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No.199

考古・民俗展示室

近年出土の対外交流関係遺物展2

平成14年3月26日(火)~6月2日(日)

はじめに


陶磁器出土状況

 玄界灘(げんかいなだ)を介して朝鮮半島(ちょうせんはんとう)、中国大陸(ちゅうごくたいりく)と向きあう福岡市は、古くから大陸の文化を受け入れる港湾都市(こうわんとし)として発展(はってん)してきました。近年、都市部での再開発工事(さいかいはつこうじ)が急速(きゅうそく)に進み、あわせて遺跡(いせき)の発掘調査件数(はっくつちょうさけんすう)も増えてきています。そして、毎年整理箱(せいりばこ)で5000箱を超える大量の遺物(いぶつ)が出土しています。今回は、その中から海外との交流(こうりゅう)を示す遺物をとりあげて紹介します。なお、この展示は平成12年におこなわれた「近年出土(きんねんしゅつど)の対外交流関係遺物展(たいがいこうりゅうかんけいいぶつてん)」の古代・中世編です。


中国との貿易


唐三彩陶枕

 8世紀から10世紀ごろの福岡市は「鴻臚館(こうろかん)の時代」と言っても過言ではありません。博多湾はまさに「大陸文化の窓口」であり、鴻臚館はその中心となる施設でした。中国・朝鮮の外交使節(がいこうしせつ)を受け入れ、遣隋使(けんずいし)、遣唐使(けんとうし)もここを中継(ちゅうけい)し出航(しゅっこう)していきました。仏教を学び唐から帰国した日本天台宗開祖(てんだいしゅうかいそ)の最澄(さいちょう)や、真言宗(しんごんしゅう)の開祖である空海(くうかい)も立ち寄ったといわれます。鴻臚館の発掘調査は1951年から始められ、現在も平和台球場跡地の調査がおこなわれています。遺物には唐三彩(とうさんさい)をはじめとする中国産陶磁器(とうじき)、新羅陶器(しらぎとうき)、イスラム陶器やガラス製品などがみられます。当時のアジアでは唐の長安(ちょうあん)(現西安)が文化の中心でした。長安は多くの民族とその文物が集まる人口100万人を超す国際都市でした。三彩はそのような唐の貴族(きぞく)文化を代表する華麗(かれい)で貴重な焼き物です。イスラム陶器やガラス製品は、当時アラビア商人による東南アジア周辺での貿易(ぼうえき)活動が盛んであり、そのような活動を背景(はいけい)にこの地にもたらされたのでしょう。


ジャンク船

 11世紀ごろから南宋(なんそう)の貿易振興政策(ぼうえきしんこうせいさく)を追い風に頻繁(ひんぱん)に船が行き交うようになります。そのような状況のもと、国際貿易都市としての博多が形成され、発展していきます。当初、船の荷主(にぬし)には外国商人と日本商人が入り交じるものでしたが、鎌倉時代ごろから次第に日本側商人の船が主体となっていくようです。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の作とされる『新猿楽記(しんさるがくき)』には「唐物(からもの)」とよばれた輸入品(ゆにゅうひん)として陶磁器(とうじき)、織物(おりもの)、調度品(ちょうどひん)、材木(ざいもく)、顔料(がんりょう)、薬(くすり)、香木(こうぼく)、染料(せんりょう)などがあげられています。日宋貿易による品目の一端を示していると考えられ、博多遺跡群から出土する陶磁器類以外にも多くの品物が運ばれていたことがわかります。

アジアの中での貿易

 12世紀以降、博多が貿易港として認知されるのとあわせて、宋・高麗(こうらい)・日本の三国間貿易がさらに盛んになっていきました。ところが13世紀後半、博多は文永(ぶんえい)の役(えき)(1274年)、弘安(こうあん)の役(えき)(1281年)の2度にわたって蒙古襲来(もうこしゅうらい)の戦場となりました。後に元寇(げんこう)とよばれるこの戦いの間しばらく貿易活動は下火になりました。貿易が再開された後の輸入品を示すものに新安沖海底遺物(しんあんおきかいていいぶつ)があります。1323年、上海の南側の寧波(にんぽう)から博多に向かっていた貿易船が韓国新安の沖で沈没(ちんぼつ)しました。その船が26年前に海底で発見されたのです。この新安沈船とよばれる船には、多種多様(たしゅたよう)の陶磁器類や28トンの銅銭(どうせん)のほか、金属製の容器類や鏡、香木、香料、材木などが満載(まんさい)されていました。日本国内で流通する銭の大半は中国からのもので、このように大量に持ち込まれました。博多出土の遺物の中には、元が使用していたパスパ文字をもつものがあります。パスパ文字とは元の世祖(せいそ)フビライが元帝国の象徴(しょうちょう)として制定するために、チベット人学僧パスパに命じてつくらせた文字です。


メダイ

  元が滅び明(みん)が興(おこ)ると、明朝は海禁政策(かいきんせいさく)をとり自由な貿易を制限しました。そのようなことから、東アジアの貿易システムが変化し、琉球(りゅうきゅう)が中継(ちゅうけい)貿易で活躍するようになります。琉球は東南アジアのベトナム、カンボジア、シャム、マラッカ、ジャワ諸国との貿易を通じて香料などを入手し、それを中国や日本、朝鮮に輸出するようになります。博多からも東南アジア産の陶磁器が出土します。陶器製の日常雑器は乗船していた船員の食器として持ち込まれ、貯蔵容器(ちょぞうようき)である壺などには貿易品である香料などが入れられていたと考えられます。
 16世紀、ヨーロッパでは大航海(だいこうかい)時代を迎えました。日本における西洋文化の流入にはキリスト教宣教師(せんきょうし)が大きく関わっていました。博多でのキリシタン史は1549年フランシスコ・ザビエルが京都に上る途中、博多に立ち寄ったことから始まります。そして信者の活動はキリシタン大名であった黒田長政(くろだながまさ)が領主(りょうしゅ)となる1603年ごろにピークを迎えました。博多の海側には教会が建っていたという記録があり、博多小学校建設のための発掘調査ではメダイ(スペイン語でメダルの意味)が出土しています。その片面にはキリストの姿を、もう一面にはマリア像が鋳出(いだ)されています。
 そして1633年、徳川幕府(とくがわばくふ)により最初の鎖国令(さこくれい)がだされ、博多湾も国際貿易港としての役割を200年以上中断することになります。


おわりに

 海外でつくられた物が遺跡から出土するということは、当時その物をもった人が海上を移動したということです。人が移動したわけですから船の積荷(つみに)だけでなく技術(ぎじゅつ)、思想(しそう)さらに制度(せいど)や習慣(しゅうかん)、風俗(ふうぞく)なども伝えられたと想像されます。また、出土する遺物の1つ1つは破片で小さいものですが、その一片は人がいつ、どこから、どういう経路(けいろ)で動いたのかを示してくれる貴重(きちょう)な証拠(しょうこ)となります。
(加藤隆也)

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