山脈の北東部に広がる大高原地帯の呼び名で、ふるくから中国では吐蕃(とばん)と呼ばれていました。平均標高が3千メートルを超えるといわれるこの地は厳しい自然が支配し、外部からの侵略を遮断する地理的な条件を備えていました。そのためチベット仏教は、土着の宗教と融合しながら長い時間をかけて独自の発展を遂げていきます。そして13世紀にイスラム教の圧迫を受け、インド本国で仏教が滅んだ後も、その貴重な文化的遺産を守り伝えました。
 チベットの仏教は7世紀頃に始まりますが、11世紀頃にインドで成立した後期密教(タントラ仏教)の影響を強く受けています。後期密教は修行のプロセスに性的な要素を取り入れて、より強力に悟(さと)りの境地に到達しようとする教えです。日本に伝えられた密教は中期密教以前の段階で、後期密教は一部を除いて入ってきていません。そのため、チベット寺院の堂内や仏像、仏画、仏具などには日本と基本的に共通する部分があるいっぽう、目立って異なる表現も少なくありません。例えば、仏像には明妃(みょうひ)、ダーキニーをはじめ多数の女性の尊像があります。また、父母仏(ふもぶつ)と称される男女尊が抱き合う尊像も多数あります。さらに憤怒系の損像では、骸骨や血や肉を表現するなど一見奇怪でグロテスクな表現も見られます。
 ちなみにこのような表現があるからといって、決してチベットの人々が残酷で、とりわけ性的なことを好んでいたわけではありません。これらは仏像などの姿を借りることで仏教の教えを象徴的にあらわしたもので、父母仏の場合は悟りの智慧(ちえ)(般若(はんにゃ))を女性、悟りを得るための手段(方便(ほうべん))を男性にあてはめ、両者が一つになることで悟りが完成することを意味しています。
このようなチベット仏教独自の表現は曼荼羅にもあらわれています。本展示では南蔵院(なんぞういん)(糟屋郡篠栗町)より寄贈されたチベットコレクションを、立体曼荼羅を中心に紹介します。

立体曼荼羅(真上から)

 立体曼荼羅は文字どおり曼荼羅を立体的にあらわしたもので、丸い円の中に仏菩薩の住む宮殿を表現したものです。日本の曼荼羅はこの宮殿をちょうど真上から見た状態を平面に描いたものといえるでしょう。
 細部を観察すると、外周の丸い円は火炎が燃え盛る山脈、その内側は墓場で死骸や悪鬼があらわされています。さらにその内側には蓮華があり、そこから巨大な宮殿が出現し、宮殿の中には法身普賢(ほっしんふげん)と呼ばれる父母仏とその眷族(けんぞく)が多数安置されています。

 このような曼荼羅は、修行者が仏の世界を心にイメージするための助けとして作られ、用いられたようです。日本の曼荼羅も用途の上では基本的には同じと言えますが、同じ仏教の曼荼羅でもチベットと日本ではこんなに表現が違うということに気づかされます。 (末吉武史)

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