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No.203

考古・民俗展示室

刺繍と押し絵

平成14年6月4日(火)~7月28日(日)

はじめに

 糸を使って布地にさまざまな文様を縫いあらわす刺繍(ししゅう)の技術。厚紙で花鳥・人物などを作って美しい布でくるみ、中に綿を詰めて板に貼り付ける押(お)し絵(え)の技術。これらはかつて、女性の教養として身につけておくものと考えられていました。この展示では、多くの手芸技術の中からこの二つを取り上げ紹介していきたいと思います。

1、袱紗(ふくさ)の刺繍が物語るもの

 このコーナーでは袱紗を展示しています。現在ではこうした袱紗を使う機会もめっきり少なくなり、結納(ゆいのう)など特別の席でたまに見られる程度となりました。たいてい絹布を表裏二枚あわせにした四角い布で、贈り物の上に掛けるだけのものなのですが、正式の贈答(ぞうとう)の場にはなくてはならないものでした。熨斗(のし)袋などを包む袱紗や茶道の袱紗などと区別するために、掛袱紗(かけふくさ)とも呼ばれています。

刺繍袱紗


花図刺繍袱紗


糺の森競馬図押し絵袱紗

 袱紗には無地のものと柄(がら)の入ったものがあります。柄ものにはいろいろな技法を用いて文様が配されましたが、なかでも多く見られるのが刺繍によるものです。贈答の場で、もっとも目立つ場所に置かれる袱紗。その刺繍は重要な意味を持っていました。刺繍の上手下手はすなわち、それを作った人の刺繍技術、ひいては技芸(ぎげい)全般にわたる才能を無言のうちに相手に知らせることになったからです。特に、未婚の女性にとってきちんとした刺繍ができることは、一人前の「娘」としての証明ともなったようです。

押し絵袱紗

 いっけん刺繍のように見えますが、袱紗の中には押し絵の技法を使って柄を立体的に表現しているものがあります。人物を含む絵柄を描くとき、押し絵は刺繍に比べてより繊細な表現が可能でした。
 特に、福岡では明治時代から大正時代にかけて婦女子の間で押し絵がたいへん流行したといわれています。流行の技法を駆使して作り上げた押し絵袱紗は、贈答の場でさぞ晴れやかな印象を与えたことでしょう。


2、たしなみとしての押し絵


オキアゲ「孝養女」
(下が手本になったもの)


 福岡では押し絵のことをオキアゲ(置上)と呼んでいます。「置上」とは本来、模様を地よりも高く盛り上げた彫り物や蒔絵(まきえ)を指す言葉ですが、福岡のオキアゲはこれを布で作る押し絵細工にまで拡大した言い方といえるでしょう。
 井上精三『博多郷土史事典』には「博多のオキアゲは、文化、文政の頃、画家村田東圃(むらたとうほ)の妻、千賀(ちか)が初めて作り出した」とあります。彼女は書・歌・茶道に優れ、また巧みな裁縫(さいほう)刺繍で生活を支えたといわれていますが、オキアゲを発明したのが彼女というわけではなく、もともと武士階級の子女のたしなみ(あるいは内職仕事)であった押し絵細工が、このころ博多の町の人々の間へと広がっていった象徴であったと見ることができるでしょう。
 全国的にみると、押し絵は明治時代になると衰退していきますが、福岡では上記の通り明治~大正時代に最盛期を迎えたようです。
 これには明治時代に誕生した女学校、特にその裁縫教育の影響が強く認められます。博多櫛田前町(現冷泉町)にあった櫛田女学校は、明治7年に祝部安子(ほうりやすこ)がはじめた裁縫の私塾を起こりとすることもあって裁縫、刺繍を得意とし、その作品は共進会(きょうしんかい)、博覧会でたびたび入賞するほどでした。このコーナーに展示した作品の多くが櫛田女学校の教師あるいは生徒の手によるものであることは、同校の影響力の大きさを物語ります。近代の教育のなかで武家の技芸(ぎげい)であった押し絵は一般のたしなみへと変化していきました。

押し絵雛

 桃の節句になると、竹の串をつけたオキアゲを立てて雛(ひな)人形とともに飾るものでした。この習慣は福岡県下に広く見られ、筑後地方などでは近年、このオキアゲと雛人形を使った町おこしイベントが多くおこなわれるようになりました。

額装の押し絵


オキアゲ「千人針」


「鯛釣り恵比須図ドンザ」

 実用から離れ、純粋な手芸作品として制作されたものです。櫛田女学校から展覧会に出品された作品は学校に保管され、学生たちはそれらを手本にして卒業制作にとりかかりました。技術の習得と発表という教育プログラムの中で、オキアゲはこれまでのような身近な相手だけでなく、遠くの鑑賞者までも視野に入れて制作されるようになりました。


3、針仕事に願いを込めて

 母から娘へ連綿(れんめん)と伝え続けられてきたと思われがちな針仕事の世界が、近代教育システムに組み込まれていたことはご覧の通りです。しかし一方で技術を超えた心情の問題として針仕事を見るとまた別の側面が現れてきます。

千人針・背守(せまも)り・ドンザ

 戦時中に作られた千人針は、多くの人々の力をかりて家族の無事を願う祈願の一形態ですが、千の針目を集める苦労の背景には、針目に対する畏敬(いけい)の念と、女性の力に対する期待が感じられます。
 同様に、一(ひと)つ身(み)の着物の背の縫い飾りは幼児を災厄から守る背守りです。背縫いのない着物を着た無防備な幼児を、糸や縫い目の呪力で守ろうとする先人の願いが表れています。
 また、ドンザの鮮やかな刺繍は男たちの安全を願う心情に加え、かっこいい男であってほしいという願いが混じり合って表現されています。

(松村利規)

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